Uさんはホーチミンを何度も訪れていて、だからこそあの街でバイクを操れるのだろうが、
当然安宿街のデタムやブイビエン周辺の宿に馴染みができることになる。
ミャンマーからは、ホーチミン経由で途中降機して寄ってきたとのこと。
ということで、ミャンマーレポートではないが、ホーチミンの新しい情報等があるので、載せることにしました。
ホーチミンでは、ファングーラオ通りが一方通行になり、
大型長距離バスの駐車、乗客の乗り降りが禁止になっています。
新交通システムの工事のため、ベンタインのロータリーがなくなっています。
ビナサンタクシーにナビが付きました。
ファングーラオ通りの向かいの公園の地下に、スーパーマーケット、フードコートが出現、
エアコンの効いた中、ベトナムの若者で賑わっています。
いつも昼に行くCOM屋のおやじ、おかみさんが渋い顔で営業しています。
このご時世客足も落ちているのかも。
味は相変わらずうまいのですが、値段はすこしずつ上がっている気がします。
サイゴンビア、飲みたい。com屋は美味いよね
貴殿とお孫さんに朝出会った路上カフェのおばちゃんもけなげに頑張っています。
年々プラテーブル、プライスは減ってきていますが。
宿の前ですね。相変わらずプラ椅子がお似合いの奥様
私の友人大野くんにそっくりのサングラス売りのおにいちゃんも、私達に会うたびに微笑んでくれます。
彼からいままでにもう4つ買っています。
かげで私達は彼をオオノとよんでいます。
昔毎晩のように通っていた店で働いていたトアンと3年振りに再会しました。
今はビーサイゴンで働いています。
私達にも紹介してくれた、かわいい奥さんと離婚し、しょげています。
ひとり息子はメコンデルタの奥さんの実家に預かってもらってるそうです。
スマホにとっている肥満児のひとり息子を笑いながら見せてくれました。
ホテルの客引きをしているバックも元気でした。
もう50をこえたそうです。
勤務先が向かいのホテル(娘のリーが最初働いていました)に変わっていました。
彼から借りるバイクは1日100,000ドンです。
いい小遣いかせぎでしょう。
娘のリーがキムホテルに変わって、もうすぐ1年になろうとしています。
田舎の高校を卒業して、最初のホテル(今バックが働いています)で、
ベッドメーキング、掃除、洗濯をやっていた2016年春に知り合いました。
向かいのホテル(バックが以前働いていました)の3階のベランダに出た私を
「グッドモーニング! ハワユー!」と
Tシャツと膝までの短いジーパンのピチピチした女の子が、
路地の向こうのホテルの3階から、大きな元気な声で呼びかけてきました。
それがリーとの最初の出会いでした。
娘のリーさんかな?
いいもの食ってますな
夕方になると、路地をはさんで、プライスに座り、のんびり雑談をするのが日課になりました。
スマホのLINE無料ビデオ電話で、私達の息子たちと会話をしたり、いっしょに夕食を食べにいったり。
今リーはキムホテルで受付もやっています。
私達にはない若さでしょうか、メキメキ英会話が上達しています(ものすごいブロークンですが)。
朝の6時半から夜10時まで一生懸命働いています。
今からはキムホテルが私達の定宿となりそうです。
以上、 報告終り。
以上をもって、Uさんのミャンマーレポートを終わります。
ホーチミンは相変わらず激流のように変わっていて、ミャンマーはそれ以上のスピードで変わるのでしょう。
経済自由化の波は、金銭至上主義を生み、20年前に訪れた彼の地はもう、懐古趣味の中にしか存在しないのです。
ただそんな中でも、普通の人は毎日を精一杯生きていて、
本質は決して変わらないことを知っておかないといけません。
そこにこそ私が旅に求めるものがあるからです。
ねえUさん、ご夫妻もそうでしょう。
当然安宿街のデタムやブイビエン周辺の宿に馴染みができることになる。
ミャンマーからは、ホーチミン経由で途中降機して寄ってきたとのこと。
ということで、ミャンマーレポートではないが、ホーチミンの新しい情報等があるので、載せることにしました。
ホーチミンでは、ファングーラオ通りが一方通行になり、
大型長距離バスの駐車、乗客の乗り降りが禁止になっています。
新交通システムの工事のため、ベンタインのロータリーがなくなっています。
ビナサンタクシーにナビが付きました。
ファングーラオ通りの向かいの公園の地下に、スーパーマーケット、フードコートが出現、
エアコンの効いた中、ベトナムの若者で賑わっています。
いつも昼に行くCOM屋のおやじ、おかみさんが渋い顔で営業しています。
このご時世客足も落ちているのかも。
味は相変わらずうまいのですが、値段はすこしずつ上がっている気がします。
サイゴンビア、飲みたい。com屋は美味いよね
貴殿とお孫さんに朝出会った路上カフェのおばちゃんもけなげに頑張っています。
年々プラテーブル、プライスは減ってきていますが。
宿の前ですね。相変わらずプラ椅子がお似合いの奥様
私の友人大野くんにそっくりのサングラス売りのおにいちゃんも、私達に会うたびに微笑んでくれます。
彼からいままでにもう4つ買っています。
かげで私達は彼をオオノとよんでいます。
昔毎晩のように通っていた店で働いていたトアンと3年振りに再会しました。
今はビーサイゴンで働いています。
私達にも紹介してくれた、かわいい奥さんと離婚し、しょげています。
ひとり息子はメコンデルタの奥さんの実家に預かってもらってるそうです。
スマホにとっている肥満児のひとり息子を笑いながら見せてくれました。
ホテルの客引きをしているバックも元気でした。
もう50をこえたそうです。
勤務先が向かいのホテル(娘のリーが最初働いていました)に変わっていました。
彼から借りるバイクは1日100,000ドンです。
いい小遣いかせぎでしょう。
娘のリーがキムホテルに変わって、もうすぐ1年になろうとしています。
田舎の高校を卒業して、最初のホテル(今バックが働いています)で、
ベッドメーキング、掃除、洗濯をやっていた2016年春に知り合いました。
向かいのホテル(バックが以前働いていました)の3階のベランダに出た私を
「グッドモーニング! ハワユー!」と
Tシャツと膝までの短いジーパンのピチピチした女の子が、
路地の向こうのホテルの3階から、大きな元気な声で呼びかけてきました。
それがリーとの最初の出会いでした。
娘のリーさんかな?
いいもの食ってますな
夕方になると、路地をはさんで、プライスに座り、のんびり雑談をするのが日課になりました。
スマホのLINE無料ビデオ電話で、私達の息子たちと会話をしたり、いっしょに夕食を食べにいったり。
今リーはキムホテルで受付もやっています。
私達にはない若さでしょうか、メキメキ英会話が上達しています(ものすごいブロークンですが)。
朝の6時半から夜10時まで一生懸命働いています。
今からはキムホテルが私達の定宿となりそうです。
以上、 報告終り。
以上をもって、Uさんのミャンマーレポートを終わります。
ホーチミンは相変わらず激流のように変わっていて、ミャンマーはそれ以上のスピードで変わるのでしょう。
経済自由化の波は、金銭至上主義を生み、20年前に訪れた彼の地はもう、懐古趣味の中にしか存在しないのです。
ただそんな中でも、普通の人は毎日を精一杯生きていて、
本質は決して変わらないことを知っておかないといけません。
そこにこそ私が旅に求めるものがあるからです。
ねえUさん、ご夫妻もそうでしょう。