2005年12月11日(日)
#298 ジュニア「ママ・ユーストゥ・セイ」(日本フォノグラム 25PT-189)
洋の東西を問わず、音楽業界には数限りない「一発屋」が存在するが、ブラック・ミュージックの一発屋といえば、このジュニアなどが最たるものだろう。
本名、ジュニア・ギスコム。57年西インド諸島に生まれ、英国で育つ。79年アメリカでデビューするも芽が出ず、英国に戻って81年再デビュ-。
82年、シングル「ママ・ユーストゥ・セイ」が全世界で大ヒット。ジュニアの名が一躍知られるようになる。
しかし、その後は「ママ~」を越えるヒットを一曲も出せず、現在に至っている。まさに究極の一発屋。
それにしても、「ママ~」という曲、今聴いてもホントによく出来ていると思う。
パーカッションの乱打に続く、ギター・ハーモニクス。そしてうねりまくるベース。もう、イントロを聴くだけで胸がワクワクするようなサウンドなのだ。
そしてなによりも魅力的なのが、都はるみばりの強烈なこぶしを利かせた、パワフルな歌声。もう、たまりまセブンな世界(たとえが古くてスマソ)。20数年前のポンギ、ギゼーやレオパあたりではかからぬ日がなかったというのも、超納得。
この一曲がビルボードのチャートでトップをめぐってスティーヴィ・ワンダーの「ザット・ガール」と熾烈なデッドヒートを展開したというのも、うなずける。
歌だけでなく、プロデューサーでもあるボブ・カーター(英国では超人気のジャズ・ファンク・バンド「リンクス」を率いている人)のアレンジが実にカッチョいい。
1年に1曲、いや10年に1曲というくらいのキャッチーなナンバーであるよ、ホント。
もちろん、他の曲にもいいものが多い。フィリップ・ベイリーばりの美しいファルセットを披露する「トゥー・レイト・ベイビー」とか「ダーリング・ユー」とか、やはりアースの影響の色濃い「君にキャント・ヘルプ」とか、スティーヴィの歌唱の影響を感じさせる「愛の終わりに(LOVE DIES)」とか、佳曲、熱唱揃いといっていい。
ジュニアの声って、(スティーヴィ・ワンダー+マイケル・ジャクスン)÷2という感じがする。スティーヴィほど大人っぽくはないが、マイコーよりはちょっとアダルト。その、微妙な「青っぽさ」加減が、彼なりの立ち位置だと思う。
いきなりのスーパー・ヒットを出し、将来を嘱望されながら、その後は見事に鳴かず飛ばず。
なんか悲しいものがあるが、まあ、これが本場のショービズの実態というものだろう。
ちょっとばかし才能があるだけでは、すさまじい競争の中で生き残って行くことは難しい。
「ママ~」並みのキラー・チューン、あの「こぶし」以上のワザを再び生み出すことが出来なかったジュニアは、時間の経過とともに「過去の人」となるしかなかったのである。
そう考えていくと、スティーヴィやマイケルがショービズ界の中でもいかに並みはずれた才能と魅力を持っているかがよくわかる。
90年以降のジュニアは他の多くの30代、40代アーティスト同様、マイペースな寡作態勢に入ってしまっているが、あれだけ歌がうまいのにそれをうまく生かせなかったのが、なんとももったいない。もっと数多くの作品を残せたはずだという気がする。
彼は声の「若さ」「青さ」で勝負していくタイプだっただけに、おとなのシンガーへの方向転換が難しかったということなのだろうか。(それは、格こそ違うがマイケルについてもいえることかもしれない。現在のマイケルは明らかに脱皮するタイミングを逸して、もがいている状態だ。)
ジュニア・ギスコム、一発屋のそしりは今後もまぬがれないだろうが、でも、この一枚はなかなかの傑作だ。
「ママ~」みたいなスゴいヒット曲がポッと出てくるあたりが、英国という国のおもしろいところであり、懐の広さのあらわれかもしれない。
80年代のブラック・ミュージックを語る上で、外せない一枚であります。
<独断評価>★★★★