リエカから何度かの休憩や昼食を挟みながら、バスで約400㎞位走りアドリア海に面したスプリットという港町に着きました。途中バスの窓から見えるのはこんな景色が多かったです。向うの山は石灰岩で覆われています。
<牧草地のような、そうでない様な。>
スプリットには古代ローマ皇帝ディオクレティアヌスが306年から没するまでの6年間を過ごしたと言われている宮殿、ディオクレティアヌス宮殿があります。
古代ローマ帝国の衰退後この宮殿は廃墟となりましたが、一部の人々が移り住み、宮殿の床や壁の石材を使って建物を建てたことでスプリットの町へと発展したと言われているそうです。宮殿の前でガイドさんから説明を受けて宮殿内に入りました。
この宮殿には4つ入口がある様ですが、私達は海に面した青銅の門から入りました。
<青銅の門>
ここは宮殿地下で倉庫だったと言われています。
宮殿の中にはディオクレティアヌス帝の胸像もありました。
宮殿内の当時通路だった部分の両脇には、現在は多くの土産物屋が店をひろげていました。
下の写真は元々はディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられた建物で、8世紀頃にこの様な聖堂へと造りかえられたそうです。本堂は8角形でした。
下の写真はぺリステルと呼ばれている宮殿中庭です。写真の右奥が皇帝の住居の入口だったそうで、写真にも写っていますが、住居入口の左右にコリント式の見事な12本の列柱があります。列柱の下の階段は、現在はカフェになっていて赤い敷物が敷いてありました。私はこの中庭がこの宮殿で一番好きな部分でしたね~。
<宮殿中庭>
<コリント式の列柱>
写真には写っていませんが、皇帝住居入口の反対側は土産物屋街で、この中庭が自由時間の集合場所になっていたので、列柱下のカフェに座って中庭を行き交う世界中からの観光客を眺めてすごしました。韓国からの観光客が多く、日本人、欧米人などはチラホラでした。
現在も宮殿の城壁の中に600人位の人々が暮らしておられるそうで、ローマ時代の宮殿跡地に今なお人々の生活が根付く世界遺産のようですね。