4/26は元寇の島、鷹島を目指して出発。
途中、松浦市の「海のふるさと館」で休憩と買い物。
↓
果物・野菜・雑貨品など、なんでも安い!
何かとたくさん購入し、再出発。
美しい海を眺めながら走り、鷹島に到着。
↓
元寇船がどこに沈んでいるのか…? 長年の謎だったが、
ついに数年前に、この近くの海底で発見された。
↓
復元された元の船の模型。
美しかったことは分かったが、大きさは想像できない。
↓
↑
解説によると船の幅は8m! 碇(いかり)も巨大。数個つなげていた。
↓
↑
青く塗られているのは碇石。
引き揚げられたり、復元された品々も大きいが、
床に実物大の碇が描かれていて、その大きさに、さらにビックリ。
↓
碇石も大きい
↓
↑
上の絵に描かれている青い長方形の一つ一つが、こんなに大きい!
↑
引き揚げられた船体の大小の破片などが
↓
↑
たくさん展示されている。
↓
戦艦を中心に船団を組んで来襲したことが分かる。
↓
薄い金属網のような衣類を着て体を守り、
毒矢・鉄砲などの兵器を使って戦った元軍兵と
↓
↑
平安末期から変わらぬ鎧兜の日本兵とでは、
どちらが有利か? 一目瞭然だが、台風(神風)で元軍は全滅。
海底からは水・食料を入れていたと思えるカメや、
↓
↑
無事の帰還を祈った仏像なども引き上げられた
元軍と言っても、多くは元に土地を奪われた高麗や南宋の兵。
14万2千人もの兵士のほとんとが、一晩にして亡くなった。
庭には元寇記念碑
↓
元寇の島である鷹島町は
モンゴル人民共和国との
文化親善交流を記念し
21世紀に夢を託し
後世に今を伝えるため
元寇カプセルを埋設する と書かれている。
というわけで、鷹島は“勝利の島”
戦勝祈願・お礼参りの島となった。
↓
鷹はホークス。ダイエーホークスが戦勝祈願をし、
勝利のお礼に訪れ、ファンがたくさん来るらしい。
ホークスが2011年の日本シリーズで優勝した記念碑
↓
↑ ↑
王貞治会長の手形 秋山幸二監督の手形
モンゴル村は閉じられていて残念。
途中、松浦市の「海のふるさと館」で休憩と買い物。
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果物・野菜・雑貨品など、なんでも安い!
何かとたくさん購入し、再出発。
美しい海を眺めながら走り、鷹島に到着。
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元寇船がどこに沈んでいるのか…? 長年の謎だったが、
ついに数年前に、この近くの海底で発見された。
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復元された元の船の模型。
美しかったことは分かったが、大きさは想像できない。
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解説によると船の幅は8m! 碇(いかり)も巨大。数個つなげていた。
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青く塗られているのは碇石。
引き揚げられたり、復元された品々も大きいが、
床に実物大の碇が描かれていて、その大きさに、さらにビックリ。
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碇石も大きい
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上の絵に描かれている青い長方形の一つ一つが、こんなに大きい!
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引き揚げられた船体の大小の破片などが
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たくさん展示されている。
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戦艦を中心に船団を組んで来襲したことが分かる。
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薄い金属網のような衣類を着て体を守り、
毒矢・鉄砲などの兵器を使って戦った元軍兵と
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平安末期から変わらぬ鎧兜の日本兵とでは、
どちらが有利か? 一目瞭然だが、台風(神風)で元軍は全滅。
海底からは水・食料を入れていたと思えるカメや、
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無事の帰還を祈った仏像なども引き上げられた
元軍と言っても、多くは元に土地を奪われた高麗や南宋の兵。
14万2千人もの兵士のほとんとが、一晩にして亡くなった。
庭には元寇記念碑
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元寇の島である鷹島町は
モンゴル人民共和国との
文化親善交流を記念し
21世紀に夢を託し
後世に今を伝えるため
元寇カプセルを埋設する と書かれている。
というわけで、鷹島は“勝利の島”
戦勝祈願・お礼参りの島となった。
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鷹はホークス。ダイエーホークスが戦勝祈願をし、
勝利のお礼に訪れ、ファンがたくさん来るらしい。
ホークスが2011年の日本シリーズで優勝した記念碑
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王貞治会長の手形 秋山幸二監督の手形
モンゴル村は閉じられていて残念。
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