魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

九州の旅14 伊都国博物館

2015-04-27 | 史跡
2014( 平成26)年6月4日(水)
NHK総合テレビで放映された
歴史秘話ヒストリア

ここでも少し書いたように、
“気分的邪馬台国畿内説賛同者”の私は、
うんうんと頷きながら
嬉しくこの番組を見ていた。

この放送はネット上で大きな反響を呼んだ。

・・・・・・・・・・
Yahoo 知恵袋でも
       ↓


ベストアンサーに選ばれた人は、
「…というわけで『さぐり』を入れて
 反応を見ているのかもしれません」

と、締めている。

私も、NHKはこの番組を放送をして
「どんな反応が出て来るのかな?」と、
探っている気がする。

小松格氏はブログ『日本史の謎』に迫るで、

「古代史に詳しい知識のない一般の人は、
 3世紀の邪馬台国は大和の纏向で
 卑弥呼の墓は箸墓古墳、
 そうして
 その国家の源流は北九州の2世紀の平原遺跡
 であると思い込まされる筋書きのようであった」と。

古賀達也氏もブログ 洛中洛外日記 で
「放送倫理上問題」だと批判している。

一方、こんなブログもある
伊都国発邪馬台国東遷説を
強く裏付ける展開となった。

それがしにとっては
東遷説に合理性を抱いていたが
卑弥呼の国が伊都国というのには
眠気も覚める思いがした。

・・・・・・・・・・

こんな話題沸騰の平原(ひらばる)王墓の
すぐ近くまで来ているのだから
立ち寄らない理由はない。



平原王墓から発掘された遺跡や品々は
ごっそり、糸島市の
伊都国博物館で展示されている。

展示室に入ると、すぐに目に入ったのが銅鐸。

青色に錆びたレプリカしか
見たことがなかったので
お寺の鐘のように吊るされ
ぴかぴか光った銅鐸に目を見張った。
   ↓
 

当時の支配階級の女性の衣装も絢爛豪華 ↑

「歴史秘話ヒストリア」で
卑弥呼の母のものとされた
平原王墓から運ばれた墳墓。

こちらが足側       ↓


           ↑
こちらが頭側で、首辺りには
首飾りや耳飾りなどの装飾品。

当時の男性は耳飾りをしなかったので
被葬者は女性と考えられた。

卑弥呼の前の王は男性とされていたが
どうも違ったようである。



解説の男性も「歴史秘話ヒストリア」の
放映から10カ月ほどしか
経っていないためもあるのだろう…、

「あれが放映されたことは遺憾」
との気持ちがにじみ出ていて
語り口も重い。


   ↑
上にも書かれ、ヒストリアでも
放映していた割れた銅鏡 ↓



これはレプリカだが ↑
この写真は発見された時の割れた鏡 ↓


    ↑
これは想像図。

ヒストリアでは、この上に建物が立っていて、
              ↓


日の出とともに建物内に
差し込んだ日光を
巫女たちが鏡で受け

母の隣に寝ている卑弥呼に
母の霊を移す儀式を行ってから
鏡が割られた。こちらに詳しく書かれています。

解説の男性は
「これらの鏡は
 叩きつけて割れるようなものではない」と

憤懣やるせない様子だった。

邪馬台国九州説は
機内説よりずっと支持者が多かったが

箸墓古墳の研究や、このヒストリアで
「逆転しているのでは?」

と、私には思える。

特に奈良県の人たちは大喜びだろう。
反対に
九州の人達は、怒りと落胆が
入り混じっているだろう。

平原王墓以外の古墳の
レプリカなども展示されていて

これは、前原市の釜塚古墳のレプリカ
            ↓


その解説の中に、船形埴輪の写真があり
これは三重県! 見に行きたい。
          ↓


他の展示室に行ってみると


          ↑
私が幼児~小学校の低学年の頃は
私も近所の人達も
日常的に使っていた道具が
展示されていて、ガックリ。
          ↓


 草鞋(わらじ)   足半(あしなか)  藁草履(わらぞうり)
   ↓           ↓           ↓


私は子どもの頃には
藁草履は履いたことがある。

草鞋は見たことがあるが
足半は見たこともなかった。

我々より10歳下の人達は、
既に、どの品も見たことがないだろう。

「歴史資料館で展示すべきものなんだ」
と思うと
ものすごく歳をとった気分になった。

入館料も65歳以上で半額だったし…。

ここを最後の見学地とし
高速道路を飛ばして
新門司港に向かった。

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