久女の夫杉田宇内は家庭の中では、妻久女に対して前回述べた様であっても、〈家庭の外では学校の職務に励み、卒業生や在校生の面倒を、日曜祭日、休日もないといってもよい位、事細かによく見た。なので10人のうち9人は宇内の事を悪くいう人はいない。反面、久女は愛想が悪いとか、頭が高いなどと言われ、相手から許し難く思われたに違いない〉と長女昌子さんは、その著書で書いておられます。
<大正初期の頃 夫宇内、長女昌子 久女>
家の内と外で振るまいが違うというのは、ある程度は誰にでもあることですが、宇内の場合はそれが極端だったのでしょう。長女昌子さんの著書にある話ですが、宇内は仕事から帰って外で気に入らないことがあると、靴を履いたまま久女が火をおこしていた七輪を蹴散らす様なこともしたようで、家庭の中では感情のままに振る舞っていた姿が垣間見えます。
療養中におきた離婚話は、宇内と久女の間に大きな溝をつくることになってしまいました。久女が思い直して帰って来たことは、もう一回やり直そうという意思表示なのに、宇内はそれを許すどころか、反対に責める材料にしました。
昌子さんの書いたものによると、宇内は妻に来た手紙を水で濡らして開封し、ひそかに読んで又ポストに入れておくという事もしたそうで、男尊女卑の時代背景といってもそれは許されないことでしょう。
久女の育った家庭は沖縄、台湾の外地生活が長く、見聞も広かっただろうと思われます。父は女の子にも学問は必要と考え、久女にも姉にも高等教育を受けさせています。
宇内は反対に閉鎖的な山深い奥三河の生まれです。娘が本を読むのも「生意気になる」と言って好まなかったそうで、長女昌子さんは隠れて本を読んだと言っておられます。
育った環境の違いから、あるいは当時の時代背景から来たようにも思われる夫婦の性格、考え方の違いは、後々まで二人の生き方に影響を及ぼしたように思われます。