五重塔(国宝)
傾いている?
醍醐寺(だいごじ)は、醍醐山にある広大な寺院で、上醍醐と下醍醐に分かれています
総門から入り、正面にみえる仁王門(西大門)をくぐると、広大な下伽藍に出会います
下伽藍には、清瀧宮本殿(重文)や、祖師堂、不動堂、観音堂、弁天堂、女人堂など多くの堂宇が点在
上醍醐、下醍醐の伽藍に、あわせて6棟の国宝、10棟の重要文化財の建物があり
これらの伽藍は醍醐寺の長い歴史を見守り続けてきました
西大門(仁王門)
豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長10年(1605)に再建したもの
安置されている仁王像(重文)は、もとは南大門に祀られていた尊像で
平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された
体内の墨書、納札等に南大門から移された経緯などがかかれています
阿・吽の鉄則
参道に沿っての森林は伐採されていました
そばに祠
清瀧宮拝殿
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社
永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました
その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになりましたが、文明の兵火により焼失
現在の社殿は永正14年(1517)に再建され、慶長4年(1599)、座主・義演(ぎえん)僧正により拝殿の整備が施されました
毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われています
金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物
当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました
この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です
五重塔
醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成
高さは約38mで屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています
京都府下で最も古い木造建築物となっています
初層の内部には両界曼荼羅(りょうかいまんだら)や真言八祖が描かれた壁画があり
日本密教絵画の源流をなすものといわれています
これらの壁画も国宝に指定されている
不動堂
不動堂には、不動明王と五大明王が安置されています
祖師堂
弘法大師・空海と
その孫弟子で醍醐寺を開創した理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が祀られていて
空海の誕生日である6月15日には降誕会が開かれます
日月門
行きから見える
帰りから見える鬼
観音堂
この観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼びます
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進により造築されたものです
お休み処「寿庵」の先に弁天堂
観音堂、新緑・紅葉の季節はまた見応えあるでしょう
弁天堂
堂内には、音楽などの学芸や知識の女神であるとして
広く知られている弁才天(七福神の一つ)が祀られています
弁天堂の右奥に入って、少し下って行くと
滝があり、サラサラ池に流れてゆく京都らしい安らぎの場所でした
引き返し、立派な弁天堂の石積みに気付く
京の冬の旅 特別公開
参考資料:醍醐寺公式HP・パンフレット
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