権力は茶化されてこそ
日本経済新聞 朝刊 総合・政治
2016/11/27 3:30
「大統領専用機が名前を変えることになったの知ってる? その名も……ヘアフォース・ワン」
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米国にいて暇な夜ができると、寄席のような場所に行く。冒頭のセリフは、有名なお笑い芸人のビッキ・ローレンスさんの最新ジョークだ。次期大統領の独特の髪形をからかったネタなのは説明するまでもない。場内は爆笑に包まれた。
ドナルド・トランプ氏ほど話題にしやすい人物はいない。寄席のあと、深夜にテレビでスポーツ番組を見ていたら、なりきり姿の観客が大写しになった。決めぜりふの「米国を再び偉大に」をもじったメッセージを掲げて応援していた。
米国で政界ネタがもてはやされるのは随分と久しぶりだ。オバマ氏をバカにすると黒人差別といわれかねない。その前のブッシュ時代はイラク戦争の反戦集会で大統領人形をよく見かけたが、生卵をぶつけるための標的だった。ビル・クリントン氏の不倫騒ぎは口にするには生々しすぎた。
ヒラリー・クリントン氏のお尻が大きいという話はロッカールーム・トークでは何度も聞いた。だが、人前ではいわない。セクハラと受け取られるからだ。
トランプ氏は本人が暴言の人なので、ファンもアンチも心置きなくおちょくれる安心感がある。これほどの盛り上がりは、ポテトのスペルを間違えて小学生以下と笑われたクエール副大統領(在任1989~93年)以来かもしれない。お笑い業界には救世主だ。
米国ではポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)が重視される。移民国家を束ねるため、人種、宗教などにかかわる差別発言を公の場でしてはいけないという意味だが、黒人を露骨にニガーと呼ぶ人はいまではほぼ絶無だ。では、何を取り締まっているのか。
右下の写真は米国の小売店で撮影したものだ。この風景にトランプ支持層がいらつく理由がおわかりだろうか。日本の年末商戦を思い起こすとヒントになる。そう、どこにもクリスマスの文字がないのだ。
クリスマスはキリスト教の行事なので、ユダヤ教徒もイスラム教徒もヒンズー教徒も祝わない。宗教差別を回避するため、オバマ政権は全ての宗教の祭日を等しくハッピー・ホリデーと呼ぶことを推奨している。
減ったとはいえ米国民の4人に3人はキリスト教徒だ。教会や我が家以外でクリスマスといえないのは何となく重苦しい。トランプ氏の破天荒さが貧富を問わず白人を結束させた背景にこんな事情もあったのだ。
どこの国でも権力者をおちょくるのは庶民のささやかな楽しみのひとつだ。だみ声で「まあ、その」といえば田中角栄。気が抜けた声で「ほう、ほう、ほう」ならば福田赳夫。「あ~う~」は大平正芳。日本にも政治家が頻繁にネタにされていた時代があった。
日経ホールで毎年秋に公演するコントグループ「ザ・ニュースペーパー」の安倍晋三首相の物まねはなかなか強烈だが、テレビやラジオで安倍氏が(批判されるのではなく)からかわれているのを見聞きした記憶はあまりない。ふだん与党の人々を取材していて少し辛口なことをいうと、よく返ってくる言葉がある。
「安倍総理ほど国を愛している人はいないんだ」
愛国者はおちょくってはいけないのか。政治的立場はともかく、小池百合子都知事に昔仕込まれた妙な手の振り方はヒップホップ風にパロディーにすると結構面白そうだ。権力は茶化(ちゃか)されてなんぼである。政治を重苦しくすると鬱屈が澱(おり)のようにたまる。これもトランプ旋風の教訓のひとつだ。
(編集委員 大石格)
日本経済新聞 朝刊 総合・政治
2016/11/27 3:30
「大統領専用機が名前を変えることになったの知ってる? その名も……ヘアフォース・ワン」
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米国にいて暇な夜ができると、寄席のような場所に行く。冒頭のセリフは、有名なお笑い芸人のビッキ・ローレンスさんの最新ジョークだ。次期大統領の独特の髪形をからかったネタなのは説明するまでもない。場内は爆笑に包まれた。
ドナルド・トランプ氏ほど話題にしやすい人物はいない。寄席のあと、深夜にテレビでスポーツ番組を見ていたら、なりきり姿の観客が大写しになった。決めぜりふの「米国を再び偉大に」をもじったメッセージを掲げて応援していた。
米国で政界ネタがもてはやされるのは随分と久しぶりだ。オバマ氏をバカにすると黒人差別といわれかねない。その前のブッシュ時代はイラク戦争の反戦集会で大統領人形をよく見かけたが、生卵をぶつけるための標的だった。ビル・クリントン氏の不倫騒ぎは口にするには生々しすぎた。
ヒラリー・クリントン氏のお尻が大きいという話はロッカールーム・トークでは何度も聞いた。だが、人前ではいわない。セクハラと受け取られるからだ。
トランプ氏は本人が暴言の人なので、ファンもアンチも心置きなくおちょくれる安心感がある。これほどの盛り上がりは、ポテトのスペルを間違えて小学生以下と笑われたクエール副大統領(在任1989~93年)以来かもしれない。お笑い業界には救世主だ。
米国ではポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)が重視される。移民国家を束ねるため、人種、宗教などにかかわる差別発言を公の場でしてはいけないという意味だが、黒人を露骨にニガーと呼ぶ人はいまではほぼ絶無だ。では、何を取り締まっているのか。
右下の写真は米国の小売店で撮影したものだ。この風景にトランプ支持層がいらつく理由がおわかりだろうか。日本の年末商戦を思い起こすとヒントになる。そう、どこにもクリスマスの文字がないのだ。
クリスマスはキリスト教の行事なので、ユダヤ教徒もイスラム教徒もヒンズー教徒も祝わない。宗教差別を回避するため、オバマ政権は全ての宗教の祭日を等しくハッピー・ホリデーと呼ぶことを推奨している。
減ったとはいえ米国民の4人に3人はキリスト教徒だ。教会や我が家以外でクリスマスといえないのは何となく重苦しい。トランプ氏の破天荒さが貧富を問わず白人を結束させた背景にこんな事情もあったのだ。
どこの国でも権力者をおちょくるのは庶民のささやかな楽しみのひとつだ。だみ声で「まあ、その」といえば田中角栄。気が抜けた声で「ほう、ほう、ほう」ならば福田赳夫。「あ~う~」は大平正芳。日本にも政治家が頻繁にネタにされていた時代があった。
日経ホールで毎年秋に公演するコントグループ「ザ・ニュースペーパー」の安倍晋三首相の物まねはなかなか強烈だが、テレビやラジオで安倍氏が(批判されるのではなく)からかわれているのを見聞きした記憶はあまりない。ふだん与党の人々を取材していて少し辛口なことをいうと、よく返ってくる言葉がある。
「安倍総理ほど国を愛している人はいないんだ」
愛国者はおちょくってはいけないのか。政治的立場はともかく、小池百合子都知事に昔仕込まれた妙な手の振り方はヒップホップ風にパロディーにすると結構面白そうだ。権力は茶化(ちゃか)されてなんぼである。政治を重苦しくすると鬱屈が澱(おり)のようにたまる。これもトランプ旋風の教訓のひとつだ。
(編集委員 大石格)