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『 ありがとう 』

2009年11月09日 | ワンコ

我が家には家族同然の現在いるワンコ(チワワ)以外に、もう一匹シーズーワンコがいました

昨年の11月7日にシーズーワンコが旅立ちました。

今日はシーズーワンコを偲び、記事にしたいと思います。


     この写真はシーズーワンコ8歳の時です。



  これは、平成17年、娘が結婚する直前に撮ったペットも一緒のたった1枚の家族写真です。
  ワンコ2匹との撮影は大変でしたが今となっては良い思い出になりました。




シーズワンコはずっと穏やかな性格の子で、

後から来たワンコ(チワワ)が悪さをしても、怒りもせずとてもやり易いワンちゃんでした



2匹の愛犬を連れての散歩は私が知らない人も知っていてくれていたようでシーズーワンコ亡き後

ワンコ(チワワ)だけを連れて散歩していると「もう一匹は?」と度々、声を掛けられました。

そんな時はシーズーワンコを思い出し、とても辛かったです




母の喪中で向かえた昨年元旦の朝、私の部屋の中であっちこっちとおもらしが・・・!!

ワンコ(チワワ)は失敗が多かったので、おもらしはワンコ(チワワ)だと決め付けて怒っていました

そしたらある時、おもらししているシーズーワンコの現場を見つけたのです

ワンコ(チワワ)怒ってごめんね。

当時13歳8ヶ月、老犬とはいえ今まで失敗のなかったシーズワンコが

おもらしをするなんて考えてもいないことでした。

これがシーズーワンコの介護の始まりでした。



獣医さんに診察してもらったところ、尿道結石とのことで食事を特別食に変更。

特別食は苦くて食べにくいのか全く食べないので、

娘がネットで調べて結石の子にも良いとされるおやつ缶を取り寄せてくれてから、

シーズーワンコは食べれるようになりました



主人は「出来るだけの事はしてあげよう」と言っていたので、

私も出来る限りの事をしてあげようと必至でした。

結局、主人が協力してくれたのは獣医さんへ連れて行ってくれることだけだったので、

世話は私一人の手にかかることに・・・。



娘は私とシーズーワンコを心配し、始終電話で様子を聞いてくる毎日、

息子からは「(シーズーワンコは)歳とはいえ可哀想でならん」とメールが。

娘が高校生、息子が中学生の時にシーズーワンコが家族になったので、

ペットと言えどもシーズーワンコは二人の弟のような大切な存在でした



おもらしが発覚してまもなく、家の中では「おしめカバー」が必要になりました。

日に日におしっこの出が悪くなり、外でトイレさすのに一回40分かかる様に。

それが朝・夕の2回です。


そして急にバタッと突然倒れることも多くなりました。

最初の頃、驚いて獣医さんに診察してもらった結果、先生に

「心臓弁膜症だね。落ち着いて背中をやさしく撫でるとすぐ治るよ」と言われたので

次の時からは、その都度言われたようにするとシーズーワンコは確かにすぐ落ち着きました。



私が気付いてあげればいいんだからシーズーワンコにずっと付いてあげようと心に誓ったものの、

現実には、私はその頃すでに心身共にくたくたに疲れきっていました

 

そんな様子を見ていた息子は、

「シーズーワンコに付ききりでなくても良いと思う。今やってくれてるとか、

今まで愛されてること分かってるから文句ないと思うで、

くれぐれも無理せん様に」と私への労わりのメールをくれました。



3月、母の納骨の時は娘と息子にワンコ達の守りを頼みました。

花見時には娘が実家に来てすぐ「花見に行こう!」と誘ってくれました。

疲れきっている私の姿に娘婿が提案してくれたとのことです。

その時は主人にワンコ達の守りを頼み、花見に行かせて貰いました。

老犬の介護は自分の目の前の老いをみる辛さと心労で私はボロボロでした。



そんな折、息子が私達両親に河口湖旅行のプレゼントをしてくれました

「シーズーの事、忘れて一泊してきてや。」 と 私は嬉しくて涙が止まりませんでした。

これが昨年の7月の事です。

この時私は本当にシーズーワンコのことを忘れて河口湖旅行を楽しみました

河口湖では地元の人も「こんな綺麗な富士山見れるのは珍しいですよ。」といってくれる位

見事な富士山が見えました

旅館も富士山が真正面に見える部屋を選んでくれていたので、久し振りに味わう

幸せをかみしめていました

この時は娘夫婦がワンコ達を守りしてくれました。



そして母の一周忌には娘と息子にワンコ達の守りを頼みました。

シーズーワンコ介護中、私が留守をしたのは、その4回だけです。



あとはずっとシーズーワンコにつきっきり。友達との交流は家に来て貰う以外、殆どなしでした。

娘夫婦、息子は私とシーズーワンコを心配し、頻繁に実家に来ていました

不思議なことに娘夫婦・息子と最後の別れになった時、

その頃は寝たきりで食事もほどんど口にせず、鳴くこともなくなっていたシーズーワンコが、

2回とも鳴いて食事を要求したのです。

あれは、きっとシーズーワンコなりの別れの挨拶だったのだと思います。

 

亡くなる3日前、11月4日の夜にシーズーワンコがハウスからヨタヨタしながら歩いてきて

私の側にピッタリくっついて暫くじっとしていました。

私は予感か、たぶん「お母さん有難う」の気持ちで寄り添ってくれたと思っています。

その時寄り添っているシーズーワンコを写真に撮りました。

その日の事はけっして忘れる事はないでしょう。



そして11月7日、私が好きだった筑紫哲也さんが亡くなられたとテレビで知らされた日、

シーズーワンコも天国へと旅立ちました。

私の膝の上で・・・。



最後まで穏やかなまま14歳半で私達との別れになりました。

主人が「もう獣医さんとこへ行く事ないな!」とぽつりと言った時、また涙が溢れました。

10ヶ月余りシーズーワンコの介護で本当に私は心身ともに、くたくたになったけれど

出来る限りのことをしてあげたと何の後悔もしていません。


シーズーワンコも私達に「ありがとう」ときっと言ってくれてると信じています

そして私に 『 自由 』 をプレゼントしてくれたと思っています




読売新聞 遠景近景 北 連一(コラムニスト)H20.9.24より

「 愛犬は老いの先達である。

せいぜい 老いてのちの自在な生き方を犬に学ぶことにしょう 」 とありました。



『 ワンコ(チワワ)含め家族全員、貴方を愛していたよ。 長い間、癒してくれて有難うね。 』

長分になりましたが、読んでくださった皆様ありがとうございました。

























コメント (14)
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