東京(成田)からイスタンブール(時差6時間)、乗り継いでポドゴリツァ(時差1時間)
小雨が降った後らしい天気に到着後、ユネスコ世界遺産コトル(Kotor)に向かう
モンテネグロ 旧ユーゴスラヴィア連邦の一部
モンテネグロの国旗
バルカン半島の南スラヴ系国家。セルビアとの関係が強い。
16世紀からオスマン帝国の支配が及ぶが自治権を守った。露土戦争によって1878年、王国として独立した。
モンテネグロとはイタリア語(ヴェネツィア方言)で「黒い山」を意味し、現地では同じ意味で「ツルナゴーラ」という。
自国での正式な国号は「ツルナゴーラ共和国」である。黒い山と言っても実際には樹木は少なく、白っぽい山地が多い。
住民はモンテネグロ人というが、南スラヴ系でセルビア人とはほとんど違いが無く、言語もセルビア語の方言程度の差しかない。
また南に隣接するアルバニア系の住民、a href="wh0501-015.html">ムスリム人なども多い。
中世にはセルビア王国に属していたが次第に独自の道を歩むようになり、ヴラディカという正教会の主教が政治をとる一種の神政政治が行われた。
16世紀にはオスマン帝国の圧迫を受けたが、完全に支配されることはなく、バルカン諸国の中で一定の税を納める貢納国として自治を守りモンテネグロ公国となった。
この歴史的経緯がモンテネグロ人意識を強めている。参照=歴史の窓=
首都のポドゴリツァはモンテネグロ語で「ゴリツァのふもと」を意味する
ゴリツァは「小さな丘」
季節の花、バラがお出迎え(*´▽`*)
糸杉に異国に来た実感がした
重くのしかかった空は、洋画家の描く風景画の空で、これがそのまま大雨になるとは限らない
(午前10時ごろ)
観光開発が近年急速に進みつつあるがモンテネグロ沿岸は、まだ知る人々のみだけの静かな未開発の場所
途中、 スヴェティ・ステファン (Sveti Stefan)の高級リゾートを遠望
セルビア語キリル文字表記:Свети Стефан、イタリア語:Santo Stefano di Pastrovicchio)
かつては潮の満ち引きで地続きとなる島であったが、現在は狭い地峡で本土と結ばれている
※スヴェティ・ステファンは、15世紀に漁村として人が住み始めた
1950年代に村の最後の住民が立ち退いて
スヴェティ・ステファンは村全体が豪奢なホテルに生まれ変わったり、モンテネグロ沿岸部で最も高級なリゾートになった
(通り、壁、屋根、ファサードといった建物を構成する部分は原型をそのまま維持し)
セレブレティに人気があり、ヴィリー・ブラント、ボビー・フィッシャー、ソフィア・ローレンとカルロ・ポンティ、
モニカ・ヴィッティ、カーク・ダグラス、クラウディア・シファーといった人々がやってきた
=Wikipedia参照=
手前の樹木は「オリーヴ」
アドリア海に飛び出した出島、遙か向かいはイタリア
次はコトル(Kotor)へ
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