#263 マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル「You're All I Need to Get By」(Greatst Hits/Motown)
ソウル・シンガー、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエット・ナンバー。ニコラス・アシュフォード、ヴァレリー・シンプスンの作品。
マーヴィン・ゲイについては説明不要だろうが、彼が60年代後半、男女のデュエットで活動、ヒットを数多く出していたことを知る人は、あまりいないような気がする。
デュエットのお相手はフィラデルフィア出身のタミー・テレル。39年生まれのゲイより6才年下の女性シンガーだった。
彼女は歌が抜群に上手いのみならず、その美貌で少女の頃より注目を集めていたのだが、美しく生まれつくということは、必ずしも幸せなことばかりではない。
10代の初め頃、近所の少年たちに暴行を受けたことが、その後の彼女の人生に大きな影を落して行く。
15才になる直前に最初のレコード会社、セプター/ワンドと契約。その後ほどなくジェイムズ・ブラウンにスカウトされて、バックシンガー兼愛人となっていたという。JBからはDVを受けており、逃げるように彼の元を去ったというが、そういうエピソードを聴くにつけ、彼女の並はずれた容姿は、幸運と不幸とを合わせて呼び込んでしまうのだなぁとつくづく思う。
モータウンとは65年、20才の誕生日に契約を果たす。社長のベリー・ゴーディ・ジュニアから、本名のモンゴメリーよりもセクシーなイメージを持つ「テレル」に改名するよう依頼される。
モータウンの看板女性歌手、ダイアナ・ロスに匹敵するスター候補、タミー・テレルの誕生である。
当時、今ひとつヒットに恵まれていなかったゲイが相手役となり、「理想の恋人たち」をイメージして、ふたりはデュエットとして組むことになる。
わりと生真面目で内向的なゲイに対し、年下だけどちょっと大胆で小悪魔っぽい魅力を持つテレルのコンビ。この取り合わせの妙が予想以上にウケた。
「Your Precious Love」「If I Could Build My Whole World Around You」「Ain't Nothing Like the Real Thing」「You're All I Need to Get By」のトップ10ヒットを初めとして、何枚ものアルバムがリリースされた。
ソウルの男女デュエットは単発の企画ものとして出されることは多いが、彼らのように何年にもわたってのレギュラー活動で成功を収めたケースはあまりない。いかにふたりの相性がよかったかの証左だろう。
しかし、理想のカップルに見えても、彼らにはそれぞれに別のパートナーがいた。ゲイは既にゴーディの実姉と結婚していたし、テレルはテンプスのデイヴィッド・ラフィンと付き合っていた。ただ、実際には、ゲイは後に離婚することでわかるように、妻とうまくいっていなかったし、ラフィンは妻子がいることを隠して付き合ったのがバレてしまい、テレルになじられ、DV沙汰となっていたようだ。舞台裏にはドロドロとした事情が潜んでいたのだ。
ふたりは完全に疑似カップルだったのだが、私生活がギクシャクしていた分、ふたりがレコーディングするときは、まるでホンモノの恋人たちのように最高に仲睦まじく共演できたのかもしれない。
そのある意味幸福な時期は、長続きしなかった。テレルは持病の頭痛が次第に悪化、67年にはステージ上でゲイと共に歌っているときに倒れてしまう。脳腫瘍であった。その後何度も手術を受けて病いと闘うも、病状が好転することはなった。
それでも彼らはレコーディングは続け、きょうの一曲「You're All I Need to Get By」のような、気迫に満ちたデュエットの名曲を創り出したのだから、その気力には頭が下がる。
そして70年3月16日、テレルはこの世を去る。24才の若さだった。ゲイはそのショックからなかなか立ち直れず、1年半もの間、音楽活動を休止することになる。
あまりにもドラマティック、あまりにも悲しいエピソードだが、しかし、復帰後のゲイの、人が変わったかのようにアクティブな活躍ぶりを見るに、テレルとの何年間かの日々が、彼に実に大きな自信を与えたのだなと感じさせる。
夭折したデュエット・パートナー、タミー・テレルの分まで生き続け、音楽をやり抜いていこうという意志が、「What's Going On」を初めとする71年以降の諸作品には、しっかりと読み取れるのだ。
ふたりはついに、現実的な恋人同士にはなりえなかった。が、その魂(ソウル)の結びつきは、どんなカップルよりも強いものであったと思う。
タミー・テレルがマーヴィン・ゲイに残した最大の遺産(ギフト)とは、そういったパワーであり、インスピレーションであったのだと信じたい。
ソウル・シンガー、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエット・ナンバー。ニコラス・アシュフォード、ヴァレリー・シンプスンの作品。
マーヴィン・ゲイについては説明不要だろうが、彼が60年代後半、男女のデュエットで活動、ヒットを数多く出していたことを知る人は、あまりいないような気がする。
デュエットのお相手はフィラデルフィア出身のタミー・テレル。39年生まれのゲイより6才年下の女性シンガーだった。
彼女は歌が抜群に上手いのみならず、その美貌で少女の頃より注目を集めていたのだが、美しく生まれつくということは、必ずしも幸せなことばかりではない。
10代の初め頃、近所の少年たちに暴行を受けたことが、その後の彼女の人生に大きな影を落して行く。
15才になる直前に最初のレコード会社、セプター/ワンドと契約。その後ほどなくジェイムズ・ブラウンにスカウトされて、バックシンガー兼愛人となっていたという。JBからはDVを受けており、逃げるように彼の元を去ったというが、そういうエピソードを聴くにつけ、彼女の並はずれた容姿は、幸運と不幸とを合わせて呼び込んでしまうのだなぁとつくづく思う。
モータウンとは65年、20才の誕生日に契約を果たす。社長のベリー・ゴーディ・ジュニアから、本名のモンゴメリーよりもセクシーなイメージを持つ「テレル」に改名するよう依頼される。
モータウンの看板女性歌手、ダイアナ・ロスに匹敵するスター候補、タミー・テレルの誕生である。
当時、今ひとつヒットに恵まれていなかったゲイが相手役となり、「理想の恋人たち」をイメージして、ふたりはデュエットとして組むことになる。
わりと生真面目で内向的なゲイに対し、年下だけどちょっと大胆で小悪魔っぽい魅力を持つテレルのコンビ。この取り合わせの妙が予想以上にウケた。
「Your Precious Love」「If I Could Build My Whole World Around You」「Ain't Nothing Like the Real Thing」「You're All I Need to Get By」のトップ10ヒットを初めとして、何枚ものアルバムがリリースされた。
ソウルの男女デュエットは単発の企画ものとして出されることは多いが、彼らのように何年にもわたってのレギュラー活動で成功を収めたケースはあまりない。いかにふたりの相性がよかったかの証左だろう。
しかし、理想のカップルに見えても、彼らにはそれぞれに別のパートナーがいた。ゲイは既にゴーディの実姉と結婚していたし、テレルはテンプスのデイヴィッド・ラフィンと付き合っていた。ただ、実際には、ゲイは後に離婚することでわかるように、妻とうまくいっていなかったし、ラフィンは妻子がいることを隠して付き合ったのがバレてしまい、テレルになじられ、DV沙汰となっていたようだ。舞台裏にはドロドロとした事情が潜んでいたのだ。
ふたりは完全に疑似カップルだったのだが、私生活がギクシャクしていた分、ふたりがレコーディングするときは、まるでホンモノの恋人たちのように最高に仲睦まじく共演できたのかもしれない。
そのある意味幸福な時期は、長続きしなかった。テレルは持病の頭痛が次第に悪化、67年にはステージ上でゲイと共に歌っているときに倒れてしまう。脳腫瘍であった。その後何度も手術を受けて病いと闘うも、病状が好転することはなった。
それでも彼らはレコーディングは続け、きょうの一曲「You're All I Need to Get By」のような、気迫に満ちたデュエットの名曲を創り出したのだから、その気力には頭が下がる。
そして70年3月16日、テレルはこの世を去る。24才の若さだった。ゲイはそのショックからなかなか立ち直れず、1年半もの間、音楽活動を休止することになる。
あまりにもドラマティック、あまりにも悲しいエピソードだが、しかし、復帰後のゲイの、人が変わったかのようにアクティブな活躍ぶりを見るに、テレルとの何年間かの日々が、彼に実に大きな自信を与えたのだなと感じさせる。
夭折したデュエット・パートナー、タミー・テレルの分まで生き続け、音楽をやり抜いていこうという意志が、「What's Going On」を初めとする71年以降の諸作品には、しっかりと読み取れるのだ。
ふたりはついに、現実的な恋人同士にはなりえなかった。が、その魂(ソウル)の結びつきは、どんなカップルよりも強いものであったと思う。
タミー・テレルがマーヴィン・ゲイに残した最大の遺産(ギフト)とは、そういったパワーであり、インスピレーションであったのだと信じたい。
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