ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

上海万博

2010年04月30日 | 中国を思う
上海万博が明日開幕する。
40年前、いわゆる70年安保の年、1970年に大阪万博が開催され、
その年、大学を1年休学してアフリカに渡った。
いろんな意味で人生の転機となった年だったことを、
そしてあまりに若くて思慮が浅い人間だったことを、今更ながらに感じる。

今年、本格的に中国を旅行することになる。
ツアーで行ったことはあるが、個人旅行は初めてになる。
何故今まで中国旅行を避けていたのか、
それはある事件をきっかけに、中国に旅行する意志が失せ、
それが改善されるまでは行くまいと誓ったからだ。

いまだに改善されない状態で、それでも旅行する気になったのは何故か。
やはり、中国列車大紀行を見たのが最大の理由だろう。
世界中何処でも、国家のあり方は様々あって、
そのあり方に賛同できないとか、嫌悪感を感じたりとか、
人それぞれの信条で、これまた様々な感想を持つのは仕方ない。

しかし、国家のあり方がどうあろうと、
そこに暮らす人々は、今の自分の日常とさして変わらない日常を送っていて、
国を抜きに接したとき、人間というのは結局のところ、
良きにつけ悪しきにつけ、皆同じなのだという原点を見る。
そうであるなら、国家のあり方を理由にその国を訪れないのは、あまりに狭量というものだ。

だから、上海万博には行かない。
1970年の日本と同じく、国家の威信をかけた万博を見るより、
自分の故郷から出たこともないような人々と話し、
地元の酒を飲み交わし、彼らの行きずりの友となることを選ぶ。
それが中国を旅行することにした一番の理由で、最大の目的なのだから。
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晴耕雨読

2010年04月29日 | 農作日記
晴耕雨読というと聞こえがいいが、要するに暇だということだ。
ジャガイモは3月に植え付けて、マルチの下から芽が出ていたので、
つい先日マルチのその部分を切り取って芽を出してやった。

つくね芋とショウガは同じ日に、やはりマルチを張って植え付けてきた。
その日は、里芋のための畝を4条ほど作ったが、
これでは絶対的に足りないので、昨日昼から出かけて、5条ほど畝を作ってきた。
それでも実質2時間半ほどの鍬作業で、結構草臥れた。

晴耕の秘訣は急がないこと。
早く畝を作ろうと気が逸ると、身体の負担が大きい。
休み休み、腰が痛くならないよう気を配りながら作業をするのだ。
そうすれば結局のところ長く作業できて、多くの畝を作れる。
ウサギとカメの教訓か。どうせ時間はたっぷりあるのだ。

今日はその畝に里芋を植え付けていく。
収穫は10月になる。肥料は元肥を入れてあるので、大丈夫だろう。
有機肥料の無農薬が我々の畑のコンセプト。
楽しみながらやるからできるので、商業ベースでは赤字になるだろう。

5月には夏野菜の植え付けか。
キュウリ、茄子、ピーマン、豆類、シシトウ、トマト、等々。
季節のものは、その季節だからこそ美味しい。
晴耕雨読は、そのことを強く意識させることでもある。
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桜紀行2010  その5 -広島-

2010年04月24日 | 桜紀行2010
岡山の夜は、私の希望で大衆居酒屋だった。
友人がしきりに恐縮したが、地元の人間しか来ないまさに大衆酒場。
値段も安いし、話をして家も誰も気にしない。
ままかりやタコなど、岡山の美味いものをいただいて、
2軒目は、友人お勧めの雑炊屋さんで〆とした。

学生時代の思い出話に花が咲き、
お互いに年を取って同じような家庭の悩み事、
健康や生き甲斐について話している内に10時を過ぎた。
来年3月のOB会での再会を誓って別れる。

翌朝は、朝食後7:30にはホテルを出、広島に向かう。
途中尾道に寄りたかったので早出となった。
尾道駅に降りるとしとしと雨が降っている。
一見なんと言うことない港町。

尾道宣伝のポスターに写っている坂道に偶然足を踏み入れるが、
雨のせいか、あまり感慨が湧かずに駅に帰る。
映画「時をかける少女」の舞台となった町で、それもあって一度は来てみたいと思っていたが、
う~ん、思っていたのとはちょっと違うかな。
やはりこのしとしと雨のせいでしょう。

尾道から広島までやはりJRで移動。
広島駅に着いて、まずは荷物をコインロッカーへ。
その後五日市駅まで再びJRに乗る。
五日市駅に降りると、広島造幣局の「桜の回り道」会場までシャトルバスが待っていた。

シャトルバスを降りてしばし歩き、造幣局に着く。
大阪ほどの規模はないが、爛漫の桜が咲き誇っていた。
今日が初日とあって多くの人が見に来ている。

 広島造幣局の桜







帰りは歩いて駅まで行き、JRで広島駅に帰る。
広島市電に乗りホテルに向かう。
ホテルは銀山町電停近くで、流川通りにも近い。
夜は歩いて、八丁堀まで行き、「みっちゃん本店」で広島焼きのうどんの方を食べる。
量が生半可でなく、生ビール一杯とそのお好み焼きで満腹。
今夜は会う予定の人とてなく、一人寂しく宿に帰る。

翌朝は、「そごう」にあるバスセンターから高速バスにて福岡博多駅バスターミナルへ。
そこで高速バスを乗り継いで、熊本は植木のインターで下車。
上さんの迎えに会う。

これにて桜紀行2010年は終了。
今年は桜が咲いてからの気候が冷涼だったので、
ずいぶん桜を堪能した。
来年は何処に行こうか。
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桜紀行2010  その4 -姫路-

2010年04月23日 | 桜紀行2010
大阪造幣局の桜を見た後、大阪駅に帰り、JRで姫路に向かった。
姫路駅に降り立ったのが、昼過ぎだったので、
姫路城に行く前に、商店街にあるこじゃれた店で、
姫路名物(?)穴子膳をいただいた。穴子づくしのちょっとセレブな昼食でした。

駅前から真っ直ぐな道を行くと突き当たりに姫路城がある。
白鷺城と言われ、日本三名城には入っていないが、優雅な城である。
丁度天守閣が工事中で中には入れなかったが、
そこに至る道の途中はなかなか風情がある。
二本差しの武士が、この道を行き来したのかなどと、昔に思いを馳せる。

城の敷地内には桜が多く、大手門から入場口に至る道沿いに桜が植えられていて、
桜の向こうに見える姫路城はまた格別の味わいがある。
所々芝生に座って、花見をしている人もいて、
少し気温は低かったものの、のどかな昼下がりだった。

桜と姫路城




ブラブラして4時前には姫路を出て、岡山に向かう。
岡山の後輩は、学生時代に一緒に暮らしていた男で、
夜のキャバレーでウェイターのアルバイトも長らく一緒にやっていて、
そういう意味では結構長い付き合いなのだが、
お互い職を持ち、家族を持つとなかなか行き来がなくなってしまう。
久しぶりの再会を楽しみに岡山のホテルに着いたのは、5時前だった。
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桜紀行2010  その3 -大阪-

2010年04月22日 | 桜紀行2010
さて、奈良から大和路快速で大阪入りした夜。
友人、後輩と飲んだが、後輩が強かに酔ってへべれけになり、
タクシーに乗せたものの、いささか心配だった。
そういう自分も相当飲んでいたようで、ホテルに帰るなりすぐに寝た。

翌朝が桜の通り抜けの初日だったので、9時過ぎにチェックアウト。
大阪駅に行って荷物を預け、JRで大阪造幣局を目指す。
最寄り駅で降りてしばし歩くと川に出る。
その向こうが目指す場所だ。
と、橋の上で、大阪のテレビ局の「ミヤネヤ」が取材中だった。

大阪造幣局の桜はそのほとんどが八重桜と言われる種類のもので、
八重桜はソメイヨシノなどに比べると開花が遅く、毎年今頃が見頃である。
約500メートルの両脇にびっしりと咲き誇る桜。
桜にもこんなに種類があるとは知らなかった。

以下が桜の通り抜けの桜々々・・・







白、ピンク、赤、薄緑、様々な桜がある。
時間が経つにつれ人は多くなり、中には中国人ツアー客もいる。
なんと、場内放送が日本語と中国語のバイリンガルである。
桜並木に圧倒され、満喫して造幣局を後にする。

この後は、姫路城を見物して、岡山に向かう。
大学の後輩に約10年ぶりの再会をする。
2年に1回のOB会があるのだが、諸事情で参加できないらしく、
学生時代に一緒に住んでいた後輩でもあるので、
近況視察がてらの訪問でもある。

大阪駅に戻り、荷を出して、まずは姫路駅を目指す。
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