ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

苗原真澄 -2-

2008年06月29日 | 図南 (南を目指す)
数日後、押川のアルバイト先近くの喫茶店で、真澄と向かい合った押川に、
「デートみたいですね、先輩。」と、真澄はニコニコしてコーヒーを注文した。
「バカ言え。俺はこれからバイトだ。」
「今日はお前に確かめたいことがあって来てもらったんだ。」
それを聞いた真澄は怪訝そうな顔で、「なんですか、確かめたいことって?」

「実はな。」と言って押川は一瞬口ごもった。
対象が坂平と気づかせずに聞き出すにはなんと言ったらいいのか、迷ったのである。
そんな押川を、真澄は特徴の大きな澄んだ眼でじっと見つめている。
「俺がサークル内での恋愛は禁止と言ってるだろう。それでも、もしお前が部員の誰かを好きになったらどうする。」
押川の言葉の意味を推し量るように、しばらく考えた後に、
「その人が私のことを好きでいてくれるなら、一緒に部を続けたいですけど、いまのところそんな人はいないです。」
「じゃあ、逆の場合はどうなんだ。もしそいつがお前に告白して、お前自身は何とも思っていなかったら、どうする」しつこいと思ったが押川は続けた。
「誰かそんな人がいるんですか。」と問いかけた真澄はハッと気づいたように、
「押川さん、誰かから話しがあったんでしょう。」、と逆に押川を問い詰めてきた。
「いや仮定の話さ。今後の参考にしたくてな。」、押川は強引にその話題を打ち切って、幾分気まずい雰囲気で真澄と別れた。

それからしばらくして、役員交代の時期が来た。
サークルを実質的に退く押川は、部室に来ることもそう多くないだろうと、
感慨深く部室を見回しながら、部のコンパに向かった。
2次会が終了すると、そこでほぼ解散となって、
押川が行きつけのスナックの扉を開けたとき、何故か真澄だけがついてきていた。
あまり酒に強くない真澄にしては珍しいことだった。

マスターの、
「おや珍しい。今日は女性同伴ですか。」という声に、押川が、
「女性ってほどのもんじゃないですよ。部の後輩です。」と言うと、
「いえ、私は立派な女性です。もう20才になった大人の女性です。」と真澄が怒ったような口調で返した。
「きれいなお嬢さんですね。」マスターが小さく押川に耳打ちするように言ったのに、 
「なに内緒話しているんですか。」と真澄は突っかかるように押川を睨んだ。
「おまえって、絡み上戸だったか?」押川はいなすように真澄をはぐらかした。

しばらくして、おとなしくなった真澄を見ると、カウンターに突っ伏して眠そうにして、何か呟いている。
「なに言ってんだ、聞こえないぞ。」と押川が言うと、真澄はスッと頭を起こして、
「私、押川さんのこと大嫌いです。」と言って再びカウンターに顔を伏せた。
押川は、真澄から感情的な言葉を聞いたのは初めてだったので、驚きを隠せなかった。
苦笑しながら、マスターに、
「嫌われちゃったようです、俺。」と言うと、マスターは、
「そんな朴念仁なところが嫌いっていうことでしょう。」と返した。

すっかり酔った真澄を、押川はタクシーに押し込むと、アパートまで送り届けた。
その翌日から、来年卒業を控えた押川たち学年の部員は、
部室に行く機会もめっきり減って、真澄と会うこともほとんどなくなった。
あの夜、スナックで真澄が押川に言った言葉の真意も、
いや、それ自体が戯れだったのかどうかも確かめることなく押川は卒業した。

15年ぶりの真澄との再会から、飲み会の会場へ行く間に押川は、
あの時のことを真澄は覚えているだろうか、
覚えているとしたら、自分が問うたら、その真意を明日話してくれるだろうか、そんなことを思いながら歩いていた。
決してそんな問いを発することはないだろう、と自分では分かっているのに。

※この話及び登場人物はフィクションです。

苗原真澄 -1-

2008年06月29日 | 図南 (南を目指す)
押川正一は、K市繁華街の界隈にとったホテルを出て、ゆったりと会場に足を運んだ。
今夜は、先輩の蓮本をはじめ、押川の来訪を聞きつけて5,6人サークルのOBが集まる予定になっている。
待ち合わせ時間まではまだ30分以上ある。
アーケード街では、今日は何かの催し物が会っているようで、
いろんな団体がダンスのパフォーマンスを披露していて賑やかだ。

子ども中心のよさこい風ダンスをぼんやりと見ていたとき、
「もしかして、押川さん?」と、柔らかな女性の声がした。
声のした方を振り返った押川は、一瞬戸惑ったものの、
卒業以来、15年ぶりの邂逅であったにもかかわらず、すぐに後輩の苗原真澄をそれと認めた。
「苗原?」
偶然への驚きで、押川の声は幾分甲高いものになっていた。

苗原真澄は、K大学OSC(Overseas Study Circle)で、押川の2年後輩になる。
「今は立木です。立木真澄になりました。」
「そうか。どこかでゆっくり話でもできればいいんだが、実はこれから蓮本さんたちと飲むことになっているんだ。」
「私も、これから夕食の準備がありますから。」
「どうだ、明日にでもよければ会えないか。」
押川は、いかにも名残惜しくて真澄を誘った。
真澄はしばらく思い巡らしていたが、
「明朝10過ぎだったら、多分大丈夫と思います。」
「じゃあ、是非。」と押川は、待ち合わせの店を真澄から聞き、蓮本たちの待つ店に向かった。

苗原真澄がOSCに入部してきたとき、押川はサークルの会長だった。
真澄の同級生の入部者は5人いて、男3,女2という構成だった。
真澄は独特の雰囲気を持つ学生で、
入部間もなく、サークル内の先輩や同級生の男たちの関心の的になった。
押川は敏感にその空気を察していたが、会長という立場もあって、
「部内での男女交際は一切禁止!」という決まりを徹底させようとしていた。
部内での男女交際がこじれると、両方とも退部していくケースが多いのがその理由だった。
それでなくてもマイナーなサークルなのである。

真澄は、自分がサークル内の男たちにそんな風に思われていることには全く関心がないのか、
それとも気づいていないのか、押川には量りがたかった。
そういう中で、毎年恒例の30㎞完歩行事の日がやってきた。
真澄たち新人部員は初めての挑戦である。
毎年やっている押川たちでも、結構な体力勝負なのだ。
ましてや、受験に明け暮れ、基礎体力のおぼつかない新人部員にとってはかなりの苦行である。

スタートはにこやかな雰囲気で始まった。
先頭は経験のある井波がペースメーカーとして歩き、最後尾は押川が拾い上げる形で歩いていた。
約4時間歩いて、ほぼ半分を制してからの昼食まではみな元気である。
いつもながらの昼食の光景を見ながら、押川は、心配されそうな2,3人の様子を観察していた。
真澄もその中の一人だった。

1時間ほど休憩後出発した一行は、徐々に縦長の列になり、
先頭の井波の姿は、押川からは時々見えないくらいに離れているようだった。
押川のすぐ前には真澄がいる。
それまで一緒に歩いていた同級生の女子部員とは、明らかに歩くペースが違ってきていて、
それで、その子を先に行かせたようだ。

「大丈夫か。」押川は真澄に声をかけて並んだ。
「ええ、踵が少し痛いんですけど、大丈夫です。」と少し庇っているような歩き方をしている。
「見せてみろ。」といって、押川が真澄の歩きを止めさせて、靴を脱ぐよう指示した。
真澄は素直に、痛む方の靴を脱いで、踵を見ると、明らかな靴ずれである。
押川は持参したリバテープを2枚差し出して、
「これを貼っとけ。多分これで楽なるはずだから。」
「ありがとうございます。」真澄は素直に受け取ると患部にテープを貼り、靴を履くと再び歩き始めた。
「だいぶ楽になりました。」押川ににっこり微笑むと元気な足取りになった。

残り10㎞ほどは、押川は真澄と一緒に歩いたことになる。
お互いの出身地や、サークルに入った動機や、
そんなことで真澄の気を痛みからそらしながら、やっとゴール地点に着いたとき、
「ありがとうございました。」じっと押川の眼を見た後、丁寧に押川に頭を下げ、
真澄は同級生の女子部員のところに手を振りながら歩いていった。

それから半年以上が過ぎ、真澄たちもサークルの戦力となり始めた頃、
大学祭の熱気も去り、それでもどことなく一つの大きな行事をなし終えた後の名残をとどめている時期、
真澄と同級生の、坂平が、
「押川さん、実は相談があるのですが。」と、部室で小さな声で言ってきた。
「おう、なんだ?」と言う押川に、
「今晩押川さんちに行っていいですか。」坂平は、そう言って、押川の了解を得ると部室を出て行った。

その夜の坂平の相談事というのは、真澄のことだった。
坂平は入部したときから真澄を好きで、いまだ付き合ってはいないが、真澄がよければ付き合いたいという話しだった。
押川の男女交際禁止令を真面目に受け取った坂平が、押川の了解を取りたいということだった。
押川は即座に、
「止めたがいいぞ、坂平。」
「もしお前が真澄に告白して、真澄にその気がないということになったら、それでも同じ部で活動できるか。」と坂平を諭した。
押川の冷静な目で見る限り、真澄にその気はないだろうということは分かっていた。

しかし、坂平の気持ちを止めることができないことも、押川には分かっていた。
異性を思う気持ちは、そんな理屈でやめられるようなものではない。
押川は坂平に提案した。
「真澄の気持ちがどうなのか、それとなく俺の方から聞いてみる。」
「もし真澄がお前のことを何とも思っていなければ、何もなかったということで部を続けろ。」
坂平は渋々納得して帰って行った。(続く)

※この話及び登場人物はフィクションです。

石原辰巳 -2-

2008年06月12日 | 図南 (南を目指す)
翌年3月、アフリカでの研修を終え、インドのムンバイ近くの田園地帯で仕事をしている石原を訪ねるため、
押川はムンバイの飛行場に夜9時過ぎに着いた。
手紙で到着日とフライト便名を送っていたので、当然出迎えに来ているはずの石原は、1時間待っても来ない。
押川はやむを得ず空港を出て、リキシャを雇い、運ちゃんの案内で木賃宿をとった。

翌朝、バスで石原の赴任地に行くことになった。
不安はあるが仕方ない。それよりもっと切実な問題が押川にはあった。
ムンバイに降りたときに、押川のサイフには、たった25ドルしか入っていなかったのだ。
既に、宿やリキシャなどで5ドルは消えている。
どうしても石原に会わなければならない理由がそこにあった。
だが、石原の赴任地で話を聞くと、押川を迎えに行って、ムンバイ市内のホテルにいるはずだという。
押川はとんぼ返りでムンバイに戻った。

教えられたムンバイのホテルで尋ねると、確かに石原は昨日チェックインしているという。
部屋のドアをノックすると、「うぉーぃ」といった懐かしい声がして、
ドアが開き、石原は驚いたような顔をして押川を見つめた。
「なんだ!お前が来るのは今夜じゃなかったのか。」
石原は押川の着く日を1日間違えていたのだ。
押川は腹が立つより、会えたことで力が抜けるほどホッとしていた。
「これで金の心配しなくていい」と。

石原は、東京で会社勤めをしているときも、
「オレは故郷のK市に帰って、屋台のラーメン屋をするのが夢だ。」と言うような男で、
世の常識にすんなりと当てはまるような人間ではなかった。
それが彼の魅力である一方、その分危うさも持ち合わせていて、
周りの人間に、石原はいつか破綻するのではないかという危惧を持たせてきた。

その危惧が現実のものとなったとき、石原はアルコールの世界に逃げ込んでいた。
押川が2年前に、別な先輩の助けを借りて石原の住むアパートを探し当てて行ったとき、
石原は既に、食事代わりに焼酎を飲むような状態だった。
言動は投げやりで、生きているのが嫌なのだというように焼酎を煽っていた。

その変わり果てた姿に、押川はただ悲しかった。
アフリカに行く前後にあれほどお世話になった石原に、
なんの恩返しもできないまま、石原が壊れていくのを見るしかないのか。
決して誰の忠告も受け付けないまま、石原はきっと崩壊するだろう。
石原は、そういった頑なさを昔から持っていて、
そのことは誰もが感じていたのだ、とその時押川は思った。

「押川さん、今回はお誘い本当にありがとう」という初参加の女性の声に、
押川は石原への思いを閉じ込め、
「いえ、皆さん楽しみにお待ちですよ。」と言って手を差し出した。

石原が今どんな暮らしをしているのか、押川は知らない。
石原の同級生の先輩に尋ねても、誰も知らない。
大都会の真ん中でも、飄々としていた石原の姿や、
ムンバイの最高級ホテルのランチバイキングにもまた、
サンダルとTシャツで食べに行った石原の衒いの無さを、
押川は石原の本当の姿だと、心に留めておくしかないと思い定めた。

※この話及び登場人物はフィクションです。

石原辰巳 -1-

2008年06月12日 | 図南 (南を目指す)
かんぽの宿阿蘇、1階のロビーには男女合わせて10名ほどの学生と、50代の男性2人が打合せをしていた。
学生たちはK大学OSC(Overseas Study Circle)というサークルのメンバー。
打合せに参加している男性2人は、そのサークルのOBである。
押川正一と高倉良二、いずれも大学を卒業して35年を過ぎている。
押川が、今日開催されるサークルOB会の幹事で、
後輩の高倉は、そのサポート役である。

OB会は、現在2年に1回の開催。
以前は4年に1回だったが、押川の提案で期間を半分に縮めた。
押川の5年ほど上の先輩から、5年下の後輩までくらいがOB会参加者のピークで、
彼らの年齢を考えると、4年に1回のサークルは間隔が長すぎると判断したからである。
この提案は、先輩たちからは無条件に歓迎された。
ただ、それと同時に言い出しっぺの押川に幹事役が回ってきたのである。

集合時間が近づくにつれ、次々とOBたちが来館始めてきた。
遠くは千葉から、大学卒業以来始めて参加するという女性がいて、
この方の参加は、押川の先輩たちにとっては実に喜ばしいことだったようだ。
受付や部屋割りは既に現役学生に任せてある。
押川は、先輩後輩と久々の邂逅に顔をほころばせながら握手を繰り返す中で、
今日、いや今後も決して参加することのないだろう、一人の先輩に思いを馳せていた。

押川がK大学に入学して、OSCに入部したのは5月だった。
その時の4年生に石原はいた。
青々とした剃り跡の濃い、いくらか威圧するような風貌の中で、
眼だけはくるりとして、人をからかうような、おもしろがるようなところがあって、
実際話しをすると、その人なつっこさが押川を惹きつけた。

石原と押川のつながりが一挙に強くなったのは、それから3年後のこと。
1年間休学してケニアに行く押川は、その準備で20日ほど東京で過ごしたが、
東京で就職していた石原にはずいぶんと世話になっている。
その石原も、5月に押川をアフリカに見送ったあと、9月からインドに行っている。
仕事を辞め、海外青年協力隊の一員として、2年間の赴任であった。(続く)

※この話及び登場人物はフィクションです。