魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

平和祈念公園・健児の塔

2014-06-16 | 史跡
那覇でのメンテ“力”UPセミナー終了後は、
羽田行きの飛行機はあるのに、大阪行きはない。

なので毎回、大阪に帰る場合は、翌日沖縄の各地を巡る。

飛行機の搭乗時間までの数時間で行けるところは
もうすでに、ほとんど訪れた。

今から10年ほど前、「ひめゆりの塔」を訪れたとき、
その近くの「健児の塔」には時間がなくて立寄れず、
その後も毎回、時間的に「健児の塔」には立寄れなかった。

沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222人による
「ひめゆり部隊」が看護活動を行っていた最後の場所には、
「ひめゆり平和祈念資料館」が建てられている。

吉永小百合さん主演の映画「あヽ、ひめゆりの塔」にもなり、
222人中、194人も少女が亡くなったことで、知る人も多く、
今なお多くの人々が慰霊に訪れる。

しかし、沖縄師範学校男子部などの、
13~19歳の生徒によって編成された鉄血勤皇隊の犠牲者を祀った
「健児の塔」を知る人は少ない。

ひめゆり部隊と同じ年齢の男の子たちが、多数亡くなっているのに、
そこを慰霊に訪れないまま、最後になるかも知れない沖縄の旅を
終えることはできないと思った。

6/16(月)10時にホテルをチェックアウトした後、
荷物をホテルで預かってもらい、すぐにタクシーに乗った。

私は車の運転免許を持っていないので、
毎回タクシーを利用する。

タクシーの運転手さんと相談して、まずは「平和祈念資料館」と
「平和の礎(いしじ)」がある「平和祈念公園」に向かうこととした。

     この入り口から入って直進すると平和祈念公園
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広~い。沖縄戦で亡くなった22万人の氏名が刻まれた石碑が
ずら~っと立ち並んでいる。
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    「平和の礎」の前で記念撮影
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       撮ってくれたのはこの人、タクシーの運転手さん。  
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日本や東アジアの地図が描かれた水槽の中で、火が燃やされている。
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この池を右手に見ながら進むと、摩文仁(まぶに)の丘。
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ここに、各県ごとに慰霊碑がある。これは岡山の。
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5/31に捻挫した右足首は、かなり良くなったのに、
前日のセミナー終了後、
市立病院の玄関前で、また捻挫をしてしまった。

それで、痛みがぶり返し、あまり歩けず、戻ることに。

後ろはすぐ海。この海の水平線まで米軍の戦艦が
びっしり並んでいたと、運転手さんが話してくれた。
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   海を右手に見ながら、資料館の方へと進んだ。
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            資料館のリーフレット
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2階の展示室は撮影禁止。
これは1階の床下にある不発弾。ガラス越しに見ることができる。
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運転手さんの話によると、今でも水道工事などで地面歩掘削すると、
たくさん不発弾が出てくるとのこと。

         韓国人慰霊塔公園
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沖縄戦では、1万人以上の朝鮮半島出身の人々が
亡くなったそうだ。知らなかった。

  タクシーでちよっと走ると、健児の塔の入り口。
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すぐに右手にあるのが「風部隊之碑」。
戦況気象情報、基地通信、整備、燃料補給、
整備の任に当たっていた、48人が祀られている。
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独立臼砲第1連隊は、対ソ作戦に備えての特殊兵器を装備した
     秘密部隊として創設された連隊
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   この慰霊碑は、臼砲連隊の秘密兵器98式臼砲の
    実物大原形に基づいて作成されているそうだ。
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直進した後、道は二つに分かれ、左に進むと突き当りが健児の塔
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  まだあどけなさが残る、三人の少年のブロンズ像
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私の息子達が、こんな年頃の時を思い浮かべながら、
わずか15歳前後で、優秀な息子を失った人々の
無念を思うと、胸が痛んだ。

健児の塔に祀られているだけでも、890人。

しかし、道の分岐点を海側に進んだところに建立されている
南冥の塔」に祀られているのはそんな数ではない。

沖縄戦終焉の地であるこの一帯には、
身元不明の兵士や住民12,000人もの
遺骨が放置されていた。

それらが集められ、南冥の塔が建立されたという。
でも、足が痛くて行けず、断念。

タクシーの駐車場まで戻ると、運転手さんが
「ここには土産物店が2軒あったのに、もう閉店している。
ひめゆりの塔にはたくさんの人が来るが、
ここに来る人はほとんどいないから」と。

ホテルに荷物をもらいに帰る途中、南風原(はえばる)の
琉球かすり会館に寄ってもらった。
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「夫の土産になるようなシャツを買おうかな」などと
考えながら入ったのだが、 
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ここで売っている衣類や袋物は、全てシルクで、高すぎた。



かすりを手織りしているのを、見学だけして、



早々とタクシーに戻り、ホテルへと帰った。

ホテルで荷物をもらい、近くで遅い昼食を食べ、
再び、タクシーで国際通りの公設市場近くで降りて、
沖縄土産の、アーサ・黒糖・島ラッキョウなどを購入。

それからまたタクシーで、那覇空港へ。
ジンベイザメの模様の飛行機。可愛いい。
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搭乗時、「先に、…お手伝いが必要な方、機内にご案内…」の
アナウンスで立って、キャリーバッグにもたれながら
搭乗ゲートに向かった。

すると、幼児連れの人たちが私を見て、
サーッと道をあけてくれた。

誰が見ても、私は足の悪い老女の姿になっていた。
あぁ~、また無理してしまった(>_<)

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