魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

法事で帰省、いこと訪問 幸子さん

2016-08-21 | ファミリー
8/21(日)は私の兄と父の法事

夫と共に生駒を6時に出発。
高速道路をひた走り、石川県へ。

予定より50分ほど早く到着しそうなので、
いとこの幸子さんに会おうと、
福井あたりで電話し
古い写真を準備しておいてほしい旨伝えた。

実家と言っていいのか分らないが、
今は亡き兄の家に車を置き、
家の裏の狭い川を渡ったところに建つ
いとこ宅へと足を運んだ。

この川で能美市と小松市に分かれ
いとこのアクセサリー工房と家は小松市。
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戦時中の話などを聞いたが、
樺太での戦時中の写真は1枚も持ち帰れなかったことを聞き、
おどろいた。
他のいとこは持ち帰っているのに、なぜ?!

あまり時間がないので、ゆっくりしゃべる暇もなく、
とにかく一緒に記念撮影



もうすぐ80歳になるというのに、弁舌さわやかで、
二人ともスッピンだが、目立つほどのシミもない。

私のきょうだい・いとこで、
認知症っぽい人は誰もいないのがうれしい。

若い頃のアルバムを借り、話を聞いているうちに、

「首から上ばかり酷く汗が出る。自律神経失調症と言われた」と。
髪がびしょ濡れになるほどの汗。

首を触診すると、今時の若い女性にないほどの
きれいな前彎のある首の骨。

でも、第2頸椎だけが捻じれていて、
それを調整した途端、汗はピタリと止まり、
すぐに髪はサラサラになった。

お礼にと手造りのネックレスを2つもらい
アルバムを借りて、亡き兄宅へ。

私が生まれ育った家の跡には、
今は姪の家族が住む家が建っていて、
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広い調理室のあった店の建物は、ガレージ・物置として残っている。

姪の子どもの口元のゆがみが気になり
おまいりが始まる前に調整。

法事は私の亡き兄の家族と、奥さんの親戚が2人、
私たちきょうだい夫婦という、ごく小人数で。



30年ほど前までは、通夜・葬式では
村中の人が公民館に集まり

法事でもいとこや遠い親戚の人達がいっぱい集まって
大合唱のようなお経で法要が営まれていた。

私の次男なんぞは
「一向一揆のパワーが脈々と受け継がれている!」と
感嘆の声を上げていたのに、
今ではすっかり変わってしまった。

父も兄も住んでいた家だが、
もう二人ともいないし、母も亡くなってもう36年。

私は母が亡くなった年齢、67歳になった。

私が生まれ育ち、
母が存命中に住んでいた家はもうないし、

小1時間で終わったおまいりの後、
料亭南月のマイクロバスで昼食に向かった。

料亭でも昔話をする心の余裕もなく、
私より姿勢が悪くなった姪の
調整をする時間的余裕ないまま、
生駒へと帰ることとなった。

朝は朝日を浴びて、夕方は西日を浴びて、
特に西日は、サングラスをかけていても眩しく、

車全体が焼けつくような暑さの中、
冷房の風が腕を直撃。

夏バテに拍車がかかってしまい、
その後はブログを書く元気も消え失せていた。

8/26頃から徐々に復活。8/27にようやく書けた。

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