魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

大阪歴史博物館 中世・近世編

2025-03-08 | 博物館・美術館・建築など

大阪歴史博物館 の10階から買いに降り
中世・近世 (1158-1871年) を見学。

織田信長勢に敗れて京都に追いやられるまでの
大坂本願寺 (石山本願寺) は
「大坂本願寺の時代」と言われるくらい
大坂の街の中心だったのか…😲

そうだったなんてことは全く認識のないまま
展示されている何を見ても理解できず…😩

これは本願寺の中と周囲の様子? ↑

おまけに、小中学生をはじめたくさんの人で
ゆっくりと、見たり読んだり撮影したりもできず

撮れた写真を見ても、何年頃の何を表している写真で
年代順に撮れているのかもわからず…。

私が子どもの頃から学んできた歴史では
「信長は神仏を恐れることなく
 残忍な弾圧・殺戮をした人」

とのイメージが強かったが

「石山本願寺あった上町台地は
 毛利方の村上水軍と闘うためには
 絶対に必要な場所だったために
 譲ってほしかったが、応じてもらえず
 やむなく力で追い出すことになった」

とか

「日本ほど宗教分離ができている国は少ない。
 それは織田信がのお陰」

などと書かれた書を読むと
信長の功績の大きさに改めて気づく

大坂の街は徐々に人口が増え

食料をはじめ様々な品が
全国から集まる街として発展していく。

そして、秀吉の時代になると

天下一の都市へと変貌していく。

海だったところは埋め立てられ


        ↑
点線の右の「上町」は台地で、縄文時代も陸だったが
点線の左の
 「船場=江戸時代~現代の大阪のど真ん中」は
秀吉の次代に海を埋め立てて作られた。

秀吉の時代になると、美しい陶磁器が
中国・朝鮮から輸入され
次第に、日本でもたくさん作られるようになった。

これは、ここにも書いたように
朝鮮出兵と大きく関係している。

その後、江戸時代に入ると、豪商が出現し
多くの人々が働く、広大な屋敷が建てられた。

それが回り舞台のようなジオラマで見学できる。
            ↓

祭りも盛んになり、豪華な祭り舟も展示。

芝居や文楽(人形浄瑠璃)も盛んになり

大坂の街はどんどんにぎやかになり

産業も文化も天下一となった。

この建物の中は、当時の演劇場の様子が再現されている。↓

ところが幕末におきた 安政南海地震 による大津波で

大坂の街は甚大な被害を受けた。

その様子がさし絵付きで記録されている。↑ ↓

家の倒壊で命を落とさないよう
家の前に畳を敷き
屏風や戸などで周囲を囲んだ小屋を作って
住んでいた様子が描かれている。

すごいね~、江戸時代の人々は行動力があるね~。

それを「悲劇の記録」としてではなく
「噺種 (はなしのたね)」
として記録に残そうという機知と
エネルギーに圧倒されながら
下の階へと移動した。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿