2023年1月28日(土)
#437 HORACE SILVER「ザ・トーキョー・ブルース」(東芝EMI/Blue Note TOCJ-6493)
米国のジャズ・ピアニスト、ホレス・シルヴァーのリーダー・アルバム。62年リリース。アルフレッド・ライオンによるプロデュース。
今ではまったく想像がつかないであろうが、62年代初頭の、日本におけるシルヴァーの人気は凄まじかった。
それこそ、後代のロック・ミュージシャンのそれにも匹敵するような熱い支持を集めていた。
シルヴァーに限らずモダン・ジャズ、とりわけファンキー・ジャズと呼ばれる種類のジャズが、その時期の日本では異常なまでに人気となった。
その火付け役はドラマー、アート・プレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズ。
彼らは61年に来日公演を行い、その激しいライブ・パフォーマンスで日本中を熱狂させたのである。
そのファンの多くは、高価なLPレコードを購入出来る高所得者層、大学生以上のインテリ層が中心で、ロカビリーなどを好む以前の洋楽ファンとは人種がいささか違っていたのだが。
そして、ブレイキーの余熱冷めやらぬ中、50年代に初代ジャズ・メッセンジャーズのピアニストだったホレス・シルヴァーが、61年末から62年初頭にかけて自らのバンドを率いて来日、またまた日本の聴衆を興奮のるつぼに叩き込んだのだった。
日本の観客のリアクションの良さにいたく気をよくしたシルヴァーは、次のアルバムのテーマを「日本の印象」とすることに決めた。
約半年後、オール書き下ろしの新曲という、当時のジャズ界ではちょっと珍しいアルバムが完成した。この「ザ・トーキョー・ブルース」である。
楽曲は、一曲を除いて全てシルヴァーの作品。唯一の例外である「チェリー・ブラッサム」はシルヴァーと親交のあるピアニスト、ローネル・ブライトに依頼して本盤のために書いてもらった曲である。
アルバム・ジャケットの写真は、来日時のショットかと思いきやそうではなく、ニューヨークにある日本庭園での撮影とのこと。日本人女性モデルのうちのひとり(向かって右の女性)は、シルヴァーの知人で出光興産のご令嬢である出光真子さんだそうだ。
パーソネルはピアノのシルヴァー、トランペットのブルー・ミッチェル、テナー・サックスのジュニア・クック、ベースのジーン・テイラー、ドラムスのジョン・ハリス・ジュニア。
オープニングの「トゥー・マッチ・サケ」はブルース形式のスウィング・ナンバー。「恋とはなんでしょう」、あるいは「ホット・ハウス」スタイルというべきか。
タイトルは、日本公演の打ち上げか何かでシルヴァーたちが日本酒を飲み過ぎて酔っぱらった経験から来ている。米国人にとって日本のものといえばまず日本酒、サケなんだろうね。
テーマ演奏の後、クック、ミッチェル、シルヴァーの順でソロを渡していく。シルヴァーのプレイには、どことなくラテン風フレーバーが漂う。エンディングはちょっとだけど和風。
深酒ブルースのあとは「サヨナラ・ブルース」だ。
サケに次いで記憶に残ったジャパニーズ・ワードは、別れの言葉、サヨナラ。それって、コンニチワよりは言いやすいからか?
来日してもいずれ日本を去って帰国しなければならない彼らにとっては、覚えておかねばならぬマスト・ワードなのだろうな。
哀感に満ちたテーマが、そのタイトルにいかにもふさわしい。
ゆっくりとしたテーマ演奏の後、ラテン調にテンポ・アップしていく。ミッチェル、クック、そしてシルヴァーのソロ。
ここでシルヴァーはアドリブをメロディアスに弾くことよりも、テーマ中に含まれる「リズム」を繰り返し、それに合ったフレーズを弾くような弾き方に徹している。あくまでも、リズムが主役なのだ。
いってみれば「グルーヴ」、さらにいえば「トランス」を作り出すことが、彼のピアノ・プレイの根本にあるのだ。
そして、それがファンキー・ジャズの本質であり、魅力でもあるのだろう。
余談だが、石原慎太郎の異色のジャズ小説「ファンキー・ジャンプ」は、パリで聴いたホレス・シルヴァーの演奏に触発されて書かれている。
その中に、主人公の演奏を「ナーコティック(麻薬的)」と形容する表現が出て来るのだが、石原もまた、リズム重視のパーカッシブな彼の演奏に、麻薬にも似た「トランス」を感じたのだろうな、と思う。
「ザ・トーキョー・ブルース」はデューク・ジョーダン作の「ノー・プロブレム(危険な関係のブルース))」に雰囲気のよく似たナンバー。
テーマ、クックのソロ、ミッチェルのソロに続いて、シルヴァーのソロとなる。
シルヴァーはこの曲においても、メロディよりもリズム優先でソロを組み立てている。
ピアノの左手の動きこそがこの曲をリードしている、そんな感じだ。
バラード・ナンバー「チェリー・ブラッサム」はホーン抜きのトリオ編成による演奏。
日本といえば、なんといっても桜の花。そういうイメージから、この曲は生まれたのだろう。
ロマンティックな雰囲気のメロディを、シルヴァーは正統派のスタイルで弾き切っている。
ラストの「アー! ソー」は当時の陛下の口癖から取った…のかどうは定かではないが、「あっそー」という日本語がみょうに記憶に残ったシルヴァーがタイトルした、アップテンポのスウィング・ナンバー。
テーマは複雑なビバップ・スタイル。クック、ミッチェルと快調にソロが進み、最後はシルヴァーが自由奔放にスウィングしてみせる。
以上の5曲、いずれもシルヴァーならではのスタイルでまとめ上げられた、水準の高い演奏ばかりである。ホーン、リズム、共に一級の仕上がりだ。
シルヴァーといえば、スティーリー・ダンが「リキの電話番号」にそのフレーズを引用したことで知られる「ソング・フォー・マイ・ファーザー」が有名過ぎて、他のアルバムにスポットが当たることは稀だが、このような佳作もあるのだ。
ピアニストとしての才能はいうまでもないが、コンポーザーとしての能力も極めて高いことが、彼のリーダー・アルバムを聴くとよく分かる。
「ザ・トーキョー・ブルース」という曲はインストのみならず、それに詞を付けて歌曲としても演奏されているので、シルヴァーは「歌う」ということを、常日頃意識した曲作りをしていたのだろう。
華々しい評価こそされずに終わったが、彼こそはホンモノの、つまり総合的な意味での音楽家だったと思う。アルバム「ザ・トーキョー・ブルース」は、その見事な証明となる一作である。
<独断評価>★★★★
米国のジャズ・ピアニスト、ホレス・シルヴァーのリーダー・アルバム。62年リリース。アルフレッド・ライオンによるプロデュース。
今ではまったく想像がつかないであろうが、62年代初頭の、日本におけるシルヴァーの人気は凄まじかった。
それこそ、後代のロック・ミュージシャンのそれにも匹敵するような熱い支持を集めていた。
シルヴァーに限らずモダン・ジャズ、とりわけファンキー・ジャズと呼ばれる種類のジャズが、その時期の日本では異常なまでに人気となった。
その火付け役はドラマー、アート・プレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズ。
彼らは61年に来日公演を行い、その激しいライブ・パフォーマンスで日本中を熱狂させたのである。
そのファンの多くは、高価なLPレコードを購入出来る高所得者層、大学生以上のインテリ層が中心で、ロカビリーなどを好む以前の洋楽ファンとは人種がいささか違っていたのだが。
そして、ブレイキーの余熱冷めやらぬ中、50年代に初代ジャズ・メッセンジャーズのピアニストだったホレス・シルヴァーが、61年末から62年初頭にかけて自らのバンドを率いて来日、またまた日本の聴衆を興奮のるつぼに叩き込んだのだった。
日本の観客のリアクションの良さにいたく気をよくしたシルヴァーは、次のアルバムのテーマを「日本の印象」とすることに決めた。
約半年後、オール書き下ろしの新曲という、当時のジャズ界ではちょっと珍しいアルバムが完成した。この「ザ・トーキョー・ブルース」である。
楽曲は、一曲を除いて全てシルヴァーの作品。唯一の例外である「チェリー・ブラッサム」はシルヴァーと親交のあるピアニスト、ローネル・ブライトに依頼して本盤のために書いてもらった曲である。
アルバム・ジャケットの写真は、来日時のショットかと思いきやそうではなく、ニューヨークにある日本庭園での撮影とのこと。日本人女性モデルのうちのひとり(向かって右の女性)は、シルヴァーの知人で出光興産のご令嬢である出光真子さんだそうだ。
パーソネルはピアノのシルヴァー、トランペットのブルー・ミッチェル、テナー・サックスのジュニア・クック、ベースのジーン・テイラー、ドラムスのジョン・ハリス・ジュニア。
オープニングの「トゥー・マッチ・サケ」はブルース形式のスウィング・ナンバー。「恋とはなんでしょう」、あるいは「ホット・ハウス」スタイルというべきか。
タイトルは、日本公演の打ち上げか何かでシルヴァーたちが日本酒を飲み過ぎて酔っぱらった経験から来ている。米国人にとって日本のものといえばまず日本酒、サケなんだろうね。
テーマ演奏の後、クック、ミッチェル、シルヴァーの順でソロを渡していく。シルヴァーのプレイには、どことなくラテン風フレーバーが漂う。エンディングはちょっとだけど和風。
深酒ブルースのあとは「サヨナラ・ブルース」だ。
サケに次いで記憶に残ったジャパニーズ・ワードは、別れの言葉、サヨナラ。それって、コンニチワよりは言いやすいからか?
来日してもいずれ日本を去って帰国しなければならない彼らにとっては、覚えておかねばならぬマスト・ワードなのだろうな。
哀感に満ちたテーマが、そのタイトルにいかにもふさわしい。
ゆっくりとしたテーマ演奏の後、ラテン調にテンポ・アップしていく。ミッチェル、クック、そしてシルヴァーのソロ。
ここでシルヴァーはアドリブをメロディアスに弾くことよりも、テーマ中に含まれる「リズム」を繰り返し、それに合ったフレーズを弾くような弾き方に徹している。あくまでも、リズムが主役なのだ。
いってみれば「グルーヴ」、さらにいえば「トランス」を作り出すことが、彼のピアノ・プレイの根本にあるのだ。
そして、それがファンキー・ジャズの本質であり、魅力でもあるのだろう。
余談だが、石原慎太郎の異色のジャズ小説「ファンキー・ジャンプ」は、パリで聴いたホレス・シルヴァーの演奏に触発されて書かれている。
その中に、主人公の演奏を「ナーコティック(麻薬的)」と形容する表現が出て来るのだが、石原もまた、リズム重視のパーカッシブな彼の演奏に、麻薬にも似た「トランス」を感じたのだろうな、と思う。
「ザ・トーキョー・ブルース」はデューク・ジョーダン作の「ノー・プロブレム(危険な関係のブルース))」に雰囲気のよく似たナンバー。
テーマ、クックのソロ、ミッチェルのソロに続いて、シルヴァーのソロとなる。
シルヴァーはこの曲においても、メロディよりもリズム優先でソロを組み立てている。
ピアノの左手の動きこそがこの曲をリードしている、そんな感じだ。
バラード・ナンバー「チェリー・ブラッサム」はホーン抜きのトリオ編成による演奏。
日本といえば、なんといっても桜の花。そういうイメージから、この曲は生まれたのだろう。
ロマンティックな雰囲気のメロディを、シルヴァーは正統派のスタイルで弾き切っている。
ラストの「アー! ソー」は当時の陛下の口癖から取った…のかどうは定かではないが、「あっそー」という日本語がみょうに記憶に残ったシルヴァーがタイトルした、アップテンポのスウィング・ナンバー。
テーマは複雑なビバップ・スタイル。クック、ミッチェルと快調にソロが進み、最後はシルヴァーが自由奔放にスウィングしてみせる。
以上の5曲、いずれもシルヴァーならではのスタイルでまとめ上げられた、水準の高い演奏ばかりである。ホーン、リズム、共に一級の仕上がりだ。
シルヴァーといえば、スティーリー・ダンが「リキの電話番号」にそのフレーズを引用したことで知られる「ソング・フォー・マイ・ファーザー」が有名過ぎて、他のアルバムにスポットが当たることは稀だが、このような佳作もあるのだ。
ピアニストとしての才能はいうまでもないが、コンポーザーとしての能力も極めて高いことが、彼のリーダー・アルバムを聴くとよく分かる。
「ザ・トーキョー・ブルース」という曲はインストのみならず、それに詞を付けて歌曲としても演奏されているので、シルヴァーは「歌う」ということを、常日頃意識した曲作りをしていたのだろう。
華々しい評価こそされずに終わったが、彼こそはホンモノの、つまり総合的な意味での音楽家だったと思う。アルバム「ザ・トーキョー・ブルース」は、その見事な証明となる一作である。
<独断評価>★★★★