#316 ゲイリー・ムーア「Ready For Love」(After The War/Virgin)
ゲイリー・ムーア、89年のシングル・ナンバー。彼自身の作品。
ゲイリー・ムーアはすでに2007年11月、2008年11月の2回、当欄で取り上げているが、その後58才の若さで2011年2月に亡くなったことは、皆さんよくご存じだろう。
そしてなぜか最近、冬期オリンピックで羽生結弦選手がショート・プログラムBGMに使用したことにより、「パリの散歩道」(78年録音)がリバイバル・ヒット。死後3年にして再注目を浴びている。本人も、草葉の蔭でビックリだろう。
アイルランド出身のゲイリー・ムーアは、もともとフリートウッド・マックなど英国ブルースバンドの影響を受けてギターを始め、シン・リジィに参加してブレイク、その後はいくつかのバンドで、あるいはソロとして活動。83年にソロで初来日して人気沸騰、ギター・キッズのカリスマとして黄金期を迎えることとなる。本田美奈子とのコラボも86年のことだ。
そんな絶頂期のムーアが89年1月にリリースしたアルバム「After The War」は、今考えてみれば、彼の分岐点だったような気がする。ときにムーア36才。ヘビーメタル、あるいはポップなロックをやるのは少ししんどくなってくる年齢である。
そんな彼がヒットを狙って作ったキャッチーなナンバーが、この「Ready For Love」である。アルバムリリース後にシングルカットされ、プロモーションビデオも制作された。まずはそれをご覧いただこう。
PVではムーアが歌に、ギターソロにと大活躍。まるでポップスターのようなはっちゃけぶりなのだが、これを聴いて、「あれ、なんとなく似た感じの曲、なかったかなぁ? それも日本のバンドで」と思われたかたも多いのではなかろうか。
そう、はっきりいってこの曲は、ほぼ同時期(89年4月)にデビューした日本のスーパー・バンド、コンプレックスのデビュー曲「Be My Baby」にクリソツなのである。
コンプレックスについては2004年8月に「一日一枚」のほうで取り上げたことがあるが、吉川晃司、布袋寅泰の2大ロックスターが組んだユニットである。
2年ほどで解散してしまったが、当時はものすごい人気で、CDが売れまくった。シングルもアルバムもオリコン1位という快挙を成し遂げた。
で、調べてみると「Be My Baby」は4月リリース。1月25日にムーアのアルバムが出て、わずか2か月ぐらいの期間に、「Ready For Love」に強くインスパイアされたその曲を作り、レコーディングしてしまったようだ。何たる早業。
歌詞は吉川、曲は布袋が担当しているので、まず布袋がムーアのアルバムを聴いて「この線で行こう」と考えたのだろうな。
アレンジ的には、ストレートなヘビメタ・サウンドである「Ready For Love」に対して、「Be My Baby」はエレクトロ・ポップ、テクノ的な味付けも加わっていて、個性の違いが感じられるものの、曲のコード進行や構成、ギターソロへの入りかたなどはかなり似ている。露骨なパクりという感じよりは、うまく匂い、ニュアンスを盗んだといえる。「カッコいいパクり」の好例だな。
で、ヒットを狙った結果としては、ムーアはアルバムで全英23位、シングル「Ready For Love」で同じく56位と、イマイチで終わってしまった。日本でバカ売れのコンプレックスとは、大きく明暗を分つこととなってしまったのである。
だから下手をすると、日本のリスナーはヒット出来なかった「Ready For Love」が「Be My Baby」をパクったなどと勘違いするかもしれない。ムーアの名誉のために言っておこう。時系列から考えても、間違いなく「Be My Baby」が「Ready For Love」のクローンなのである。
これは、ゲイリー・ムーアのもつポップ・ロックのセンスが、それだけたしかなものであったという証左ともいえるだろう。ムーアの作曲家としての実力が、この一曲に詰まっているのだ。
このアルバム以後、彼は大きく方向を転換、自分が本来影響を受けてきたブルース、R&Bへの回帰志向を見せるようになる。「Still Got The Blues」(90)に代表される、一連のブルース・アルバムにおいて。
そういう意味では、ゲイリー・ムーア、最後のポップ・チューンともいえる。派手なギタープレイとワイルドなボーカルを、楽しんでくれ。
ゲイリー・ムーア、89年のシングル・ナンバー。彼自身の作品。
ゲイリー・ムーアはすでに2007年11月、2008年11月の2回、当欄で取り上げているが、その後58才の若さで2011年2月に亡くなったことは、皆さんよくご存じだろう。
そしてなぜか最近、冬期オリンピックで羽生結弦選手がショート・プログラムBGMに使用したことにより、「パリの散歩道」(78年録音)がリバイバル・ヒット。死後3年にして再注目を浴びている。本人も、草葉の蔭でビックリだろう。
アイルランド出身のゲイリー・ムーアは、もともとフリートウッド・マックなど英国ブルースバンドの影響を受けてギターを始め、シン・リジィに参加してブレイク、その後はいくつかのバンドで、あるいはソロとして活動。83年にソロで初来日して人気沸騰、ギター・キッズのカリスマとして黄金期を迎えることとなる。本田美奈子とのコラボも86年のことだ。
そんな絶頂期のムーアが89年1月にリリースしたアルバム「After The War」は、今考えてみれば、彼の分岐点だったような気がする。ときにムーア36才。ヘビーメタル、あるいはポップなロックをやるのは少ししんどくなってくる年齢である。
そんな彼がヒットを狙って作ったキャッチーなナンバーが、この「Ready For Love」である。アルバムリリース後にシングルカットされ、プロモーションビデオも制作された。まずはそれをご覧いただこう。
PVではムーアが歌に、ギターソロにと大活躍。まるでポップスターのようなはっちゃけぶりなのだが、これを聴いて、「あれ、なんとなく似た感じの曲、なかったかなぁ? それも日本のバンドで」と思われたかたも多いのではなかろうか。
そう、はっきりいってこの曲は、ほぼ同時期(89年4月)にデビューした日本のスーパー・バンド、コンプレックスのデビュー曲「Be My Baby」にクリソツなのである。
コンプレックスについては2004年8月に「一日一枚」のほうで取り上げたことがあるが、吉川晃司、布袋寅泰の2大ロックスターが組んだユニットである。
2年ほどで解散してしまったが、当時はものすごい人気で、CDが売れまくった。シングルもアルバムもオリコン1位という快挙を成し遂げた。
で、調べてみると「Be My Baby」は4月リリース。1月25日にムーアのアルバムが出て、わずか2か月ぐらいの期間に、「Ready For Love」に強くインスパイアされたその曲を作り、レコーディングしてしまったようだ。何たる早業。
歌詞は吉川、曲は布袋が担当しているので、まず布袋がムーアのアルバムを聴いて「この線で行こう」と考えたのだろうな。
アレンジ的には、ストレートなヘビメタ・サウンドである「Ready For Love」に対して、「Be My Baby」はエレクトロ・ポップ、テクノ的な味付けも加わっていて、個性の違いが感じられるものの、曲のコード進行や構成、ギターソロへの入りかたなどはかなり似ている。露骨なパクりという感じよりは、うまく匂い、ニュアンスを盗んだといえる。「カッコいいパクり」の好例だな。
で、ヒットを狙った結果としては、ムーアはアルバムで全英23位、シングル「Ready For Love」で同じく56位と、イマイチで終わってしまった。日本でバカ売れのコンプレックスとは、大きく明暗を分つこととなってしまったのである。
だから下手をすると、日本のリスナーはヒット出来なかった「Ready For Love」が「Be My Baby」をパクったなどと勘違いするかもしれない。ムーアの名誉のために言っておこう。時系列から考えても、間違いなく「Be My Baby」が「Ready For Love」のクローンなのである。
これは、ゲイリー・ムーアのもつポップ・ロックのセンスが、それだけたしかなものであったという証左ともいえるだろう。ムーアの作曲家としての実力が、この一曲に詰まっているのだ。
このアルバム以後、彼は大きく方向を転換、自分が本来影響を受けてきたブルース、R&Bへの回帰志向を見せるようになる。「Still Got The Blues」(90)に代表される、一連のブルース・アルバムにおいて。
そういう意味では、ゲイリー・ムーア、最後のポップ・チューンともいえる。派手なギタープレイとワイルドなボーカルを、楽しんでくれ。