好きなことに熱中するタイプの久女はこの頃(大正8年頃)の事を、大正11(1922)年に『ホトトギス』に載った随筆「夜明け前に書きし手紙」の中で〈雑詠に何句出るという様なことのためにはげみ、句数の少ない時は食事もすすまず、やつれて心の沈むほど、むこうみずに進み作ってきました〉と書いています。次第に作句に没頭する様子がわかりますね。
久女が趣味で俳句を楽しんでいた間は、多少の家事の滞りなども見過ごしていた夫宇内は、久女がしだいに趣味の範囲を超えるようになると、不快に思うようになり少しずつ家庭生活がきしみ始めた様です。この頃のことを久女はこんな風に俳句に読んでいます。
「争ひやすく なれる夫婦や 花曇り」
「或る時は 憎む貧あり 花曇り」
花曇りという表現で、何となくこの時期の杉田夫婦のたたずまいがわかる様な気がします。
この時期、久女は身近なもの、日々の暮らしをたくさん詠んでいます。
「春寒や 刻み鋭き 小菊の芽」
「葉鶏頭の いただき躍る 驟雨かな」
「バナナ下げて 子等に帰りし 日暮れかな」
「刻み鋭き」「いただき躍る」などホントにその通りだな~と感じる句で、これが『ホトトギス』流の写生なのだろうなと思わせられます。
久女年譜によると、大正8年頃の久女は二八会研究会開催、八幡俳句会出席、二八句会出席、下関での虚子歓迎俳句大会出席、小倉二八句会出席など、文章では大阪毎日新聞懸賞小説募集に『河畔に棲みて』を応募、随筆「漂作り」、「窓」、「思い出の山と水」、「黒い翅の蝶々」、「私の畠」、「九州の婦人十句集に就いて」などを書いています。俳句関係のことにかなりの時間を割いているようで、俳句ずけと言っていいのかもしれません。
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