2006年1月22日(日)
#303 ジョン・コルトレーン「コルトレーン」(ビクター音楽産業/PRESTIGE VIJ-217)
ジョン・コルトレーン、初のリーダー・アルバム。57年リリース。
筆者が生まれる前に録音されたこの一枚、十代のとき初めて聴いて以来、いったい何回針を落としたことだろう。いまでももちろん、アナログ盤で聴いている。
コルトレーンといえば、日本では団塊の世代、あるいは全共闘世代の人々からは神格化された存在である。
一ミュージシャンとしての扱いを超えて、もう「現人神」の域に入っているのだ。
リアルタイムでトレーンを聴いてきたわけではない、いわば後追いファンの筆者にしてみれば、そのへんの感覚がいまひとつピンとこない。
「何故にトレーンのみが特別なのか?ソニー・ロリンズはどうなんだ?」みたいな。
まあ、「ジャイアント・ステップス」以降のアヴァンギャルドなトレーンに、反体制の象徴のようなものを感じていた人々が多かったんだろうな。
でも、どんなに先鋭的な思想が盛り込まれていようが、それがリスナーを感動させるというものではないからね。あくまで、音楽のよしあしこそが大切なんである。
70年代の到来を待たずして、トレーンはジミヘンやジャニスやジム・モリソンのようにおっ死んでしまったが、もし生きながらえていたら、たぶんメインストリームのスタイルに戻っていたような気がする。推測に過ぎないけど。
さて、このアルバムのトレーンは、後の「わけわからん」トレーンなどみじんも予感させない、ごく常識的なサウンドで勝負している。よくいえば「わかりやすい」、悪くいえば「凡俗」ってとこか。
テクニック的にはまあ標準的。でも特に群を抜いたものがあるわけではない。
でも、筆者的には結構好きなアルバムだったりする。理由ははっきりしている。A面2曲目に「コートにすみれを」が入っているから。
このマット・デニスの作品のトレーン版をFMでたまたま聴いたのが、筆者がコルトレーンを聴くようになったきっかけなのである。
特別に何か仕掛けがあるわけでない。ただ淡々とバラードを吹いているだけなのに、ひどく惹かれるものがあった。それをいいかえるとするなら、「歌心」なのかもしれない。
複雑なパッセージをゴリゴリ吹くタイプの曲、たとえばパーカー・ライクな「TIME WAS」などよりも、バラードのほうに、トレーンの良さが出ている。そう思うのは筆者だけだろうか。
もちろんメロディアスなトレーンだけでなく、ノリのいいトレーンも楽しめる一枚。
まだまだ完成度は高くないが、数年前、マイルス・コンボに参加したばかりの頃のダメダメぶりに比べると、短期間に飛躍的に上達している。のちの天才的な「開花」は、ここが出発点だったといえそうだ。
<独断評価>★★★★