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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~除名後の句作~(69) 

2016年09月13日 | 俳人杉田久女(考)

久女は昭和11年の『ホトトギス』同人除名後も、『俳句研究』に句を発表し、『ホトトギス』にも投稿していました。たまに乞われれば地方紙に文章も書いています。除名後は句作を断ったというのは間違いの様です。

昭和12年5月19日~20日にかけては、九大英彦山研究所で過ごしたらしく、
平成23年の「花衣 俳人杉田久女」展で、そこで多くの蝶を写生し、それに文章を添えたものが展示されていました。それが図録にも載っていますが、その中に〈「蝶おうて春山ふかく迷ひけり と詠みしはむかし也 今はむしろ 美しき蝶々も追わずこの山路」〉の自嘲が記されていて痛々しい感じがします。

この時の句でしょうか、こんな句があります。

        「 蝶の名を きゝつゝ 午後の研究所 」

「美しき蝶々も追わずこの山路」や「一人静か二人静かも摘む気なし」の様に、句に否定形を用いているのは、この頃の久女の心持ちを反映しているのかもしれません。

久女年譜を見ると、昭和12年から14年にかけて毎年英彦山に滞在しています。そこで絵や文章を書いていた様で、以前から好きだったその地の自然に身をゆだねることで、やり場のない心の傷を癒していたのでしょうね。

昭和13年~14年頃書いたもので、英彦山の植物の絵に文章を添えたものの写真が『杉田久女遺墨』にも載っています。これを書いている日々の久女の心中を思うと、胸がつまります。





この頃長女昌子さんは、母の久女から生きる張り合いを失った心境を吐露した手紙を受け取るたびに、心が痛んだと記されています。

『ホトトギス』に載った最後の句は昭和13年7月号の次の2句なのだそうです。句に以前の久女らしい元気さ、ハリが感じられないのが痛ましいですね。

        「 苺摘む 盗癖の子を あはれとも 」

        「 百合を掘り わらびを干して 生活す 」

 

(上の2枚の写真は『杉田久女遺墨』に載っている写真を写しました)


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