2024年6月18日(火)
#439 ジミー・ジョンスン「You Don’t Know What Love Is」(Alligator)
#439 ジミー・ジョンスン「You Don’t Know What Love Is」(Alligator)
ジミー・ジョンスン、1985年リリースのアルバム「Bar Room Preacher」からの一曲。フェントン・ロビンスンの作品。仏レーベル、ディスク・ブラック&ブルーによるプロデュース。83年録音。
米国のブルースマン、ジミー・ジョンスンは、1928年11月ミシシッピ州ホリースプリングス生まれ。本名はジェイムズ・アール・トンプスン。10代の頃はピアノを主に弾き、ゴスペルグループで歌っていた。1950年に家族でシカゴに移住、溶接工として働くかたわら、ギターを弾くようになる。近所にはマジック・サムも住んでいた。
家族にはミュージシャンが多く、中でも有名なのは弟のシル・ジョンスンである。彼は36年生まれの8歳下で、本名シルヴェスター・トンプスン。ブルース、そしてソウル・シンガーとして30代から人気を集める。また、マジック・サムのバックでベーシストとなるマック・トンプスンも弟のひとりである。
プロミュージシャンとしてのスタートは、弟のシルがレコード・デビューを果たした59年、スリム・ウィリスのバックギタリストとしてである。この時、弟がジョンスン姓を芸名としたのに合わせて、ジミー・ジョンスンを名乗った。
ジョンスンはシカゴでフレディ・キング、アルバート・キング、マジック・サム、オーティス・ラッシュ、エディ・クリアウォーターらと共に演奏活動をした。
その後、60年代には当時台頭していたソウルに力を入れるようになり、オーティス・クレイやデニス・ラサールなどのバックをつとめる一方で、60年代半ばには自身のバンドでも初レコーディングを行う。
70年代半ばにはブルースに回帰して、ジミー・ドーキンスやオーティス・ラッシュらとの活動を行う。75年にはラッシュのバックで来日を果たす。
アルバムのレコーディングは40代後半の75年に初めて行う。フランスのMCMレーベルから75年、78年に1枚ずつリリースしたが出来はイマイチで評判とはならなかった。
79年にデルマークレーベルより「Johnson’s Whacks」をリリース、これがジョンスンの評価を高めて、ソロ・アーティストとして注目されるようになる。
以降デルマークやアリゲーターなどでアルバムをリリースしていく。本日取り上げた一曲「You Don’t Know What Love Is」を収録したアルバム「Bar Room Preacher」は85年にリリースされた。
これはもともとフランスのレーベル、ブラック&ブルーで制作され83年にリリースされた音源を、米国でアリゲーターから出し直したアルバムである。レコーディング・メンバーはボーカル、ギターのジョンスン、キーボードのジーン・ピケット、ベースのラリー・エクサム、ドラムスのフレッド・グラディ。
「You Don’t Know What Love Is」はテンポの速いマイナー・ファンク・ブルース。作曲者は、フェントン・ロビンスンである。先日彼の「Somebody Loan Me A Dime」を本欄でも取り上げたが、その曲も含む同題のアルバム(74年リリース)にオリジナルバージョンが収録されている。
両者を聴き比べてみよう。オリジナルのロビンスン版は、ジョンスン版よりかなり遅めのテンポである。ボーカルを中心にした4分弱の構成で、彼の看板であるメロウなギターソロも軽めにフィーチャーされている。終わり方もあっさりとしている。
これに対して、ジョンスンの方は5分あまりの尺に彼の歌、そしてギタープレイがたっぷりと詰め込まれており、彼の気合いの入れ方がハンパでないのが分かる。
ジョンスンの歌声は、ブルースシンガーとしてはかなり高めで、パワーには欠けるものの、その分繊細な表現には適した声質だと思う。フェントン・ロビンスンがよく作るメロウな曲調のナンバーには、実にフィットしている。
ギタープレイの方も、そのクリーンでシャープなトーンや、よく歌うスクィーズ・スタイルがいかにも「正統派ブルースギター」という感じで、個人的には好みである。
ジョンスンの生み出す音は、まさに彼ならではの「小味な」ブルースなのだ。
この後、88年にジョンスンは深刻な交通事故に見舞われ、バンドメンバー2名を失い、自身も負傷してしばらくは音楽活動を休止するという不幸に陥る。94年にようやく現場復帰して、レコーディングも再開する。
それからの四半世紀、ジョンスンは90代に至るまで精力的に活動を続ける。2002年には弟シルとの共演盤もリリースしている。2016年にブルースの殿堂入り。
2019年、90歳でアルバム「Every Day Of Your Life」をリリース。同年6月17日、シカゴ・ブルース・フェスティバルでの演奏中に、シカゴ市長より公式にこの日を「ジミー・ジョンスンの日」とすると宣言がある。
翌20年にはリビング・ブルース誌より「ベスト・ブルース・ギター奏者」と表彰される。21年にはブルース・アーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
2022年1月31日、ジョンスンはイリノイ州ハーベイの自宅で93歳で亡くなった。6日後、弟シルがその後を追うように亡くなっている。
やや遅咲きではあったが、90代まで現役ブルースマンを続けて生ける伝説となった男、ジミー・ジョンスン。
センセーションとは無縁でごく地味。でもしぶとく、ひとつごとを追究していく。まさに彼の生きざまそのものが、ブルースであった。
そんな「全身ブルースマン」なジミー・ジョンスンの個性が50代半ばに開花した一曲。じっくりと味わってほしい。