ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか ー24ー カミカゼ(下)

2025年02月10日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
菊田が美容師の和ちゃんを初めて見たのはバイトを初めて2ヶ月程経った頃、
2階にある美容室に行く和ちゃんに、階段横にある従業員更衣室から出たときぶつかりそうになったときだった。
 「あっ済みません!」
 と頭を下げる菊田に、彼女はにこりと微笑むと、
 「新しいボーイさんね」
 「いえ、もう2ヶ月になります」
 「あら、ご免なさい。でも初めてよね、よろしく。美容室の山下和美です」
 「へ~、ここって美容室があるんですか。あっ済みません、僕はボーイの菊田翔平です」  
 「学生さん?」
 「はい、K大学の5年生です」
 「大学は4年生までじゃないの?」
 「学費さえ払えば、8年生までは在学できますから。山下さんはここ長いんですか?」
 「フフッ、山下さんなんて呼ばれたの久しぶりよ。ここでは皆『和ちゃん』て呼んでるから、それでいいわよ」
 「和ちゃんさんですか・・・」
 「ぷっ、ちゃんにさんは付けないんじゃない」
 「そうでした、済みません」
 「謝ることはないわ。じゃあ頑張ってね菊田くん」
 和ちゃんの頑張れは、ボーイとしてなのか、学生としてなのか、考えている間に、彼女の姿は階段の上に消えていった。



 彼女の第一印象は、飾り気のない気さくな人柄だということもあるが、何よりも女性にしては大柄でスタイルも良く、ともかく綺麗な人だった。
 その出会いのせいか、その日の菊田は仕事中にも、そこはかとない甘やかな気持ちで過ごした。自分には関係ない人だと言い聞かせてはいたものの・・・。
 その後、店で半年になり、最も古株の一人に至るまで、和ちゃんとは何度か言葉を交わすようになったが、プライベートなことは殆ど話題にならず、せいぜい菊田が属している大学のサークルの話程度だし、和ちゃんはホステスの噂話に出てくるボーイやガイド(客を玄関から席まで案内する係)の差し障りのない話をするくらいだった。
 それも仕事前の僅かな時間や、お互いに暇な時間が重なって休憩しているときだったので、仲を深めるようなことにはならなかった。
 和ちゃんとの会話では、彼女は店の個々のホステスについては決して口にしない人で、そういったけじめのはっきりした所がママに可愛がられている理由だったろう。
 その日は少し早出で、午後5時前に店に入ると、まだホステスの姿もなく、支配人も来ていなかった。
 従業員更衣室に向かおうとすると、フロントのカウンターにいたママが、
 「翔平くん!ちょっと頼みがあるけどいいかな?」
 「はあ、いいですが、何でしょうか」
 「実は和ちゃんが具合が悪くて休むと連絡があったのよ」
 「珍しいですね、和ちゃんが休むなんて」
 「だからちょっと心配でね、翔平くんに様子を見てきて欲しいんです」
 「僕がですか!和ちゃんの住まいを知りませんけど」
 「それは私が教えるから大丈夫よ。どうやら熱があるらしいから薬を買って、それに食事も心配だから、そこのデパートの地下で弁当も買って、ほかにも飲み物やらもお願いね」
 と言って私の時給の5,6倍の札を渡された。
 私はママから渡された住所と、そこへ行く大まかな方法が書かれた紙を持って外に出た。
 まずは薬をと、アーケード街にある薬局で解熱剤を買う。次にその先の市電の通りに面したデパートの地下に行き、弁当を物色する。
 和ちゃんの好みがよく分からない。ただいつか肉はあまり食べないと言っていたような気がしたので、サラダのパックと白身魚の入った弁当を買った、
 次は飲み物かと思ったが、飲み物くらい家にあるだろうと思って、市電を降りて彼女のアパートへ行く途中にあるスーパーに寄ってカップアイスを2つ買ってアパートの部屋を訪ねた。
 ノックの音に応える和ちゃんの声は、気のせいか弱々しく聞こえた。
 「和ちゃん、菊田です。ママの使いできました」
 ドアを開けた和ちゃんはパジャマ姿で熱があるのか、少し顔が赤っぽく、辛そうだったが、それでも。
 「ありがとう、菊田くんには申し訳なかったわね」
 と詫びを言った。
 「いえいえ、たいしたことないです。こちらが解熱剤で、こっちは弁当とサラダです。ママからは飲み物を何かと言われましたが、熱があるならアイスクリームの方がいいかと思って、勝手にアイスにしました。2個あるので冷凍庫に入れておきますね」
 「嬉しい!」アイスを食べたかったのよ。やっぱり菊田くんを指名して良かった」
 「はあ、指名って何ですか?」
 「ママに電話したらね、従業員に薬やらを届けさせるからと言うので、じゃあ菊田くんに持たせて下さい、っていう指名よ」
 「ふ~ん、でもなんで僕なんですか?」
 「だってホステスさん以外で親しいのは菊田くんだけだし」
 「そうなんですか、和ちゃんはボーイ仲間では憧れの君で、結構誰とも話をしているのかと思っていました。でも、親しいって言ってくれて嬉しいです」
 「ママも知っているから、菊田くんに頼むのに抵抗がなかったのじゃない。それに菊田くんが真面目で、ホステスとの噂一つないのも信頼されているのよ」
 「それって男としてはちょっと寂しいような」
 「お客さんの殆どは女目当ての中で、菊田くんみたいに女性をあまり気にしない人は新鮮なのよ。だからホステスの中には、菊田くんに好意を持っている子もいるみたいよ」
 「まさか、そんな気配は微塵もないです」
 「フフ、鈍いのよねぇ菊田くんは。女の気持ちは分からないでしょう」
 「厨房の桝山さんみたいなことを言いますね。いいんです鈍くて。じゃあ、少しでも食べて薬を飲んで、しっかり休んで下さい。僕は仕事に行きます」
 「ありがとう、ママによろしく言っておいてね。今度お礼に何かご馳走するわ」

 「和ちゃんの部屋での話はこんなものだったような気がします」
 「それ以上のことは何もなく?」
 私が問うと、
 「ええ、ただのお使いでしたから」
 「菊田さん、やっぱり随分女性に疎かったようですね、その頃」
 
 その後、菊田さんと和ちゃんはどうなったかですって?もちろん私は聞いておりますよ。
 お知りになりたければ、名も知らぬ駅に来ませんか。
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名も知らぬ駅に来ませんか -23ー カミカゼ(上)

2025年02月10日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
「彼女の部屋に上がったことは確かなんですけどね。その後のことはあまり記憶にないんですよね」
 「本当ですか?若い男が若い女性の部屋に上がって、その後の記憶が曖昧なんて、ウ~ン信じられないなぁ」
 「本当ですって!」
 「で、彼女の部屋に行った経緯はどういうことだったんですか?」
 私が問うと、菊田さんはカミカゼを一口含んで当時のことを話し始めた。
 カミカゼというカクテルはいかにも日本生まれのようだが、どうやらアメリカで考案されたようだ。

     

 ベースはウオッカで、これにホワイトキュラソーとライムを1:1:1の割合で入れてシェイクする。
 辛口且つシャープな口当たりのため、戦時の日本の空挺攻撃隊の名前を付けたと言われている。
 「その頃私は学生でね。当時流行っていたキャバレーでアルバイトをしていたんです」
 「キャバレーとは懐かしい。私がこの世界に入った頃にはもう廃れていましたが」
 「そうね、1960~1970年代が一番盛んだったかな。ホステスを侍らせて派手な遊びをする人種が少なくなるに連れて客足が減って次々と店が姿を消したようです」
 「栄枯盛衰はどんな商売にもありますからね。私の所のように小さい商売だっていつ怪しくなるかも知れません」
 「この店は心配ないよ、と私のような門外漢が気楽に言って良いことではないな」
 「いえいえ、そんなことはないです」
 「そのキャバレーは県都で一番大きな店でね。ちょっとしたステージもあって、ホステスは常時100人以上は居たかな。その店でボーイをやっていたんです。今はウェイターと呼ぶけど、当時はボーイという呼称が普通だったね。」
 「あれでしょう、ホステスさんが『ボーイさんお願い』と言って呼ぶんでしょう」
 「そうそう!声で呼ばれるのは近くにいるときだけで、広い店ではほとんどホステスが合図するマッチやライターの灯りで呼ばれていました。だからホステスから名前や顔を覚えられることは少なかったですね。謂わば、ホステスが舞台の上の役者なら、ボーイは黒子です。そこに居るけど居ない者として扱われる。別にそれが不満ではないですよ、そういうもんだと割り切って仕事をしていますから」
 「イケメンのボーイでもホステスさんにはモテなかったんですか?」
 「いやいや、イケメンどころか野暮ったい学生アルバイトですから。それに金があるわけでもないし、金銭にシビアなホステスにモテる要素は全くありませんでした」
 「じゃあ部屋に行った相手はホステスさんではなかったんですね」
 「ええ、実はそのキャバレーには美容室があって、そこの美容師なんです」
 「キャバレーに美容室を併設していたんですか。そりゃあ凄い!」
 「100人を超えるホステスがいましたからね。そこの美容室は美容院より安くて、若いホステスの利用が結構ありましたね」
 「で、あるとき・・・・・」
 と言って件の経緯を菊田さんは話し始めた。

  菊田はキャバレー「夢夜会」でアルバイトを始めて半年以上になる。最初は当座の小遣い稼ぎ程度に考え、ふた月くらいの気持ちでいたが、初めて見る夜の世界というか、キャバレーに集うホステスや客の生態とも言うべき人間模様が妙に面白くなって、それに仕事に慣れてくると特に難しくも辛くもないので、ずるずるとここまで来た気がする。
 ボーイはほとんど短期で辞めていくものが多く、3ヶ月くらいで交代するのが常態だった。その仕事は注文を訊いて、それを厨房や飲み物がある場所からテーブルへ運ぶだけの単純作業だから、出勤初日からスタッフに入ることができる。 半年以上続いているのは、12,3人いるボーイの中で菊田ともう一人だった。そういうわけで、店のママや支配人からはそれなりに頼りにされていた。
 あるとき、開店前に支配人に呼ばれた菊田は、
 「菊田くん、実は今日渋井組の組長の出所祝いをうちの店でやることになっていてね、そのテーブルを君に担当して欲しいんです」
 支配人はボーイに対してもいつものように丁寧な口調で言った。
 「えっ、渋井組ってヤーさんですよね」
 「そう、だから慣れないボーイに任せるわけにはいかないんです。お客さんは全員で10人くらいの人数になるようだけど」 
 「組長の出所祝いというと、客というのは皆ヤーさんなんでしょう」
 「菊田くん、くれぐれもヤーさんとは口にしないで下さい」
 「ええ、勿論それは分かっていますが、でも嫌だなぁ。桝山さんにやってもらえないんですか。桝山さんの方がこの店長いし」
 「それが、桝山くんは風邪を引いたみたいで、2,3日休むと連絡があったんです」
 「ウ~ン、しょうがないなぁ。分かりました。で、何時頃来るんですか、渋井組長は」
 「8時頃という話です。くれぐれも粗相がないようお願いします」
 「イチャモンをつけられないよう用心しますよ」
 その返事に支配人は苦笑して離れて行った。
 当夜の出所祝いに席は特に問題なく終わり、その様子を厨房責任者の桑原に話すと、
 「そんなもんだよ。組長を囲んだ飲み会なら、参加者はほとんど幹部連中だから無茶はしないさ。何かとイチャモンつけるのは下っ端のチンピラだけだよ」
 「桑原さんってヤーさんの世界の話に詳しいですよね。もしかして以前はその世界に・・・?」
 「ばーか、夜の世界にいると自然と詳しくなるさ。ここのママさんだって、本当はあんな連中との付き合いは御免と思っているけど、なかなか周りが許してくれないんで仕方なく今日も受け入れたんだ」
 「そうなんですね、そうですよね。ママが若いホステスに、あんなのと付き合っちゃいけないって言っていた男はいかにもチンピラ風でしたもん」
 「チンピラはまだ仕事に慣れないホステスを狙って店に来ることが多いんだ。連中の手口を知ってるか?」
 「いいえ、教えて下さい」
 「あいつらはこの店で初めてホステスになったような、謂わば初(うぶ)な女の子を狙って、ほとんど毎日のように店に来ては、そのホステスを指名して、いわゆる恩に着せるのだ。そうやってそいつの言うことを聞かざるを得ない状況に追い込むんだ。ホステスにとっては指名をもらうというのは給料にも反映するし、店での格も上がるからね」
 「汚いやり口ですね」
 「ヤーさんのやり口はそんなもんさ。そうやってホステスを自分のものにすると態度は一変。店には来ずにそのホステスのひもになって、店に来るのはその子に小遣いをせびるときだけになる」
 「可哀想に。ホステスは着飾って見栄えのいい外見だけど、見かけだけで判断してはなりませんね」
 「そうさ、菊田はボーイだけど店には長いんだから、若いホステスには気をつけてやれよ」
 「ええ、分かりました。でもボーイの言葉に耳を傾けるホステスなんていますかね」
 「菊田、おまえは気づいていないかも知れんが、おまえの名前はママや支配人からよく聞くし、ホステスもよく噂しているぞ。結構店の皆から頼りにされてんだ」
 「嘘でしょう、そんな気配は少しもありませんよ」
 「おまえが鈍いだけだよ」
 そう言い残して桑原はオーダーの入った唐揚げの揚がり具合を見に行った。

 「菊田さんとその美容師さんの馴れ初めはどうなんですか?」
 私が問うと、菊田さんはカミカゼをまた一口含んだ。
 「彼女の名前は和ちゃんと言ってね。歳は20代前半かな、背が高くてほとんどのホステスの誰よりもきれいな女(ひと)でした」
 と先の話を続けた
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名も知らぬ駅に来ませんか -20-

2022年01月26日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
さて、前回のー19ーに引き続き、5人連れ老人(失礼)の学生時代の思い出話、その第二弾です。
今回の話し手は春山さん。
飲むのはいつものように、スコッチの雄「ボウモア12年シングルモルト」をロックでちびちびと飲みながらの語りです。
ボウモアは、スコットランドのアイラ島にあるボウモア蒸留所で作られている。
海のシングルモルトというキャッチフレーズで世に出ているスモーキーなウイスキーである。


スコッチのシングルモルトでは平均的なお値段です

春山さんが右隣の方を向き、
「坂崎、ミカン畑の話、覚えているか?」
と問うと、声を掛けられた右隣の坂崎さんが、
「覚えておらいでか!」
と、にやっと笑って答えた。

では春山さんの話  ーピンハネわらしべ長者(私が名付けさせていただきました)ー
前回同様敬称略で。

その時「創志寮」の居間で窓を開け放って寛いでいたのは、春山と坂崎、それに同居の後輩の吉永の三人だった。
開け放った窓の外を眺めていた吉永が、
「春山先輩!向こうのミカン畑を見てください!」
と、谷を挟んだ反対側の丘陵にあるミカン畑を指さした。

「創志寮」は大学の農学部実習所のそばにあった。
二つの丘陵に挟まれた浅い谷の部分には実習用の畑があり、
一方の丘は実習用のミカン畑、反対側の丘に創志寮という配置だ。
以上のような地形なので、創志寮の居間からは実習用のミカン畑が障害が何もない状態で見通せた。

吉永が指さしたミカン畑を見ると、2人の若者がミカンをちぎっている。
しきりに辺りを見回す様子がどうも怪しい。
それに今日は日曜日で、農学部の実習は休みのはずである。
人がいるはずもなく、ましてミカンを収穫するなんてあり得ない。

「坂崎、行こうや」
すっくと立った春山が坂崎に声を掛け、
「よっしゃ」
坂崎は即座に反応して立ち上がる。
何のことかと怪訝な顔で二人を見上げる吉永に、春山が
「なにぼーっとしとるんや。お前も行くぞ」
と言って、三人揃って取り付け道路に出た。

春山を先頭に、ミカン畑の木立に隠れるようにそっと若者2人の背後に近寄り、
「君たち、何をしよるんな」
がたいがよく、かつ強面の坂崎が低い声で声を掛けると、
高校生と思える2人はビクッとした動作で、「アッ!」と声を出して振り向いた。
「僕たちは大学農学部の学生やけど、このミカン畑が農学部の所有と知ってるのかな?」
丁寧だけどドスの利いた声で、堂々と身分詐称(坂崎は法学部)をした坂崎は、
「もしかして、君たちはミカンドロボーかな?」
と続けるや、2人の高校生はすっかり恐れ入って、
「済みません、済みません」
と言って、ちぎったミカンが入ったレジ袋を坂崎に差し出した。
「そうか、今回だけは見逃してあげるけど、ミカンであっても無断で盗ってはいけないよ」
坂崎はその袋を受け取り、いかにも鷹揚な先輩という態度で2人を解放した。
春山と吉永は吹き出しそうになって、その寸劇から顔を背けていた。

「春山、ということでここにミカンが残ったが、どうする?」
坂崎が創志寮に向かいながら春山に問いかけた。
「農場は休みだから、事務所に行っても誰もいないし、届けようもないな。捨てるわけにもいかんし、腐っても粗末になるしなぁ」
思案していた春山が
「俺たちで食うしかないか」
と言うと、坂崎が
「もしかしてお前、最初からそのつもりだったんじゃないのか」
呆気にとられたように春山の顔を見た。

創志寮の居間に腰を下ろした春山はしばらく経って二人に向かって、
「いい考えがある。今から出かけるぞ」
早くも立ち上がろうとしている。
「何処に行くんだ。もう昼になるぞ」
坂崎の問に、
「増本先輩の家で昼飯を御馳走になろう」
春山が答えて、
「そんな厚かましいことはできんぞ。いくら先輩でも約束もなく昼飯なんて」
坂崎が呆れて春山を諫めた。
「な~ん、大丈夫さ。このミカンを手土産にすれば遠慮は要らんよ」
春山は堪えた様子もなく言った。

「おまえなぁ、ミカンドロボーの上前をはねた上に、それを使って昼飯に預かろうって言うのか」
坂崎はますます呆れた顔になった。
その二人の掛け合いを見て吉永はクスクス笑っている。
「俺たちビンボー学生はそうでもしなきゃ美味い飯にはありつけんだろ。増本さんは社会人だから大丈夫さ。それに今日は日曜日だから妹の沙紀ちゃんもいるはずだ。坂崎の憧れの沙紀ちゃんが手料理作ってくれるかもな」
春山の殺し文句に仕方なくといった風に立ち上がった坂崎は、
「吉永!お前も行くぞ」
と後輩に声を掛けた後、
「しかし春山、このミカンのことを先輩にどう説明するんだ。ドロボーの上前をはねたなんて、沙紀ちゃんのいる所じゃとても言えんぞ」
坂崎が春山に言うと、
「フフッ、悩ましいな坂崎。悩まぬ豚より悩めるソクラテスになれって、スチュアート=ミルも言っているしな、悩め悩め。サカザキ=ソクラテスよ」
春山が揶揄うようにサカザキに言った。
「バカにしやがって、もうやけくそだ、昼飯、昼飯、沙紀ちゃんだあ」
坂崎は訳の分からないことを言って先頭に立った。

吉永は、「悩めるソクラテス」はちょっと使い方間違っているんだがなぁ、と関係ないことを考えながら先輩達の後をついて行った。

その三人が昼飯にありついたかって?
いやいや、それより沙紀ちゃんの方が気になるですって。
もちろん私は聞いておりますよ。
お知りになりたいなら、名も知らぬ駅においでください。こっそりお教えします。
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名も知らぬ駅に来ませんか ー19ー

2022年01月23日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
カウンターに5人の老人(失礼!)が賑やかに並んで座っている。
昔話に花が咲いているようだ。
真ん中にいるのが春山さんで、時々顔を見せてくれるお客さん。
連れの4人は、春山さんが連れてきてくれた初見の方々である。
大学の同じサークルの仲間で、サークル創設50周年記念会の集まりがあったようだ。
当時の設立メンバーがここにいる5人だったらしい。
学生時代の話が盛り上がっていて、聞くともなく聞いていた中で面白かった話を二つ紹介しましょう。

上園さんの話 ー 井波消失の謎(と私が名付けさせていただきました)ー
ソルティドッグの残りをグッと飲み干して上園さんが話し始めた。以下敬称略で。

学生時代に上園は春山や後輩等と4人で一戸建てを借りて同居生活をしていた。
海に面したこの街では、住宅地になる平地が少ないので、傾斜地を削って造成している住宅地が多かった。
上園達が借りていた住居も同様の場所にあり、しかしあまり交通の便がよくなかったので、
2軒並びの家があるだけの、他はほぼ農地になっていた。
上園達が「下の道」と呼んでいた取り付け道は、家から4m位下を通っていた。
家の裏は傾斜地を削った裏山になっていて、まだ小さな雑木が混じった雑草地の小さな丘で、
居間の前は傾斜地の崖(といっても傾斜は50度くらいか)の部分にあたり、居間から3mほど先は細い竹がびっしり生えた崖になっていた。
崖の手前には横に細長く花壇が作ってあったが、学生4人の住まいでは花の一輪もなく、名前だけの花壇だった。
家が建っている土地の造りはこの話に深く関わることなので、少しクドいほど説明させていただいた。

上園は同級生と下級生2人の4人で暮らし、朝食と夕食は4人で当番を交代しながら作っていた。
「創志寮」などといういっぱしの大げさな名前をつけていた。
志って何処にあるの、まともな人から見ればそう言えるような生活をしている家ではあったが、大言壮語は学生の特権か。
4人の共同生活の場所は、サークル仲間の溜まり場でもあり、金がないときの飲み会の会場でもあった。

その夜はサークル仲間10人ほどが集まり、6時頃から飲み始めていた。
2時間ほど過ぎた頃、上園はふと気付いて春山に
「おい、井波は何処行ったんだ?」
その声に座を見回した春山は
「あれっ、さっきまで隣にいたはずだけどな」
と怪訝そうに答えた。
井波は上園の同級生だが、別にアパートに部屋を借りていた。
「創志寮」で飲むときは欠かさず来るような呑兵衛で、その割には早々と酔う、人のいい好漢だった。

「お~い、誰か井波を知らないか?」
と、春山が座にいる部員達に声を掛けると、
後輩の一人が、
「さっきションベン、ションベンって言いながら、そこの窓を開けて花壇の方に出ましたよ」
上園と春山が外を見るが、井波の姿はない。
念のためと、上園が居間の外にある花壇のところにまで行くと、どこからか声がする。

「誰か助けてくれ~!」
その声がどこからするのか瞬間分からなかったが、2度目の「助けて~」を聞くと、
どうやら庭先の竹藪になった崖下の方から聞こえる。
「井波!何処や~?」と大声で問うと、
「下!した!SHITA!」
と井波の必死の声がする。
花壇の端から崖下を見るが、竹藪が邪魔になって井波の姿は見つからない。

上園は春山と後輩3人ほど連れて、取り付け道路を回って家の崖下に着き、
上を見上げると、下から1mほどの竹の間に井波が見える。
酔っているせいもあるのか、竹藪の中で藻掻いている井波はなかなか抜け出せない。
5人で何とか井波を引きずり下ろすように竹藪から助け出した。
落ちたところが竹藪のクッションだったためか、2,3カ所の擦り傷で済んだのは幸いだった。

井波は酒席に戻ると、
「スマン、死ぬかと思った」
と真面目な顔で謝って、皆の笑いを誘った。
かなり酔っていた井波は、小用を足そうと居間の外の花壇から竹藪に向かって立っていたところ、フラついて落ちたらしい。
そのような弁解をする井波に上園が、
「落ちたのはションベンする前か、それともしている途中か、どっちや?その答え次第では服を着替えんで一緒に飲むのは罷り成らん!」
真剣な声で問い詰めるのに、
「あんまりビックリしてそんなことは分からん」
井波は憮然とした様子で言葉を返す。
そこに、後輩の女子部員が井波の側に寄って、仔細に井波の服、とくにズボンを点検していたが、
「大丈夫です!する前のようですウ」
と、全員に向かって宣言するや、座は大笑いに包まれた。
井波はますます憮然とした様子で、盃を傾けた。

「覚えとるや井波」
上園さんが隣の席に顔を向けると、
「そんな昔のことを覚えてるわけがあるか」
井波さんはやはり憮然として答えた。
どうやら、春山さんの奥の席が上園さんで、そのまた奥が井波さんか。
学生時代の仲間と会うと、50年経っても一瞬で当時まで時を超えるようだ。

あなたも学生時代のオモシロ話があるんですか。
では是非名も知らぬ駅に来て、ご披露ください。
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名も知らぬ駅に来ませんか 18

2021年05月17日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
ファジーネーブル

「こんばんは」
複数の声がして、先頭で入ってきたのは馴染みの高山さんだった。
「おや、今夜はお三人ですか?」私が声を掛けると、
「ええ、空いていますか?」と高山さん。
「ご覧の通り大丈夫ですよ。予約も入っていないので、ごゆっくりどうぞ」
先客に一つ席を詰めてもらい、並びの3席を作って座ってもらった。

高山さんの隣に同年配か少し年下の女性、その向こうに前頭部が薄くなりかけた男性が座った。
「マスター、僕はマッカランをロックで。君らは何がいい?」
二人の方に顔を向けて高山さんが訊いた。
「何がお勧めかな?」連れの男性が私に声を掛けてきたので、
「そうですね。無難なところでソルティドッグはいかがでしょう」
「じゃあそれで」
「承知しました」とマキちゃんの方に顔を向けると、頷いてグラスを準備し始めた。
「由布さんはどうする?」高山さんが隣の女性に問うと、
彼女は落ち着いた様子で私の方に、
「甘いカクテルを頂けますか。あまり強くない方がいいけど」
「桃はお好きですか?」私が訊くと、
「大好きです!」こっくり頷いて微笑んだ。
「では、ファジーネーブルをお作りします」

「今日は中学卒業25年記念の同窓会がありましてね、その流れなんです」と、高山さん。
「それにしては人数が少ないですね」と私。
「2次会でバラバラになって、3人でここに流れ着いたんです」
「うちは港ではなく駅ですから、流れ着くというより、終点に着いたというところでしょうか」
「それもそうだ。で、向こうのムサイのが松田、隣がゆうさん。由布と書いてゆうですね。実はこの3人は中学3年間同じクラスだったんです」
「仲良し3人組ですね」
と言って、由布さんの前にファジーネーブルのロンググラスを置く。

ファジーネーブルは、ピーチリキュールにオレンジジュースを注いでステアする。
ピーチのリキュールにオレンジジュースを加えるので、
ピーチなのかオレンジなのか、その味の曖昧さをファジーと表現して命名したと言われている。
甘くて飲みやすい上に、アルコール度は低いので、女性好みのカクテルとしては人気がある。
ピーチリキュールのレシピでは王道である。



マキちゃんが作ったソルティドッグとマッカラン・ウイズ・アイスが、松田さんと高山さんの前に置かれる。
3人のグラスがそろったところで、
「乾杯!」とそれぞれのグラスに口をつける。
「おいしい!」由布さんはそう言って、私の方に顔を向けると、にっこりと頷いた。

今年40才になる高山さんは、フランチャイズ展開しているコンビニチェーンのオーナーで、
業績はまあまあだが、最近は人手不足で店員の確保が大変だと嘆くことが多い。
それとなく話を聞いていると、松田さんは熊本市内の会社の課長クラスで、
由布さんは、個人営業のフラワーコーディネーターというところのようだ。
3人ともそれぞれの家族があり、男女2人の子どもと、その内の一人が中学2年生というのも共通しているそうだ。

「俺たちの中学時代と比べると、今の中学生は理解を超える存在だよな」
松田さんの言葉に、他の二人も深く頷いている。
それはいつの時代もそうなのだ。
特に変化の激しい今の時代に生きている子どもたちには、ゆっくり安らげる時間さえままならないのかもしれない。
子どもへの愚痴話で盛り上がっていたが、2杯目のグラスを空けた頃から、松田さんが睡魔に襲われ始めた。
高山さんに指を指されて松田さんの方を見た由布さんは、
「クスッ」と笑った顔を高山さんの方に振り向かせた。

その笑い声が聞こえたのか、松田さんがカッと目を開いて、
「オレ、帰るわ」と言うや、
立ち上がって、覚束ない手つきで財布を取り出し、千円札を数枚出して、それを
「高山、これでいいか」と言ってカウンターに札を置いた。
「今勘定してもらうからちょっと待てよ」と、高山さんが私に目配せをする。
私が勘定書きを書く前に、
「いいから、お前はもうお少し由布さんを接待しろ」
「いやいや、そういうわけにはいかんだろ」と言う高山さんの袖を引いた由布さんが、
「いいじゃない、せっかく松田君がああ言ってくれているんだから」と言い、
その由布さんの顔をじっと見た高山さんが座ると、
「じゃあな」と松田さんは二人に手を上げて帰って行った。

由布さんのおかわりは、再びファジーネーブルだった。
高山さんは3杯目のマッカラン。
「由布さん、家の方は大丈夫なのかい」
「旦那がいるから大丈夫よ。高校生の娘も帰っているし、こう見えても時々女子会で飲み歩きしているのよ」
「へ~え、中学生の時、僕のマドンナだった由布さんが飲み歩きかぁ」
「幻滅した?それより、高校生になったとき、高山君をデートに誘ったけど相手にしてくれなかったじゃない」
「いやぁ、あのときは本当に意外で、思い人から誘われるというのが想定外で、狼狽えて首を横に振ったんだよ」
「そんなことだと思ったわ。高山君は昔から自己評価が低かったよね。女子の間では結構評判よかったのに」
「まさか!」
「本当だってば」
「もう一度誘ってくれたら、今頃は稼げる女房を持って、左うちわだったのか。残念なことをしたなぁ」
「フフッ、残念だったわね。美人の妻と左うちわを逃がしてしまって」
「仕方ないさ、人生なんて何処でどう変わるか誰にも分からないよ」
「そうね、仮定の人生を羨んでもどうしようもないわね」

「由布さんにお願いがあるんだけど、高校生の娘さんに、うちの店でバイトをやってくれないかな?」
現実に戻ったように高山さんが訊くと、
「娘の学校ではバイト禁止なの」
「そうか、じゃあ無理だな」
「娘の部活の先輩だった子が今年から大学に通っているから、その子に訊いてあげるわ。私もよく知っている子だから」
「よかった。頼むよ。これで今夜の同窓会に来た甲斐があったというもんだ」
「なに言ってんの。かってのマドンナに会えたのが一番の収穫だったんでしょ」
からかうように笑顔で言った由布さんに
「そうそう、もちろんそれが一番さ」
とこれも笑って答えた高山さんは、
「マスター、お勘定お願いします」

松田さんも含めた割り勘で支払いを済ませた二人は、にこやかに店を後にした。
その後、二人に何か発展があったのか、ですって?
さあ、それはどうでしょうか。
結構いい雰囲気ではありましたが、ご期待のような方向に行くのとはちょっと違うような。
気になって仕方ない!と。
では、一度「名も知らぬ駅」にお出でになって、本人に確かめてみますか
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