お墓参りはずいぶんしていないです。
田舎に帰っていないからでしょうか・・・・・・。
ごめんなさい。
私がまだ20代の頃で、病棟にいた頃のことです。
とても仲が良かった薬剤師さんがいました。ひとつかふたつ年上だったと思います。
優しくて、頼りになって、患者さん思いで、スタッフ思いでした。
若い様々な職種のみんなも、頼りにしていました。
音楽が好きで、作曲も・・・・・・・。作詞もしていたと思います。
彼女は結婚しました。しばらくして子供もできました。
ところが、妊娠後期から蛋白尿が出始め、中毒症かと言われていました。
仕事はストレスが多く(気を使う方ですから余計)、困っていました。
よく毎月熱をだしていたことを思い出します。
妊娠中に遊びに来てくれたこともありました。
さて、出産しました。出産前は産休に入ることもあって、あまり会っていませんでした。
そして、会ったのは出産1週間後、私の病棟に入院してきたからです。
同じ病院の職員でもあるので、周りも気を遣うものです。しかも薬剤師さん。
むくみがひどくなって、スリッパもはけないほどでした。
生まれたばかりの赤ちゃんを残して入院することは、辛いことでしょう。
血圧が高くなったり、むくみもひどかったり、不安定な病状でした。
検査の結果、「膠原病、全身性エリテマトーデス」でした。
しかも、腎臓にダメージが大きいものでした。
副腎皮質ホルモンや免疫抑制剤で治療が始まりましたが、免疫力が低下してきました。
仕方のない状況です。
白血球も少なくなり、感染しやすいため、個室になりました。
ある夜です。巡回に行くと、脚が勝手に動くと訴えていました。
「ほんとだ、脚が天上に向かって上がってる!」
翌日、片側の手足が麻痺しました。脳梗塞をおこしたのです。
私は、心の中で泣きながら、トイレの介助をしました。
「この先一体どうなるの?」 いえ、彼女はもっと思っていたことでしょう。
その直後、「私、もう駄目かもしれない・・・・・」
最後に私が耳にした、言葉でした。
私は、なんと答えたのでしょう・・・・・思い出せません。
その、ポータブルトイレを持って立ち尽くした自分を写真のように覚えています。
その数日後、あれよあれよという間に、状態が悪化し、遠くのご両親もお話ができる状態の時に、間に合いませんでした。
私が彼女に縫ったウェディングドレスを、旅たちの装いにして欲しいと、ご主人がおっしゃったので、そうしました。
体がむくんで、着ることができませんでしたので、上からかけるように・・・・。
その時のお嬢さんはもう、高校生になった頃です。
空から娘の成長を願って見守る彼女が、今も若い綺麗なままでいるようです。
赤く染まった大雪山に新婚旅行に行った時の、美しい写真を、今も私は持っています。
彼女ために、綺麗な山を捧げます。