#279 ギター・スリム「Things That I Used To Do」(Sufferin' Mind/Specialty)
ギター・スリム、54年の大ヒット。彼自身のオリジナル。
ギター・スリム(エディ・ジョーンズ)については当コーナーでも3年半前に取り上げたことがあるが、彼の曲の中でも絶対に外せないのがこの一曲だろう。彼の最大のヒットナンバー「Things That I Used To Do」である。
レコーディングは53年10月、ニューオリンズのマタッサズ・J&Mスタジオにて行われた。
ちょうどその時N.O.を訪れていたのが、23才のレイ・チャールズ。アトランティックに移籍しての最初のヒット「Mess Around」を出し、新進気鋭のシンガー/ピアニストとして注目され始めた頃である。
一方、ギター・スリムは少し年上の26才。前年に「Feelin' Sad」という曲で小ヒットを飛ばし、徐々に名前が売れ始めたあたり。この若いふたりの出会いが、思わぬ大ヒットを生み出すことになった。
レイ・チャールズはこの「Things That I Used To Do」を編曲し、バックのピアノを弾くというサウンド・プロデュサー役で参加した。これが見事に功を奏し、曲はR&Bチャートの1位に輝き、ミリオン・セラーを達成したのだった。
以降、さまざまなアーティストがこの曲をカバーしている。ジェイムズ・ブラウン、アルバート・コリンズ、マディ・ウォーターズ、ジュニア・パーカー、フレディ・キング、チャック・ベリー、ビッグ・ジョー・ターナー、バディ・ガイ、ジミ・ヘンドリクス、スティービー・レイ・ヴォーン、グレイトフル・デッド、ジョン・メイヤーなどなど。つまりは、ブルース・スタンダードのひとつとなったのだ。
この曲がここまで強く支持された理由はなんなのだろう。筆者が思うには、12小節のブルースの形式を取りながらも、それまでの黒人ブルースとは違う独自のカラーを持ち、より普遍的なポピュラー・ソングへと昇華されているところにあるのではないかな。
たとえば、ギター・スリムのギター・プレイを聴いてみれば、あるいはギターを弾いてそれをなぞってみればわかると思うのだが、彼はブルースでは常套的に使われるブルーノートを、ほとんど使っていない。これはかなりスゴいことだ。
ブルースをブルースたらしめている重要な要素のひとつ、ブルーノートという音階に縛られずに、ブルースを生み出している。つまり、それはもはや、ブルースの次のステージへと進もうとしているしるしなのだ。
彼は髪の毛をカラフルに染めたり、それまではクリーン・トーンが当たり前だったエレクトリック・ギターにディストーション・サウンドを持ち込んだり、などのギミックを好んでやったというが、それもまた、レース・ミュージックとしてのブルース/R&Bを脱却して、普遍的なポップへ向かおうとしていた証拠だと思う。
黒人の中でしかウケない音楽でなく、より多くの聴衆を引きつける音、そしてライブ・パフォーマンス。これが彼の目指していたものだったと思う。
そういう意味でも、黒人白人を問わず支持された才能、レイ・チャールズとのコラボレーションは正解だったのだと思う。
曲はいかにも一発録りの時代らしく、ライブ感に溢れている。後半の出だしのタイミングを間違えて、早めに歌い始めてしまったミスもそのまま収録されてしまったあたり、なんとも微笑ましいが、そんな細かいことなどどうでもいいと思えるくらい、ギター・スリムの歌は気迫に満ちているし、どこかのんびりとした、郷愁を誘うギター・ソロも素晴らしい。対するにバックのピアノやホーンはカッチリとしたサウンドでソツがなく、彼の野放図な個性と好対照をなしている。
まさに「出たとこ勝負的セッション」のスリルが、この4分足らずの曲の中につまっている。
ギター・スリムの唯一無二の個性が凝縮された一曲。60年経とうが、その魅力はいまだに輝き続けてるね。
ギター・スリム、54年の大ヒット。彼自身のオリジナル。
ギター・スリム(エディ・ジョーンズ)については当コーナーでも3年半前に取り上げたことがあるが、彼の曲の中でも絶対に外せないのがこの一曲だろう。彼の最大のヒットナンバー「Things That I Used To Do」である。
レコーディングは53年10月、ニューオリンズのマタッサズ・J&Mスタジオにて行われた。
ちょうどその時N.O.を訪れていたのが、23才のレイ・チャールズ。アトランティックに移籍しての最初のヒット「Mess Around」を出し、新進気鋭のシンガー/ピアニストとして注目され始めた頃である。
一方、ギター・スリムは少し年上の26才。前年に「Feelin' Sad」という曲で小ヒットを飛ばし、徐々に名前が売れ始めたあたり。この若いふたりの出会いが、思わぬ大ヒットを生み出すことになった。
レイ・チャールズはこの「Things That I Used To Do」を編曲し、バックのピアノを弾くというサウンド・プロデュサー役で参加した。これが見事に功を奏し、曲はR&Bチャートの1位に輝き、ミリオン・セラーを達成したのだった。
以降、さまざまなアーティストがこの曲をカバーしている。ジェイムズ・ブラウン、アルバート・コリンズ、マディ・ウォーターズ、ジュニア・パーカー、フレディ・キング、チャック・ベリー、ビッグ・ジョー・ターナー、バディ・ガイ、ジミ・ヘンドリクス、スティービー・レイ・ヴォーン、グレイトフル・デッド、ジョン・メイヤーなどなど。つまりは、ブルース・スタンダードのひとつとなったのだ。
この曲がここまで強く支持された理由はなんなのだろう。筆者が思うには、12小節のブルースの形式を取りながらも、それまでの黒人ブルースとは違う独自のカラーを持ち、より普遍的なポピュラー・ソングへと昇華されているところにあるのではないかな。
たとえば、ギター・スリムのギター・プレイを聴いてみれば、あるいはギターを弾いてそれをなぞってみればわかると思うのだが、彼はブルースでは常套的に使われるブルーノートを、ほとんど使っていない。これはかなりスゴいことだ。
ブルースをブルースたらしめている重要な要素のひとつ、ブルーノートという音階に縛られずに、ブルースを生み出している。つまり、それはもはや、ブルースの次のステージへと進もうとしているしるしなのだ。
彼は髪の毛をカラフルに染めたり、それまではクリーン・トーンが当たり前だったエレクトリック・ギターにディストーション・サウンドを持ち込んだり、などのギミックを好んでやったというが、それもまた、レース・ミュージックとしてのブルース/R&Bを脱却して、普遍的なポップへ向かおうとしていた証拠だと思う。
黒人の中でしかウケない音楽でなく、より多くの聴衆を引きつける音、そしてライブ・パフォーマンス。これが彼の目指していたものだったと思う。
そういう意味でも、黒人白人を問わず支持された才能、レイ・チャールズとのコラボレーションは正解だったのだと思う。
曲はいかにも一発録りの時代らしく、ライブ感に溢れている。後半の出だしのタイミングを間違えて、早めに歌い始めてしまったミスもそのまま収録されてしまったあたり、なんとも微笑ましいが、そんな細かいことなどどうでもいいと思えるくらい、ギター・スリムの歌は気迫に満ちているし、どこかのんびりとした、郷愁を誘うギター・ソロも素晴らしい。対するにバックのピアノやホーンはカッチリとしたサウンドでソツがなく、彼の野放図な個性と好対照をなしている。
まさに「出たとこ勝負的セッション」のスリルが、この4分足らずの曲の中につまっている。
ギター・スリムの唯一無二の個性が凝縮された一曲。60年経とうが、その魅力はいまだに輝き続けてるね。
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