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☆京の冬の旅 * 醍醐寺 伽藍エリア

2022-02-26 | ♥京都・奈良の旅

五重塔(国宝)

傾いている?

 

 

醍醐寺(だいごじ)は、醍醐山にある広大な寺院で、上醍醐下醍醐に分かれています

総門から入り、正面にみえる仁王門(西大門)をくぐると、広大な下伽藍に出会います

下伽藍には、清瀧宮本殿(重文)や、祖師堂、不動堂、観音堂、弁天堂、女人堂など多くの堂宇が点在

 

上醍醐、下醍醐の伽藍に、あわせて6棟の国宝、10棟の重要文化財の建物があり

これらの伽藍は醍醐寺の長い歴史を見守り続けてきました

 

 

西大門(仁王門)

豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長10年(1605)に再建したもの

 

 

 

安置されている仁王像(重文)は、もとは南大門に祀られていた尊像で

平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された

体内の墨書、納札等に南大門から移された経緯などがかかれています

 

 

阿・吽の鉄則

 

 

 

 

 

 

参道に沿っての森林は伐採されていました

 

 

そばに祠

 

 

清瀧宮拝殿

醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社

永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました

その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになりましたが、文明の兵火により焼失

現在の社殿は永正14年(1517)に再建され、慶長4年(1599)、座主・義演(ぎえん)僧正により拝殿の整備が施されました

毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われています

 

 

 

 

金堂

醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物

当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました

現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され

秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました

この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です

 

 

 

 

 

 

五重塔

醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し

第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成

高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています

京都府下で最も古い木造建築物となっています

 

 

 

初層の内部には両界曼荼羅(りょうかいまんだら)や真言八祖が描かれた壁画があり

日本密教絵画の源流をなすものといわれています

これらの壁画も国宝に指定されている

 

 

 

不動堂

不動堂には、不動明王と五大明王が安置されています

 

 

 

祖師堂

弘法大師・空海と

その孫弟子で醍醐寺を開創した理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が祀られていて

空海の誕生日である6月15日には降誕会が開かれます

 

 

 

 

日月門

 

 

 

行きから見える

 

帰りから見える鬼

 

 

 

観音堂

この観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼びます

これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進により造築されたものです

 

 

 

お休み処「寿庵」の先に弁天堂

 

 

観音堂、新緑・紅葉の季節はまた見応えあるでしょう

 

 

弁天堂

堂内には、音楽などの学芸や知識の女神であるとして

広く知られている弁才天(七福神の一つ)が祀られています

 

 

 

弁天堂の右奥に入って、少し下って行くと

 

 

滝があり、サラサラ池に流れてゆく京都らしい安らぎの場所でした

 

 

引き返し、立派な弁天堂の石積みに気付く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京の冬の旅 特別公開

 

 

 

参考資料:醍醐寺公式HP・パンフレット

 

 

 

 

 

 


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