2005年11月20日(日)
#295 デビー・ギブソン「エレクトリック・ユ-ス」(east west japan/ATLANTIC 25P2-2295)
デビー・ギブソンのセカンド・アルバム、89年リリース。デビー本人およびフレッド・ザーによるプロデュース。
70年ニューヨーク生まれ。17才でデビュー、一躍人気ポップ・スターとなったデビーだが、単なる可愛いこちゃんシンガーではないことを証明した一枚。なんたって、彼女自身がすべての曲を書き、アレンジやプロデュースまでしているのだから。さすがアメリカ、才能の宝庫なんである。
筆者がデビーに注目するようになったのは、デビュー作というよりは、このセカンドから。アルバムにも収録されているシングル「エレクトリック・ユ-ス」のビデオクリップを観たことがきっかけである。
マドンナ風のエレクトリック&ダンサブルなビートに乗って、パンチの効いた歌を披露するデビー。ボーイ・ジョージみたいなユニセックス・コスチュームで軽快に踊る彼女に、従来のティーンエージ・シンガーにない、型にとらわれぬ自由さを感じたものである。
PVの途中、ピアノを弾く小太りな小学生の少女が出てくるが、それはまさに10年くらい前のデビーのイメージなのだろう。
5才でピアノを習い始め、翌年にはもう作曲を始めていたというデビー。12才のときには作曲コンテストで優勝、プロへの道を踏み出して行く。
そう、日本のアイドル製造システムから考えたら、オーバースペックなくらい、彼女は才能のかたまりなのである。歌のほうも、作曲と並行して長年やっているだけあって、レベルは高い。
もちろん、見てくれも(絶世の美女というほどではないにせよ)ナイスである。見事なカードの揃いかただ。
このまま驀進を続ければ、全米最高のアーティストにだってなれる、そういう器だった。
でも、そうはいかないのが現実。後続のシンガーに、どんどんそのポジションをおびやかされていったのだ。
マドンナ・ライクなシンギング・アイドルの座はブリトニー・スピアーズに、正統派バラード・シンガーの座はセリーヌ・ディオンに、というふうに。
なんのことはない、アメリカ人という連中は新しいもの好き、より若い子好きの移り気な奴らばかりだったのだ。
せっかくのデビーの才能も、実はロクに評価しておらず、アイドルとしてしか見ていなかった。アメちゃんは「若くて可愛い」ことにしか興味がないんである。オー、ノー・ウェイ!
デビーの黄金時代は7~8年で終わる。20代のちょうど半ば、95年の「シンク・ウィズ・ユア・ハート」を最後に、デビーはアイドルであることをやめる。2年後の「デボラ」以降はニックネームのデビーから本名のデボラ・ギブソンに改名、メイクやファッションも大人びた雰囲気に変え、大人のシンガーへと脱皮していく。
現在35才の彼女は、生粋のニューヨーカーらしく、ブロードウェイのミュ-ジカル・ナンバーを好んで歌っている。
そこにはもう、怖いもの知らずで突き進んでいた少女の面影はない。ポップ・スターとして十年近く王座に君臨していた頃のインパクトはない。
でも、彼女にとってみれば、スターとしてちやほやされることよりも、一生音楽を続け、曲を作り続け、歌い続けることのほうに、喜びを感じているのではないかと思う。
デビーのあのクセのない、透明な高音域の歌声、それはいまでも色あせることがない。
「エレクトリック・ユース」「ロスト・イン・ユア・アイズ」「ノー・モア・ライム」、いずれも名曲、名唱だと思う。ぜひ、一聴を。
<独断評価>★★★★