#259 アルバート・キング「Won't Be Hanging Around」(Door To Door/Chess)
アルバート・キング、61年チェスでのレコーディングより。キング自身の作品。
ワタシの敬愛するブルースマンの代表格、アルバート・キングだが、当サイトにおいては、これまであまり取り上げてこなかった。
というのも、本当に好きなミュージシャンについて語ってしまうと、 結局ベタ褒めになってしまい、ほとんどレビューの意味をなさなくなってしまうから、という理由がある。
そういうわけで、キングの曲について書くのは、かな~り久しぶりである(試しに調べてみたら、5年10か月ぶりだった)。
アルバート・キング、本名アルバート・ネルスンは1923年、ミシシッピ州インディアノーラ生まれ。
5歳のころ離婚をした母とともにアーカンソー州フォレストシティに移り、学校にも通わずに綿花畑で農夫として働いていた。
カントリーブルースのミュージシャンに影響を受け、ギターを独学で習得、演奏活動を始めるようになる。
本格的なプロへの道を歩み出したのは、50年。オセオラという街のクラブ経営者M.C.リーダーと知り合い、ハウスバンドへ加入したのだ。
その後、インディアナ州ゲイリーへ移り、ジミー・リードとジョン・ブリムの双頭バンドにドラマーとして参加。アルバート・キングという芸名もこの頃名乗るようになる。
この「キング」はいうまでもなく、すでにスターだったB・B・キングにあやかったものだ。
同地で53年にはウィリー・ディクスンと知り合い、5曲だけだがパロットでレコーディングをする機会を得る。シングルが1枚リリースされたものの、これは特にヒットすることはなかった。
オセオラに戻って2年間の活動後、セントルイスへ。ここでようやく人気が出てくるとともに、キングならではの歌やギターのスタイルが確立されてくる。当時発売されたばかりのフライングVを入手、BBのルシールのむこうを張ってルーシーと命名、彼のトレードマークともなるのである。
59年よりボビンにて8枚のシングルをリリース、中にはR&Bチャートでトップ20入りした曲もある。
61年にはチェスとレコーディング。53年のボビンでの録音と合わせて、69年にオーティス・ラッシュとのコンピ盤「Door To Door」というかたちで発表されることになる。
きょうの一曲、「Won't Be Hanging Around」は、その61年の録音からだ。
メンバーはキングの他、ウィルバー・トンプスン(トランペット)、ハル・ホワイト(テナーサックス)、フレディ・ロビネット(バリトンサックス)、サム・ウォーレス(ピアノ)、リー・オーティス(ベース)、ジオティス・モーガン(ドラムス)。いずれもセントルイスでのバンドの面々である。
3分足らず、いわゆるEPサイズのコンパクトな曲なのだが、筆者的には「これぞブルース!」と銘打ちたくなってしまう魅力に満ちているのだよ、これが。
ブレイクからいきなり始まるという、ちょっと変則的な構成のスローブルースなのだが、この出だしのインパクトがスゴい。キングの重量級のボーカルと分厚いホーンが「ドーン!」((C)藤子不二雄A)とリスナーを襲う。まさに出オチ(笑)。
出会いがしらに魂を抜き取られるような、そんな感じがするね。
2コーラス目もブレイクから始まり、これまた強力無比。ダメ押しは、キングのお家芸、派手なスクウィーズ・ギター・ソロ。これがまた、黄金のワンパターンで、しかも超絶気持ちイイ。
たったの4コーラスなのに、この充実度。もう、脱帽するしかないですな。
歌詞のほうはといえば、もうお約束のハートブレイク・ストーリー。ストレートに失恋の痛みを訴えてきて、もう、胸が苦しくなるくらい。
ヒット曲にこそならなかったものの、ブルースの一典型として、ずっと後代に残る、そんな隠れ名曲だと筆者的には思っとります。
嗚呼、結局、惧れていた通りベタ褒めになってしまった(汗)。
でもいいのだ。この曲はその評価に見合うだけのものを持っているから。
キング・オブ・ブルースギター、アルバート・キング37歳の渾身のプレイを聴くべし。
アルバート・キング、61年チェスでのレコーディングより。キング自身の作品。
ワタシの敬愛するブルースマンの代表格、アルバート・キングだが、当サイトにおいては、これまであまり取り上げてこなかった。
というのも、本当に好きなミュージシャンについて語ってしまうと、 結局ベタ褒めになってしまい、ほとんどレビューの意味をなさなくなってしまうから、という理由がある。
そういうわけで、キングの曲について書くのは、かな~り久しぶりである(試しに調べてみたら、5年10か月ぶりだった)。
アルバート・キング、本名アルバート・ネルスンは1923年、ミシシッピ州インディアノーラ生まれ。
5歳のころ離婚をした母とともにアーカンソー州フォレストシティに移り、学校にも通わずに綿花畑で農夫として働いていた。
カントリーブルースのミュージシャンに影響を受け、ギターを独学で習得、演奏活動を始めるようになる。
本格的なプロへの道を歩み出したのは、50年。オセオラという街のクラブ経営者M.C.リーダーと知り合い、ハウスバンドへ加入したのだ。
その後、インディアナ州ゲイリーへ移り、ジミー・リードとジョン・ブリムの双頭バンドにドラマーとして参加。アルバート・キングという芸名もこの頃名乗るようになる。
この「キング」はいうまでもなく、すでにスターだったB・B・キングにあやかったものだ。
同地で53年にはウィリー・ディクスンと知り合い、5曲だけだがパロットでレコーディングをする機会を得る。シングルが1枚リリースされたものの、これは特にヒットすることはなかった。
オセオラに戻って2年間の活動後、セントルイスへ。ここでようやく人気が出てくるとともに、キングならではの歌やギターのスタイルが確立されてくる。当時発売されたばかりのフライングVを入手、BBのルシールのむこうを張ってルーシーと命名、彼のトレードマークともなるのである。
59年よりボビンにて8枚のシングルをリリース、中にはR&Bチャートでトップ20入りした曲もある。
61年にはチェスとレコーディング。53年のボビンでの録音と合わせて、69年にオーティス・ラッシュとのコンピ盤「Door To Door」というかたちで発表されることになる。
きょうの一曲、「Won't Be Hanging Around」は、その61年の録音からだ。
メンバーはキングの他、ウィルバー・トンプスン(トランペット)、ハル・ホワイト(テナーサックス)、フレディ・ロビネット(バリトンサックス)、サム・ウォーレス(ピアノ)、リー・オーティス(ベース)、ジオティス・モーガン(ドラムス)。いずれもセントルイスでのバンドの面々である。
3分足らず、いわゆるEPサイズのコンパクトな曲なのだが、筆者的には「これぞブルース!」と銘打ちたくなってしまう魅力に満ちているのだよ、これが。
ブレイクからいきなり始まるという、ちょっと変則的な構成のスローブルースなのだが、この出だしのインパクトがスゴい。キングの重量級のボーカルと分厚いホーンが「ドーン!」((C)藤子不二雄A)とリスナーを襲う。まさに出オチ(笑)。
出会いがしらに魂を抜き取られるような、そんな感じがするね。
2コーラス目もブレイクから始まり、これまた強力無比。ダメ押しは、キングのお家芸、派手なスクウィーズ・ギター・ソロ。これがまた、黄金のワンパターンで、しかも超絶気持ちイイ。
たったの4コーラスなのに、この充実度。もう、脱帽するしかないですな。
歌詞のほうはといえば、もうお約束のハートブレイク・ストーリー。ストレートに失恋の痛みを訴えてきて、もう、胸が苦しくなるくらい。
ヒット曲にこそならなかったものの、ブルースの一典型として、ずっと後代に残る、そんな隠れ名曲だと筆者的には思っとります。
嗚呼、結局、惧れていた通りベタ褒めになってしまった(汗)。
でもいいのだ。この曲はその評価に見合うだけのものを持っているから。
キング・オブ・ブルースギター、アルバート・キング37歳の渾身のプレイを聴くべし。
音曲日誌「一日一曲」#1~#100 pdf版もダウンロード出来ます