ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

車検を迎える

2022年01月29日 | 日記(?)
愛車のマツダCXー3が3回目の車検を迎えた。
日頃あまり使用しないので、7年で4万㎞未満の走行距離である。
2年間のメンテナンス契約をディーラーと結んでいる。
そこで半年前の点検で、バッテリーとタイヤの交換を勧められていたが、
合わせて20万円の見積もりに愕然として、先ずはバッテリーはネットで購入して自分で交換した。

最近、アイドリングストップが動作せず、システムエラーの警告ランプがつくようになっていたので致し方なくということもあった。
このバッテリー交換は昔の車に比べて、なかなかに厄介な手続きが必要なのだ。
アイドリングストップ用のバッテリーは重量が半端なく重くて、且つ高価である。
それにもまして、コンピューター制御が主流になった現在では、
バッテリー交換で電源を失うと、メモリーのいろんな部分でデータが失われる可能性がある。
そこで、1500円くらいで購入できるメモリーキーパーという機器を使ってデータの消失を防ぐのである。
バッテリーの交換で最も大変だったのは、設置部分が狭くて、その上バッテリーの重さが腰を痛めるほど重く、
取り出すのも四苦八苦、設置するのはそれ以上に苦労したものだった。
何とかバッテリーを交換した後、アイドリングストップの設定、運転席窓のオート開閉の設定をして、
やっと普通に運転できるようになった。

タイヤの方は、専門店で見て貰ったら、まだ大丈夫だということだった。
何せ、4本交換で10万円もする代物なのだ。簡単には交換できない。
今回の車検では取り敢えずタイヤはこのままでといってお願いしてきた。
今日ディーラーで代車を借りて帰ってきた。


クロスオーバーのCX-30。四の五の言ってもやっぱり新車はいいなぁ

さてその代車は、CX-30。
CX-3ではメーター機器類の上にパネルが出て、そこに直接速度や車間距離の情報が写るようになっていたが、
CX-30ではパネルがなく、フロントガラスに表示される。
車の現在の速度とその道の制限速度情報、追い越し禁止等の規制情報が表示されているのにはおったまげた。
座席の前後移動やリクライニングは電動で、軽く触れるだけで作動する。
もちろんサイドブレーキも電動である。駐車時にはアラウンドビューモニターも作動する。
車の進化はめざましい。
人はますます堕落するのだ、と悔し紛れに「これは人間を駄目にしちまうぞ」と呟きながら帰った。

この代車は、そろそろ替え時の私に、最新車を購入させるためのアピールに違いない。
やっぱり新車はいいなぁ、と。
ダマサレンゾー!
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名も知らぬ駅に来ませんか -20-

2022年01月26日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
さて、前回のー19ーに引き続き、5人連れ老人(失礼)の学生時代の思い出話、その第二弾です。
今回の話し手は春山さん。
飲むのはいつものように、スコッチの雄「ボウモア12年シングルモルト」をロックでちびちびと飲みながらの語りです。
ボウモアは、スコットランドのアイラ島にあるボウモア蒸留所で作られている。
海のシングルモルトというキャッチフレーズで世に出ているスモーキーなウイスキーである。


スコッチのシングルモルトでは平均的なお値段です

春山さんが右隣の方を向き、
「坂崎、ミカン畑の話、覚えているか?」
と問うと、声を掛けられた右隣の坂崎さんが、
「覚えておらいでか!」
と、にやっと笑って答えた。

では春山さんの話  ーピンハネわらしべ長者(私が名付けさせていただきました)ー
前回同様敬称略で。

その時「創志寮」の居間で窓を開け放って寛いでいたのは、春山と坂崎、それに同居の後輩の吉永の三人だった。
開け放った窓の外を眺めていた吉永が、
「春山先輩!向こうのミカン畑を見てください!」
と、谷を挟んだ反対側の丘陵にあるミカン畑を指さした。

「創志寮」は大学の農学部実習所のそばにあった。
二つの丘陵に挟まれた浅い谷の部分には実習用の畑があり、
一方の丘は実習用のミカン畑、反対側の丘に創志寮という配置だ。
以上のような地形なので、創志寮の居間からは実習用のミカン畑が障害が何もない状態で見通せた。

吉永が指さしたミカン畑を見ると、2人の若者がミカンをちぎっている。
しきりに辺りを見回す様子がどうも怪しい。
それに今日は日曜日で、農学部の実習は休みのはずである。
人がいるはずもなく、ましてミカンを収穫するなんてあり得ない。

「坂崎、行こうや」
すっくと立った春山が坂崎に声を掛け、
「よっしゃ」
坂崎は即座に反応して立ち上がる。
何のことかと怪訝な顔で二人を見上げる吉永に、春山が
「なにぼーっとしとるんや。お前も行くぞ」
と言って、三人揃って取り付け道路に出た。

春山を先頭に、ミカン畑の木立に隠れるようにそっと若者2人の背後に近寄り、
「君たち、何をしよるんな」
がたいがよく、かつ強面の坂崎が低い声で声を掛けると、
高校生と思える2人はビクッとした動作で、「アッ!」と声を出して振り向いた。
「僕たちは大学農学部の学生やけど、このミカン畑が農学部の所有と知ってるのかな?」
丁寧だけどドスの利いた声で、堂々と身分詐称(坂崎は法学部)をした坂崎は、
「もしかして、君たちはミカンドロボーかな?」
と続けるや、2人の高校生はすっかり恐れ入って、
「済みません、済みません」
と言って、ちぎったミカンが入ったレジ袋を坂崎に差し出した。
「そうか、今回だけは見逃してあげるけど、ミカンであっても無断で盗ってはいけないよ」
坂崎はその袋を受け取り、いかにも鷹揚な先輩という態度で2人を解放した。
春山と吉永は吹き出しそうになって、その寸劇から顔を背けていた。

「春山、ということでここにミカンが残ったが、どうする?」
坂崎が創志寮に向かいながら春山に問いかけた。
「農場は休みだから、事務所に行っても誰もいないし、届けようもないな。捨てるわけにもいかんし、腐っても粗末になるしなぁ」
思案していた春山が
「俺たちで食うしかないか」
と言うと、坂崎が
「もしかしてお前、最初からそのつもりだったんじゃないのか」
呆気にとられたように春山の顔を見た。

創志寮の居間に腰を下ろした春山はしばらく経って二人に向かって、
「いい考えがある。今から出かけるぞ」
早くも立ち上がろうとしている。
「何処に行くんだ。もう昼になるぞ」
坂崎の問に、
「増本先輩の家で昼飯を御馳走になろう」
春山が答えて、
「そんな厚かましいことはできんぞ。いくら先輩でも約束もなく昼飯なんて」
坂崎が呆れて春山を諫めた。
「な~ん、大丈夫さ。このミカンを手土産にすれば遠慮は要らんよ」
春山は堪えた様子もなく言った。

「おまえなぁ、ミカンドロボーの上前をはねた上に、それを使って昼飯に預かろうって言うのか」
坂崎はますます呆れた顔になった。
その二人の掛け合いを見て吉永はクスクス笑っている。
「俺たちビンボー学生はそうでもしなきゃ美味い飯にはありつけんだろ。増本さんは社会人だから大丈夫さ。それに今日は日曜日だから妹の沙紀ちゃんもいるはずだ。坂崎の憧れの沙紀ちゃんが手料理作ってくれるかもな」
春山の殺し文句に仕方なくといった風に立ち上がった坂崎は、
「吉永!お前も行くぞ」
と後輩に声を掛けた後、
「しかし春山、このミカンのことを先輩にどう説明するんだ。ドロボーの上前をはねたなんて、沙紀ちゃんのいる所じゃとても言えんぞ」
坂崎が春山に言うと、
「フフッ、悩ましいな坂崎。悩まぬ豚より悩めるソクラテスになれって、スチュアート=ミルも言っているしな、悩め悩め。サカザキ=ソクラテスよ」
春山が揶揄うようにサカザキに言った。
「バカにしやがって、もうやけくそだ、昼飯、昼飯、沙紀ちゃんだあ」
坂崎は訳の分からないことを言って先頭に立った。

吉永は、「悩めるソクラテス」はちょっと使い方間違っているんだがなぁ、と関係ないことを考えながら先輩達の後をついて行った。

その三人が昼飯にありついたかって?
いやいや、それより沙紀ちゃんの方が気になるですって。
もちろん私は聞いておりますよ。
お知りになりたいなら、名も知らぬ駅においでください。こっそりお教えします。
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名も知らぬ駅に来ませんか ー19ー

2022年01月23日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
カウンターに5人の老人(失礼!)が賑やかに並んで座っている。
昔話に花が咲いているようだ。
真ん中にいるのが春山さんで、時々顔を見せてくれるお客さん。
連れの4人は、春山さんが連れてきてくれた初見の方々である。
大学の同じサークルの仲間で、サークル創設50周年記念会の集まりがあったようだ。
当時の設立メンバーがここにいる5人だったらしい。
学生時代の話が盛り上がっていて、聞くともなく聞いていた中で面白かった話を二つ紹介しましょう。

上園さんの話 ー 井波消失の謎(と私が名付けさせていただきました)ー
ソルティドッグの残りをグッと飲み干して上園さんが話し始めた。以下敬称略で。

学生時代に上園は春山や後輩等と4人で一戸建てを借りて同居生活をしていた。
海に面したこの街では、住宅地になる平地が少ないので、傾斜地を削って造成している住宅地が多かった。
上園達が借りていた住居も同様の場所にあり、しかしあまり交通の便がよくなかったので、
2軒並びの家があるだけの、他はほぼ農地になっていた。
上園達が「下の道」と呼んでいた取り付け道は、家から4m位下を通っていた。
家の裏は傾斜地を削った裏山になっていて、まだ小さな雑木が混じった雑草地の小さな丘で、
居間の前は傾斜地の崖(といっても傾斜は50度くらいか)の部分にあたり、居間から3mほど先は細い竹がびっしり生えた崖になっていた。
崖の手前には横に細長く花壇が作ってあったが、学生4人の住まいでは花の一輪もなく、名前だけの花壇だった。
家が建っている土地の造りはこの話に深く関わることなので、少しクドいほど説明させていただいた。

上園は同級生と下級生2人の4人で暮らし、朝食と夕食は4人で当番を交代しながら作っていた。
「創志寮」などといういっぱしの大げさな名前をつけていた。
志って何処にあるの、まともな人から見ればそう言えるような生活をしている家ではあったが、大言壮語は学生の特権か。
4人の共同生活の場所は、サークル仲間の溜まり場でもあり、金がないときの飲み会の会場でもあった。

その夜はサークル仲間10人ほどが集まり、6時頃から飲み始めていた。
2時間ほど過ぎた頃、上園はふと気付いて春山に
「おい、井波は何処行ったんだ?」
その声に座を見回した春山は
「あれっ、さっきまで隣にいたはずだけどな」
と怪訝そうに答えた。
井波は上園の同級生だが、別にアパートに部屋を借りていた。
「創志寮」で飲むときは欠かさず来るような呑兵衛で、その割には早々と酔う、人のいい好漢だった。

「お~い、誰か井波を知らないか?」
と、春山が座にいる部員達に声を掛けると、
後輩の一人が、
「さっきションベン、ションベンって言いながら、そこの窓を開けて花壇の方に出ましたよ」
上園と春山が外を見るが、井波の姿はない。
念のためと、上園が居間の外にある花壇のところにまで行くと、どこからか声がする。

「誰か助けてくれ~!」
その声がどこからするのか瞬間分からなかったが、2度目の「助けて~」を聞くと、
どうやら庭先の竹藪になった崖下の方から聞こえる。
「井波!何処や~?」と大声で問うと、
「下!した!SHITA!」
と井波の必死の声がする。
花壇の端から崖下を見るが、竹藪が邪魔になって井波の姿は見つからない。

上園は春山と後輩3人ほど連れて、取り付け道路を回って家の崖下に着き、
上を見上げると、下から1mほどの竹の間に井波が見える。
酔っているせいもあるのか、竹藪の中で藻掻いている井波はなかなか抜け出せない。
5人で何とか井波を引きずり下ろすように竹藪から助け出した。
落ちたところが竹藪のクッションだったためか、2,3カ所の擦り傷で済んだのは幸いだった。

井波は酒席に戻ると、
「スマン、死ぬかと思った」
と真面目な顔で謝って、皆の笑いを誘った。
かなり酔っていた井波は、小用を足そうと居間の外の花壇から竹藪に向かって立っていたところ、フラついて落ちたらしい。
そのような弁解をする井波に上園が、
「落ちたのはションベンする前か、それともしている途中か、どっちや?その答え次第では服を着替えんで一緒に飲むのは罷り成らん!」
真剣な声で問い詰めるのに、
「あんまりビックリしてそんなことは分からん」
井波は憮然とした様子で言葉を返す。
そこに、後輩の女子部員が井波の側に寄って、仔細に井波の服、とくにズボンを点検していたが、
「大丈夫です!する前のようですウ」
と、全員に向かって宣言するや、座は大笑いに包まれた。
井波はますます憮然とした様子で、盃を傾けた。

「覚えとるや井波」
上園さんが隣の席に顔を向けると、
「そんな昔のことを覚えてるわけがあるか」
井波さんはやはり憮然として答えた。
どうやら、春山さんの奥の席が上園さんで、そのまた奥が井波さんか。
学生時代の仲間と会うと、50年経っても一瞬で当時まで時を超えるようだ。

あなたも学生時代のオモシロ話があるんですか。
では是非名も知らぬ駅に来て、ご披露ください。
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あれから2年

2022年01月22日 | 日記(?)
最後に海外旅行に行ったのはいつだったのかと、ふと思い返してみるに、2年前のことだった。
東南アジアの主な国でまだ未踏の地、フィリピンはマニラに行ったのだった。
2020年2月の初め、武漢で猛威をふるう新型コロナウイルスの海外での感染流行の始まりはあったが、
フィリピンの感染者は一桁代だったので、予定通り友人を訪ねてマニラに向かった。
ホテルに入るときは、検温消毒の関門があって、
フィリピンでもコロナ感染にかなり神経質になっていることを思い知らされた。
その顛末は、以下。
https://blog.goo.ne.jp/luckyriver2014/e/03a360acca7d818891b5d43efb3ad649

それから2年たった今、当時の予想に比べてウイルスは世界中で猛威をふるい、
2年後くらいには海外に行けるかなという楽観的な予想は打ち砕かれて今に至る。
次々に発生する変異株の、今、桁違いに感染力が強いオミクロン株の爆発的感染で、海外はますます遠い。
ある予測によると、2024年頃には海外に自由に行けるだろうとあるが、果たしてそう上手くいくだろうか。

効果的なワクチンと適切な治療薬が出ればその願いも叶うだろう。
しかし年月が過ぎるごとに自分も老いていくことを考えると、果たして再びの海外はあるのだろうか。
体力・知力とも落ちないようにと、ある程度気をつけては生活しているが、年齢には勝てないこともある。
ま、海外だけが未知への旅ではあるまい。
日本国中知らない土地は果てしないほどあるのだ。

焦らず、じっくりその時を待とうではないか。
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梅酒の梅を始末する

2022年01月19日 | 日記(?)
昨年も梅酒を作った。
原料はもちろん梅とアルコール。
アルコールの種類は、日本酒・芋焼酎・米焼酎・ホワイトリカー・RAKI(ラクといい、トルコの焼酎)等。
RAKIなるアルコールが何故あるかよく分からないが、多分細君が娘とトルコに行ったときの土産かな。
昨年の暮れに全ての梅を取り出して、梅酒を種類別に瓶に移した。

先ずは梅酒を味見した感想。
日本酒原料は大変まろやかで優しい梅酒になっている。
焼酎類は、芋の方が米のものより少しコクがある。
ホワイトリカーは普通の梅酒。
RAKIは元々の臭いが強いので、好みが分かれるところ、と言うより薬っぽい。
養命酒と思えばいいかも、なんていうレベル。

で、これらを作った梅が大量に残ってしまった。
捨てるには勿体ないので、昨年同様、一部をカレーなんかに用いるチャツネに仕立てる。
RAKIに漬けておいた梅は焼酎の香りが移っていて臭いが強く、ジャムには不向きだったので、これをチャツネにした。
残りは梅ジャムに仕立てる。作り方は自己流なので、チャツネもジャムもほぼ同じ。

梅を圧力鍋で5~7分炊いて圧力が抜けるまでしばし待つ。
その後、しゃもじで鍋を掻き混ぜると梅の実と種が分離する。
その中から種を取り除き、梅肉だけを煮汁と砂糖を加えて30分ほど弱火で掻き混ぜながら煮詰めていく。
10分ほどすると、混ぜているしゃもじが重くなってくる。
さらに15分以上混ぜるとほぼ水分が取れ、粘り気も増してジャムの状態になる。
チャツネの場合、砂糖を控えめにする。梅自体に梅酒の氷砂糖が染みているのであまり必要ない。
ジャムはさらに砂糖を加え、塩をひとつまみとレモン半分のレモン汁を足す。

チャツネはご存じの方も多いと思うが、マンゴなどフルーツから作ることが多い調味料である。
カレーを作るときの隠し味に使うことが多いが、インドでチャトニと言われていて、よく使われる調味料である。
それでカレーに使用されることが多いのかと思う。
カレーの隠し味としては、普通のカレールーに大さじ1~2杯加えるといい味になる。
私は市販のルーは使わないので、チャツネはカレー作りの必需品になっている。

ジャムもチャツネも熟れていない緑梅だったので、色はあまり食欲を誘う色ではない。
だが味は保証付き(と言っても作成者の保証なので当てにはならない)。
ということで、昨年漬けた梅酒は全て始末できました。
メデタシ、メデタシ。
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