2023年2月19日(日)
#459 THE DOOBIE BROTHERS「ミニット・バイ・ミニット」(ワーナーパイオニア Warner Bros. 20P2-2011)
米国のロック・バンド、ザ・ドゥービー・ブラザーズの8枚目のアルバム。78年リリース。テッド・テンプルマンによるプロデュース。
ドゥービーズといえば「ロング・トレイン・ランニング」「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」「チャイナ・グローブ」あたりが代表曲だが、それらはマイケル・マクドナルドが75年に途中参加する以前のレパートリーで、その頃はトム・ジョンストンが主にフロントをつとめていた。
しかし、ジョンストンは77年のアルバム「運命の掟」でのレコーディングがバンドでの最後の活動となった。
そのアルバムでは曲の提供もせずに、ひとの曲をただ歌うだけであったし、ツアーにも参加しなかった。
マクドナルドの参加と、そのことによるバンドの音楽路線の変更を、こころよく受け入れられなくなっていたのだろう、結局この「ミニット・バイ・ミニット」を制作する前に正式に脱退を表明したのである。
初期からドゥービーズを応援していたファンたちにとっては、非常に悔しい事態であった。
とは言え、バンドとジョンストンとの関係は完全に切れてしまったわけではなく、このアルバムでも一曲だけ、ゲストボーカルという扱いで参加している。残念ながら曲は他人の作品なのだが。
また後にジョンストンはフェアウェル・ツアーでも参加している。
「ヒア・トゥ・ラヴ・ユー」はマクドナルド作、リード・ボーカルのナンバー。バックの女性コーラスは、ローズマリー・バトラー。
彼のピアノ、ホーンをフィーチャーした、ファンキーなAORナンバー。いかにも都会的な音だ。
ここにはかつての汗臭い、土臭いドゥービーズは、どこにもいない。
「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は同じくマクドナルドと、ケニー・ロギンスの共作によるナンバー。
翌年シングル・カットされて、4年ぶりに全米1位の大ヒットとなった。マクドナルドの代表曲としてよく知られている。また、共作者のロギンス版もレコーディングされている。
このメガヒットによりドゥービーズは、マクドナルドがフロントマンのグループへと、イメージが一気に塗り替えられたといっていい。
ファルセット・ボイスが特徴的な、マクドナルドの泣き節が全開の一曲。
一度聴くと耳にこびりつく曲のリズムも、他のアーティストにずいぶん真似されたという記憶がある。
「ミニット・バイ・ミニット」は三たびマクドナルドの作品(レスター・エイブラムスとの共作)。フュージョン色の強いナンバー。
ヘレン・レディ、ピーボ・ブライソン、テンプテーションズなど何人ものシンガーにカバーされただけでなく、ラリー・カールトンやスタンリー・クラークのようなインスト・カバーもある名曲。
たたみかけるリズムが、実に心地よい。
「ディペンディン・オン・ユー」はパット・シモンズとマクドナルドの共作。ボーカルもふたりが担当していて、バトラーもコーラスで加わっている。
ロックというよりは明らかにソウル寄りのノリ。シモンズのボーカルも黒っぽい。
「轍を見つめて」はジョンストンがゲスト・ボーカルをつとめるロック色の強いナンバー。シモンズ、ジェフ・バクスター、マイケル・エバートの共作。
ジョンストンの熱いシャウトを聴くと、昔ながらのロックなドゥービーズを感じる。これをもっと聴きたかったなぁ。
「オープン・ユア・アイズ」はマクドナルド、エイブラムス、パトリック・ヘンダーソンの共作。
これもコーラスを強調した、都会的なフュージョン・サウンドだ。
「スウィート・フィーリン」はシモンズ、プロデューサーのテッド・テンプルマンの共作。シモンズのデュエットの相手はニコレット・ラーソンだ。
シモンズの曲としてはかなりAOR寄りな作風で、ちょっとスティーリー・ダンにも通じる雰囲気がある。
「スティーマー・レイン・ブレークダウン」はアルバム唯一のインストゥルメンタル・ナンバー。シモンズの作品。
いかにも彼が好きそうな、ブルーグラス・フレーバーがあふれるカントリー・ロックに仕上がっている。ペダルスティールを弾いているのはバクスター。
これこそが、本来のドゥービーズって音じゃないかな。
「ユー・ネヴァー・チェンジ」もシモンズの作品。こちらはシモンズとマクドナルドのデュオ・ボーカルという新基軸のナンバー。
でも、ドゥービーズらしいサウンドかどうかと問うなら、答えは残念ながら「ノー」だなぁ。
ラストの「ハウ・ドゥ・ザ・フールズ・サーヴァイヴ?」はマクドナルドと女性ソングライター、キャロル・ベイヤー・セイガーの共作。
フュージョン色の強いナンバー。後半のソリッドでファンクなギターはバクスターが弾いている。これがなんともクールだ。
だが、彼もこのアルバムを最後に、ドゥービーズを離れることになる。また、ドラムスのジョン・ハートマンも脱退を表明する。
AORへの本格的なシフトチェンジ、メンバーの交代、セールスアップなど、いろいろな意味でドゥービーズの「ターニング・ポイント」となったアルバムがこの「ミニット・バイ・ミニット」。
音楽的にはマクドナルドとシモンズの双頭体制が決定的となり、ドゥービーズはこのふたりのバランスの上にしばらくは続いていく。
しかし、80年代に入り、各メンバーのソロ活動が活発となり、バンドとして続けていくことが難しくなる。
リーダーであるシモンズは82年に解散を宣言、大々的なフェアウェル・ツアーを行なって、バンドの歴史に終止符を打ったのだった。
その後、ドゥービーズはマクドナルド抜きで89年に再結成する。
以後は現在に至るまで、アルバムのリリースこそ大幅にペースダウンしたものの、地道に活動を続けている。かつてバンドを離れていったジョンストン、ハートマンも復帰している。
結局、マクドナルドの参加が、元からのバンドメンバーの結束を乱してしまったということなのか。
セールスは上向きになったものの、一部メンバーの趣味嗜好があまりにも生かされてしまい、バンドの本来の持ち味が次第に失われてしまったのだろう。
バンドの結束力と、売れる音楽。
このふたつのバランスを保つことが、いかにも難しいことを感じさせる一枚である。
<独断評価>★★★★
米国のロック・バンド、ザ・ドゥービー・ブラザーズの8枚目のアルバム。78年リリース。テッド・テンプルマンによるプロデュース。
ドゥービーズといえば「ロング・トレイン・ランニング」「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」「チャイナ・グローブ」あたりが代表曲だが、それらはマイケル・マクドナルドが75年に途中参加する以前のレパートリーで、その頃はトム・ジョンストンが主にフロントをつとめていた。
しかし、ジョンストンは77年のアルバム「運命の掟」でのレコーディングがバンドでの最後の活動となった。
そのアルバムでは曲の提供もせずに、ひとの曲をただ歌うだけであったし、ツアーにも参加しなかった。
マクドナルドの参加と、そのことによるバンドの音楽路線の変更を、こころよく受け入れられなくなっていたのだろう、結局この「ミニット・バイ・ミニット」を制作する前に正式に脱退を表明したのである。
初期からドゥービーズを応援していたファンたちにとっては、非常に悔しい事態であった。
とは言え、バンドとジョンストンとの関係は完全に切れてしまったわけではなく、このアルバムでも一曲だけ、ゲストボーカルという扱いで参加している。残念ながら曲は他人の作品なのだが。
また後にジョンストンはフェアウェル・ツアーでも参加している。
「ヒア・トゥ・ラヴ・ユー」はマクドナルド作、リード・ボーカルのナンバー。バックの女性コーラスは、ローズマリー・バトラー。
彼のピアノ、ホーンをフィーチャーした、ファンキーなAORナンバー。いかにも都会的な音だ。
ここにはかつての汗臭い、土臭いドゥービーズは、どこにもいない。
「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は同じくマクドナルドと、ケニー・ロギンスの共作によるナンバー。
翌年シングル・カットされて、4年ぶりに全米1位の大ヒットとなった。マクドナルドの代表曲としてよく知られている。また、共作者のロギンス版もレコーディングされている。
このメガヒットによりドゥービーズは、マクドナルドがフロントマンのグループへと、イメージが一気に塗り替えられたといっていい。
ファルセット・ボイスが特徴的な、マクドナルドの泣き節が全開の一曲。
一度聴くと耳にこびりつく曲のリズムも、他のアーティストにずいぶん真似されたという記憶がある。
「ミニット・バイ・ミニット」は三たびマクドナルドの作品(レスター・エイブラムスとの共作)。フュージョン色の強いナンバー。
ヘレン・レディ、ピーボ・ブライソン、テンプテーションズなど何人ものシンガーにカバーされただけでなく、ラリー・カールトンやスタンリー・クラークのようなインスト・カバーもある名曲。
たたみかけるリズムが、実に心地よい。
「ディペンディン・オン・ユー」はパット・シモンズとマクドナルドの共作。ボーカルもふたりが担当していて、バトラーもコーラスで加わっている。
ロックというよりは明らかにソウル寄りのノリ。シモンズのボーカルも黒っぽい。
「轍を見つめて」はジョンストンがゲスト・ボーカルをつとめるロック色の強いナンバー。シモンズ、ジェフ・バクスター、マイケル・エバートの共作。
ジョンストンの熱いシャウトを聴くと、昔ながらのロックなドゥービーズを感じる。これをもっと聴きたかったなぁ。
「オープン・ユア・アイズ」はマクドナルド、エイブラムス、パトリック・ヘンダーソンの共作。
これもコーラスを強調した、都会的なフュージョン・サウンドだ。
「スウィート・フィーリン」はシモンズ、プロデューサーのテッド・テンプルマンの共作。シモンズのデュエットの相手はニコレット・ラーソンだ。
シモンズの曲としてはかなりAOR寄りな作風で、ちょっとスティーリー・ダンにも通じる雰囲気がある。
「スティーマー・レイン・ブレークダウン」はアルバム唯一のインストゥルメンタル・ナンバー。シモンズの作品。
いかにも彼が好きそうな、ブルーグラス・フレーバーがあふれるカントリー・ロックに仕上がっている。ペダルスティールを弾いているのはバクスター。
これこそが、本来のドゥービーズって音じゃないかな。
「ユー・ネヴァー・チェンジ」もシモンズの作品。こちらはシモンズとマクドナルドのデュオ・ボーカルという新基軸のナンバー。
でも、ドゥービーズらしいサウンドかどうかと問うなら、答えは残念ながら「ノー」だなぁ。
ラストの「ハウ・ドゥ・ザ・フールズ・サーヴァイヴ?」はマクドナルドと女性ソングライター、キャロル・ベイヤー・セイガーの共作。
フュージョン色の強いナンバー。後半のソリッドでファンクなギターはバクスターが弾いている。これがなんともクールだ。
だが、彼もこのアルバムを最後に、ドゥービーズを離れることになる。また、ドラムスのジョン・ハートマンも脱退を表明する。
AORへの本格的なシフトチェンジ、メンバーの交代、セールスアップなど、いろいろな意味でドゥービーズの「ターニング・ポイント」となったアルバムがこの「ミニット・バイ・ミニット」。
音楽的にはマクドナルドとシモンズの双頭体制が決定的となり、ドゥービーズはこのふたりのバランスの上にしばらくは続いていく。
しかし、80年代に入り、各メンバーのソロ活動が活発となり、バンドとして続けていくことが難しくなる。
リーダーであるシモンズは82年に解散を宣言、大々的なフェアウェル・ツアーを行なって、バンドの歴史に終止符を打ったのだった。
その後、ドゥービーズはマクドナルド抜きで89年に再結成する。
以後は現在に至るまで、アルバムのリリースこそ大幅にペースダウンしたものの、地道に活動を続けている。かつてバンドを離れていったジョンストン、ハートマンも復帰している。
結局、マクドナルドの参加が、元からのバンドメンバーの結束を乱してしまったということなのか。
セールスは上向きになったものの、一部メンバーの趣味嗜好があまりにも生かされてしまい、バンドの本来の持ち味が次第に失われてしまったのだろう。
バンドの結束力と、売れる音楽。
このふたつのバランスを保つことが、いかにも難しいことを感じさせる一枚である。
<独断評価>★★★★