2014( 平成26)年6月4日(水)
NHK総合テレビで放映された
歴史秘話ヒストリア
ここでも少し書いたように、
“気分的邪馬台国畿内説賛同者”の私は、
うんうんと頷きながら
嬉しくこの番組を見ていた。
この放送はネット上で大きな反響を呼んだ。
・・・・・・・・・・
Yahoo 知恵袋でも
↓
ベストアンサーに選ばれた人は、
「…というわけで『さぐり』を入れて
反応を見ているのかもしれません」
と、締めている。
私も、NHKはこの番組を放送をして
「どんな反応が出て来るのかな?」と、
探っている気がする。
小松格氏はブログ『日本史の謎』に迫るで、
「古代史に詳しい知識のない一般の人は、
3世紀の邪馬台国は大和の纏向で
卑弥呼の墓は箸墓古墳、
そうして
その国家の源流は北九州の2世紀の平原遺跡
であると思い込まされる筋書きのようであった」と。
古賀達也氏もブログ 洛中洛外日記 で
「放送倫理上問題」だと批判している。
一方、こんなブログもある
伊都国発邪馬台国東遷説を
強く裏付ける展開となった。
それがしにとっては
東遷説に合理性を抱いていたが
卑弥呼の国が伊都国というのには
眠気も覚める思いがした。
・・・・・・・・・・
こんな話題沸騰の平原(ひらばる)王墓の
すぐ近くまで来ているのだから
立ち寄らない理由はない。
平原王墓から発掘された遺跡や品々は
ごっそり、糸島市の
伊都国博物館で展示されている。
展示室に入ると、すぐに目に入ったのが銅鐸。
青色に錆びたレプリカしか
見たことがなかったので
お寺の鐘のように吊るされ
ぴかぴか光った銅鐸に目を見張った。
↓
当時の支配階級の女性の衣装も絢爛豪華 ↑
「歴史秘話ヒストリア」で
卑弥呼の母のものとされた
平原王墓から運ばれた墳墓。
こちらが足側 ↓
↑
こちらが頭側で、首辺りには
首飾りや耳飾りなどの装飾品。
当時の男性は耳飾りをしなかったので
被葬者は女性と考えられた。
卑弥呼の前の王は男性とされていたが
どうも違ったようである。
解説の男性も「歴史秘話ヒストリア」の
放映から10カ月ほどしか
経っていないためもあるのだろう…、
「あれが放映されたことは遺憾」
との気持ちがにじみ出ていて
語り口も重い。
↑
上にも書かれ、ヒストリアでも
放映していた割れた銅鏡 ↓
これはレプリカだが ↑
この写真は発見された時の割れた鏡 ↓
↑
これは想像図。
ヒストリアでは、この上に建物が立っていて、
↓
日の出とともに建物内に
差し込んだ日光を
巫女たちが鏡で受け
母の隣に寝ている卑弥呼に
母の霊を移す儀式を行ってから
鏡が割られた。こちらに詳しく書かれています。
解説の男性は
「これらの鏡は
叩きつけて割れるようなものではない」と
憤懣やるせない様子だった。
邪馬台国九州説は
機内説よりずっと支持者が多かったが
箸墓古墳の研究や、このヒストリアで
「逆転しているのでは?」
と、私には思える。
特に奈良県の人たちは大喜びだろう。
反対に
九州の人達は、怒りと落胆が
入り混じっているだろう。
平原王墓以外の古墳の
レプリカなども展示されていて
これは、前原市の釜塚古墳のレプリカ
↓
その解説の中に、船形埴輪の写真があり
これは三重県! 見に行きたい。
↓
他の展示室に行ってみると
↑
私が幼児~小学校の低学年の頃は
私も近所の人達も
日常的に使っていた道具が
展示されていて、ガックリ。
↓
草鞋(わらじ) 足半(あしなか) 藁草履(わらぞうり)
↓ ↓ ↓
私は子どもの頃には
藁草履は履いたことがある。
草鞋は見たことがあるが
足半は見たこともなかった。
我々より10歳下の人達は、
既に、どの品も見たことがないだろう。
「歴史資料館で展示すべきものなんだ」
と思うと
ものすごく歳をとった気分になった。
入館料も65歳以上で半額だったし…。
ここを最後の見学地とし
高速道路を飛ばして
新門司港に向かった。
NHK総合テレビで放映された
歴史秘話ヒストリア
ここでも少し書いたように、
“気分的邪馬台国畿内説賛同者”の私は、
うんうんと頷きながら
嬉しくこの番組を見ていた。
この放送はネット上で大きな反響を呼んだ。
・・・・・・・・・・
Yahoo 知恵袋でも
↓
ベストアンサーに選ばれた人は、
「…というわけで『さぐり』を入れて
反応を見ているのかもしれません」
と、締めている。
私も、NHKはこの番組を放送をして
「どんな反応が出て来るのかな?」と、
探っている気がする。
小松格氏はブログ『日本史の謎』に迫るで、
「古代史に詳しい知識のない一般の人は、
3世紀の邪馬台国は大和の纏向で
卑弥呼の墓は箸墓古墳、
そうして
その国家の源流は北九州の2世紀の平原遺跡
であると思い込まされる筋書きのようであった」と。
古賀達也氏もブログ 洛中洛外日記 で
「放送倫理上問題」だと批判している。
一方、こんなブログもある
伊都国発邪馬台国東遷説を
強く裏付ける展開となった。
それがしにとっては
東遷説に合理性を抱いていたが
卑弥呼の国が伊都国というのには
眠気も覚める思いがした。
・・・・・・・・・・
こんな話題沸騰の平原(ひらばる)王墓の
すぐ近くまで来ているのだから
立ち寄らない理由はない。
平原王墓から発掘された遺跡や品々は
ごっそり、糸島市の
伊都国博物館で展示されている。
展示室に入ると、すぐに目に入ったのが銅鐸。
青色に錆びたレプリカしか
見たことがなかったので
お寺の鐘のように吊るされ
ぴかぴか光った銅鐸に目を見張った。
↓
当時の支配階級の女性の衣装も絢爛豪華 ↑
「歴史秘話ヒストリア」で
卑弥呼の母のものとされた
平原王墓から運ばれた墳墓。
こちらが足側 ↓
↑
こちらが頭側で、首辺りには
首飾りや耳飾りなどの装飾品。
当時の男性は耳飾りをしなかったので
被葬者は女性と考えられた。
卑弥呼の前の王は男性とされていたが
どうも違ったようである。
解説の男性も「歴史秘話ヒストリア」の
放映から10カ月ほどしか
経っていないためもあるのだろう…、
「あれが放映されたことは遺憾」
との気持ちがにじみ出ていて
語り口も重い。
↑
上にも書かれ、ヒストリアでも
放映していた割れた銅鏡 ↓
これはレプリカだが ↑
この写真は発見された時の割れた鏡 ↓
↑
これは想像図。
ヒストリアでは、この上に建物が立っていて、
↓
日の出とともに建物内に
差し込んだ日光を
巫女たちが鏡で受け
母の隣に寝ている卑弥呼に
母の霊を移す儀式を行ってから
鏡が割られた。こちらに詳しく書かれています。
解説の男性は
「これらの鏡は
叩きつけて割れるようなものではない」と
憤懣やるせない様子だった。
邪馬台国九州説は
機内説よりずっと支持者が多かったが
箸墓古墳の研究や、このヒストリアで
「逆転しているのでは?」
と、私には思える。
特に奈良県の人たちは大喜びだろう。
反対に
九州の人達は、怒りと落胆が
入り混じっているだろう。
平原王墓以外の古墳の
レプリカなども展示されていて
これは、前原市の釜塚古墳のレプリカ
↓
その解説の中に、船形埴輪の写真があり
これは三重県! 見に行きたい。
↓
他の展示室に行ってみると
↑
私が幼児~小学校の低学年の頃は
私も近所の人達も
日常的に使っていた道具が
展示されていて、ガックリ。
↓
草鞋(わらじ) 足半(あしなか) 藁草履(わらぞうり)
↓ ↓ ↓
私は子どもの頃には
藁草履は履いたことがある。
草鞋は見たことがあるが
足半は見たこともなかった。
我々より10歳下の人達は、
既に、どの品も見たことがないだろう。
「歴史資料館で展示すべきものなんだ」
と思うと
ものすごく歳をとった気分になった。
入館料も65歳以上で半額だったし…。
ここを最後の見学地とし
高速道路を飛ばして
新門司港に向かった。
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