自治会がらみで面倒なのは"お祭り"です。
地方の自治会や町内会は、神社がらみのお祭りがままあります。
この神社がらみの祭や、神社に関する経費に自治会費から金を出すことについて、
実はケンケンガクガクの議論があるわけでして、
何故かというと、憲法第20条「信教の自由」が絡むからであります。
憲法20条に信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。とあり、
第2項では何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない、
と謳っているのであります。
神社の祭典費に自治会の金を使うということは、第2項の強制に当たるという解釈です。
憲法第9条をしても、集団的自衛権が発令は可能であるという、
どこをどうつついたらそうなるのか、我々庶民にはとうてい理解しがたい力業を、
知恵はないけど、頭のいい~人たちが考えるくらいですから、
神社祭典費が強制に当たるという解釈は、至極まっとうな解釈であります。
記憶に定かではないが、自治会費からの神社がらみの支出も違法の判例があったように思うのですが、
はてどうでしたっけ。
いずれにしろ、かなりきわどい支出ではありますよ。
神社は氏子といって、お寺さんでいえば門徒と同様でありますが、
穂玖千地区の自治会では、自治会に加入したら自動的に氏子になるのですね。
私なぞ、浄土宗の門徒でありますから、特に氏子になりたいという気も無かったのですが。
それやこれやで、いろいろ考えおりましたら、神社は果たして宗教か?
という疑問にぶつかったわけです。
宗教の主なものは、仏教・キリスト教・イスラム教でありましょう。
いろいろと宗派はありますが、ま、そこは人間様の欲も絡んでおりまして仕方ないのです。
この三大宗教は皆最後に教が付いております。宗教というくらいだからしょうがないですね。
教は付かなくても、○○学会のように教と同じような意味の言葉が付いております。
ところが神社にも神様にも教はないのです。当然教典もありません。
神社にお参りするというのは、信教とはちょっと違うのではないかと思うのですね。
私たちは、神様仏様、お願いします等という言葉を切羽詰まった時に口にしますが、
元来仏様はお願い事を聞くためにはいらっしゃらないのです。
「若くて綺麗なお嫁さんが欲しいです。お願いします。」
というような、「おいおい、その御面相でお賽銭100円で、そりゃあ無理ってもんだ。」
と神様に突っ込まれそうなお願いは、神様にこそするべきで、
仏様にした段には、「色即是空!出家して修行しなさい。」と言われるのがオチです。
ちょっと脇道に外れましたが、神様を信仰するというのは、
仏様を信仰するのとは意味合いが違うように思うのですね。
と言うより、神社の神様に信仰するという言葉は似つかわしくないように思うのです。
全く個人的な見解ですので、いろんなご批判があることは承知ですが、
そういう解釈だと、自治会費から神社祭典費に支出するのは、信教の自由の侵害にはならないかと。
だから、支出していいと言っているわけではないんでして。
だって、自動的に知らぬ間に氏子になるっていうのには、誰だって抵抗がありましょう。
で、結論は?って。
この自治会ネタで結論を出したことがありましたっけ?
あるがままで、今のままで、何か問題がありますか?
もし、「おらぁ氏子になった覚えはねぇ。祭典費の分の金返せ。」
という方が現れた時、
上記のような理屈を振り回して、有耶無耶に煙に巻いて乗り切ろうかという、
いかにも木っ端役人の考えそうなことですよ。
なぁ~に、憲法の解釈なんて、
9条と集団的自衛権を難なく結びつけるくらいです。
解釈次第では玉虫色なのですよ。
地方の自治会や町内会は、神社がらみのお祭りがままあります。
この神社がらみの祭や、神社に関する経費に自治会費から金を出すことについて、
実はケンケンガクガクの議論があるわけでして、
何故かというと、憲法第20条「信教の自由」が絡むからであります。
憲法20条に信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。とあり、
第2項では何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない、
と謳っているのであります。
神社の祭典費に自治会の金を使うということは、第2項の強制に当たるという解釈です。
憲法第9条をしても、集団的自衛権が発令は可能であるという、
どこをどうつついたらそうなるのか、我々庶民にはとうてい理解しがたい力業を、
知恵はないけど、頭のいい~人たちが考えるくらいですから、
神社祭典費が強制に当たるという解釈は、至極まっとうな解釈であります。
記憶に定かではないが、自治会費からの神社がらみの支出も違法の判例があったように思うのですが、
はてどうでしたっけ。
いずれにしろ、かなりきわどい支出ではありますよ。
神社は氏子といって、お寺さんでいえば門徒と同様でありますが、
穂玖千地区の自治会では、自治会に加入したら自動的に氏子になるのですね。
私なぞ、浄土宗の門徒でありますから、特に氏子になりたいという気も無かったのですが。
それやこれやで、いろいろ考えおりましたら、神社は果たして宗教か?
という疑問にぶつかったわけです。
宗教の主なものは、仏教・キリスト教・イスラム教でありましょう。
いろいろと宗派はありますが、ま、そこは人間様の欲も絡んでおりまして仕方ないのです。
この三大宗教は皆最後に教が付いております。宗教というくらいだからしょうがないですね。
教は付かなくても、○○学会のように教と同じような意味の言葉が付いております。
ところが神社にも神様にも教はないのです。当然教典もありません。
神社にお参りするというのは、信教とはちょっと違うのではないかと思うのですね。
私たちは、神様仏様、お願いします等という言葉を切羽詰まった時に口にしますが、
元来仏様はお願い事を聞くためにはいらっしゃらないのです。
「若くて綺麗なお嫁さんが欲しいです。お願いします。」
というような、「おいおい、その御面相でお賽銭100円で、そりゃあ無理ってもんだ。」
と神様に突っ込まれそうなお願いは、神様にこそするべきで、
仏様にした段には、「色即是空!出家して修行しなさい。」と言われるのがオチです。
ちょっと脇道に外れましたが、神様を信仰するというのは、
仏様を信仰するのとは意味合いが違うように思うのですね。
と言うより、神社の神様に信仰するという言葉は似つかわしくないように思うのです。
全く個人的な見解ですので、いろんなご批判があることは承知ですが、
そういう解釈だと、自治会費から神社祭典費に支出するのは、信教の自由の侵害にはならないかと。
だから、支出していいと言っているわけではないんでして。
だって、自動的に知らぬ間に氏子になるっていうのには、誰だって抵抗がありましょう。
で、結論は?って。
この自治会ネタで結論を出したことがありましたっけ?
あるがままで、今のままで、何か問題がありますか?
もし、「おらぁ氏子になった覚えはねぇ。祭典費の分の金返せ。」
という方が現れた時、
上記のような理屈を振り回して、有耶無耶に煙に巻いて乗り切ろうかという、
いかにも木っ端役人の考えそうなことですよ。
なぁ~に、憲法の解釈なんて、
9条と集団的自衛権を難なく結びつけるくらいです。
解釈次第では玉虫色なのですよ。