今年の6月末日は暑すぎ~~~
めちゃ、体調わる~~ってことだけ、日記として書いておこう。
今日、会った人にかなり無愛想なことをしてしまったぁ・・・・・・
あと数分で今月も終り。来月から、がんばろ~~~
今年の6月末日は暑すぎ~~~
めちゃ、体調わる~~ってことだけ、日記として書いておこう。
今日、会った人にかなり無愛想なことをしてしまったぁ・・・・・・
あと数分で今月も終り。来月から、がんばろ~~~
さて、この「着物コレクション10年史」のカテゴリーもラストまできましたよん
44歳はまさに術後の私としてのスタートだった。乳がんオペから10日後に44歳の誕生日がきて、翌日退院。
前にも書いたかもしれないけど、心の表面に薄皮1枚ぶん、自分の為に麻酔うっているような感覚の中過ごしていた頃。
周りはね、とりあえずケモも終り、全摘で全て取れた!良かった!!っていうテンションなのよね。今思えば、その周りもきっとそうすることで気持ちを鼓舞させて彼なりに支えることの辛さ、私を見つめる辛さを緩和させていたのかもしれないと・・・・・切なくもなるのだけど・・・・・
でも、その頃は、そんな事も思い至らず、周囲の安堵感とは逆に私の気持ちは宙ぶらりんのまま、マヒしていたなぁ。泣くことも上手にできない感じだった。
それが、どっとわきでたのが、何と!!その退院から約1カ月後のお正月元旦。この日のきものはね、お正月らしく華やかな訪問着だったから、帯も袋帯の重たいものでね、いつも自分一人でさっさと着れるのに、帯を持ちあげられなかったの。そもそも、そこまで行きつく、仕度の段階からへとへとしていたんだけど、最後の段階、イヨっと、帯を上げることができなくてね。そこで、何かが切れたように、私は子供のように泣いた。
きっとね、癌と死、そんな怖さの他に、急激に変わっていく自分、例えば、身体の体力、胸そのもの、髪の毛がなかったり、それが「老い」を感じることでもあり、その変化を受け入れるのに戸惑っていたとい事でもあるのかな。
結局、ダンナッチが手伝ってくれて、それでも着物着て、顔を直して・・・・・・・辛い元旦にはしたくなくって、私の為にというよりは彼のためにね。
そんな風に書くと、何だか凄い哀愁のお点前でしょ~~でもね、気持を「無」にするのに、このお点前って以外といいのよ。(あくまで軽くするレベルかなぁ)、ちゃんとしようと思うと身体には以外としんどいところもあるんだな~~。
何とか、お化粧も直し、お茶室にて新年のパチリ
この頃のブログには、泣いた事なんて書かないで、元気に新年を迎えたよいに書いていたけど、その前には涙があったのだ~~。泣き年になるのが嫌だったから書かなかったの。
ついでに、細かい事書けば、健側の手が浮腫んでいたの。腫れてるのわかるかなぁ~~?
なんでも術側をかばい過ぎたのと、点滴とかのストレス?みたいな事で、レントゲンの結果と指の腫れ具合から骨萎縮とかって近所の整形の先生にいわれて熱療法に通っていたんだけど・・・・・何だったのか・・・?
今は戻ってます!でも、指は病気以降太くなった。これは、更年期なのかしらね~。いやだ、いやだ。こういう事を受け入れるのに時間がかかるのよね。そんな年頃に癌になってしまったのね。
話もどすけど、そんなこんなで、出かける頃にはすっかり夜になってしまっているんだけど・・・・元旦はいつもお外で食事が我が家。この年も例外ではないのだけど、それでも景色が違って見えていたのかしらね・・・・・・
この写真の雰囲気って、まさに戸惑いのリコちゃんって感じ、と思うわん
44歳は、ずっと胸の無い私。とても不自由で無防備で・・・・だけど不思議で貴重な年だった。失ってみて見えてくるものって、沢山ある。失った胸の向うに沢山の「初めて」をみた。
そんな44歳もおわり、45歳になった私には再び胸が帰ってきた。前の自分そのものではないけど、私の延長にある新しいアタシ。
この身体で、これからまたどんな着物を纏っていこうかなぁ
PS
術後1カ月はそもそも着物着るってこと自体無茶よね。帯、普通の人でも自分で締められない人が多い中、私はたいしたもんよ!
で、今は、普通に帯も締められます。可動域という問題はないかなぁ~。ただ、帯締める時だるいってのは、やっぱ少しはしょうがないわね。
これは、リンパ浮腫との関係というよりも、普通に、右側だけはさすがにちょっとはダメージ受けてるって事の意味です。
この暑いさなか、冬の風景の写真をアップしてしまった~~
仁の最終回は私の琴線に触れるところがありすぎ~~
泣けた。
来週、ちょうど義父の17回忌がある。私はこの義父に会ったことがないけど、いつもどこかで感じている。
彼が破天荒で戦後の時代を謳歌した事、彼が残した手帳やメモに記された私の夫の名前。彼が生きて残した多くの事と人をいつも感じていた。
会ったことも無い義父を、また今一度思い巡らせてみよう。義父のそのまた父の事も。
再建後はオーダーブラジャーのモニターになっている。
で、そのブラジャーを1年付けていなければならないのだけど、(そう強制されるイメージはなく、むしろ快適に付けてますのよん)
この夏場の洋服には、ちょいとブラのストラップ部分が気になる!で、そのストラップだけ別売りで換えられると知ってから、早1カ月!
ようやく、買いにいけた。いや~~、1カ月なんて、なんかあっと言う間に過ぎるわね。
4本も買っちゃった!
どれもチラ見えしても、(させても)かわゆいでしょ~
今年は節電で女性の下着もエコをいろいろ考えられてるみたい。売り場では、ブラよりブラをつけなくていいカップ付きのキャミやタンクトップがうれているらしい。そんな中、私は逆行して、ブラを付けるモードでせっせとストラップ選び。
でもね、カップ付きキャミを着るのは窮屈からの回避で、ちょうどいいブラなら付けていて、なおその見事なラインで、自信もって涼し~~い服を着たほうがエコじゃないかしら~~~なんて、今年の私は妙にビックマウスさ~~
ま・・・・・でも、ほんと、デパート、暑かったちょっとまじめにファッション変わるかも~~~
今日は本屋で雑誌をちらっと何冊か立ち読みしていて、愕然とした!!
今の40代はまぁ、綺麗になって全体的にレベルがあがっているなぁ~というのは、一般人、芸能人問わずいえてるな~とは、自分自身の感覚のなかでも思っていたけど・・・・・
まさか、自分と同じ年頃で、しかも普通の主婦が、記念としてヌードになって雑誌にでてるとは!!
しかも、男性誌ではなく、女性誌。しかもファッション誌。
子供が巣立った記念とか、まぁ理由はそれぞれみたいだけど、プロの力でめいっぱい綺麗にして、ヌード!
これね~~、別に、個人の問題だし、批判する気持ちは全然ないけど、
でも私は嫌だわ。
それは、身体に傷があるからなわけではない。
もし、全然身体に自信があったとしても、記念に撮るまではいいとして・・・・で、まぁ、ホントに自信があれば雑誌にでるまでもまぁ100歩譲ってそれがまさに素晴らしく芸術的までだとしたら一人で出たい。・・・・・・(まぁ、私の場合はありえないでしょう)
でも、それを十把一絡げ(こういう表現でいいのかしらん?)に10人とかセットで美ま女とかっていわれて出たくないわ~~裸でずらっとソファーに座ってる写真は怖い。これホント、綺麗なミセスが集団で温泉入ってるの隠し撮りされたっていう写真の方がまだいいわ~、みんなで同じポーズでカメラ目線はひるむわ~~
それって表面的な美にとらわれ過ぎて、集団になってしまったとたん価値が薄~~くなってしまってる感じ。そういう感性はないのかな~
同年代といえども、その辺の価値感とか感性はほんと、それぞれだなぁ~~と思った。
私は古風?
一人ひとりはそれぞれに、綺麗な人達なのにね。私からいわせりゃもったいない
私も、綺麗でいたいとは思うけど、一人でいたい。独自で独自の綺麗さをつくっていたい。私はそう思う。
私って、一人の美学があるの。ちょっと違う感覚の話になるかもしれないけど、着物を着る時、誰かと一緒に連れ立ってっていうのあまり好きじゃない。
(ダンナッチは男のきものだからまた別ね)もちろんお茶会とかで、みんな着てるっていう状況の場合は別として、あとは一人だけ着物がいい。
一人でいてもいいし、多くの中で一人着物でもいいし、とにかく一人で着てるほうが好き。一つの自信の証だと思うからね。
こどもは、手をつないでトイレいくけど、大人はしないでしょ~そんな感覚(あ~、乳がん仲間とは別の意味で妖しくトイレはいるけど
)
だから、ヌードも一人がいい。まぁ、ありえないけど・・・・・・・
で、なんでその本をてにとったかというと、今の最大の悩み、薄毛の事が載っていたからなの。その話はまた別に書くわ~~
PS
乳房再建をした人の写真集は、まったく別のコンセプトだし、それぞれの背景にきちんとスポットをあてているので、この記事で書いてるヌードとしてそもそもとらえてませんのでね誤解しないでねん
追記
きゃはは~~
見た人、何人いるかわからないけど、さっきまで、ちょっと怪しと思いながら書いた、「十把一絡げ」、これ「一羽ひとからげ」となっていたのよん♪
で、私こういう事よくあって、昨年、サクララのある方とお茶していて、青森の弘前のこと「ひろまえ」と連呼していたわ。
リコちゃん、それ「ひろさき」よ~~~と教えてもらって、45にして初めて知ったさ~~どうりで、「ひろまえ」と入力しても出ないはずだ!と納得したという事、ちょいと思いだしました。ブログ書くって、そういう意味でも怖いわね~~
今日でリンパ浮腫手術から2週間
今の状態としては、腕の太さは、差があったところは、同じになった。
そして、健側(左)より、患側(右)の方が場所によっては若干細い。これは、右手が効き腕にもかかわらず、乳がん手術以降、ずっとかばい左手でばかり荷物をもったり、何かと酷使してきたので、その間に左の方が太くなってしまったのかもしれない。本当は、左の薬指なんて、右より全然細かったのに、今では完全逆転してしまっている。(これはリンパ浮腫の手術前からなので、まぁ、術後の経過としてはあまり変わらないということだろうが)
まぁ、そういう事で、浮腫みは改善され流れているのだと思う。
だけど、だからといって、健側とまったく同じ感覚というわけではない。
そりゃ~~そうだよね。リンパカクセイしてしまった腕と、まったく何もしてない健康な方とが、同じに戻ることはないよね~
って事で、だるさは、前に8日目の記事で書いた時より、若干感じるようになったかな~。8日目に書いた時が70%の軽減というイメージだとすれば、今は40%くらいの軽減という感じ。
しかし、あの頃より、この1週間でもっと普通に生活しているし・・・・・・という事は術側もけっこう使ってしまっている。それに、まだリンパ浮腫のオペ自体の傷も完全に治っているはけではないので、このだるさの軽減の差をどう評価すべきなのかは、何とも微妙なのだけどね。
ちなみに、サイズの測定だけど、原則として肘から10センチとか色々あるみたいだけど、それだと、自分ではけっこう難しいのよね~~
で、私の場合は、二の腕のちょうど真ん中よりやや上にほくろがあるの。
で、いつもそのほくろの位置で測ってます。このほくろ、都合のいいことに、両方の腕にあるの健側は少し下の位置だけど、それを頭にいれていつも測っているので、その方が確実なのよん
乳がん手術以降から、ずっとサイズは測定していて、最初からずっとそのほくろの位置。ここで、太さについて書くときも、そのほくろの位置での測定をもとに書いてまっす!
リンパ浮腫対策用の身体なのね~~と思うわ
あと、体重もセットで測定しないとダメね。太ると腕にも微妙に出る。ほんと、微妙だけどね。こんな風に書くと、スンごい気にして毎日測定しているようだけど、術前は、2週間に一回くらいと、気になった時くらいざんす。
退院して1週間。
その間は、もしかしたら買い物とか行く体力ないかも~~とか、万が一の時のために、乳がんの時に味をしめた、宅配弁当を夜だけ届けてもらうという契約を今回もしていた。
何に味をしめたかというと、そのお弁当、マズイの~~
で、これがあると思うと、一応気になるから、これを優先に食べようという気持ちになるわけ。夜外食しても、次の昼にまわしたりとかね。そういう健全な心はあるのよ
でもマズイの。
だからあまり食べないの。
で、
痩せるの しかも、栄養バランスは一応考えてくれているから、以外とその点でもいいのよ~~
ま、これ、乳がんの後は3週間つづけ、前回乳房再建の後は2週間、今回は1週間。
という事で、今日から夕食作りました~~
ブタ肉と小松菜、ネギをちょっとお酒を振って、ルクレ(あってるかな?)にいれてチンしただけ。
で、ソースは、市販のポン酢にコラーゲンとごまを入れカラギーナンでとろみをだし、トロンとかけただけ。
でも、ヘルシーでおいしかったわん。あとは、キムチとかぼちゃの煮たの。
ps
今回はマズイ弁当ダイエットはあまり効果無かった~~
けっこう元気だから、外にでて、食べたりしてたのよね~。一番効いたのは、やっぱ乳がんの時ね。あの時は、オペで体力なくしたというより、きっと抗がん剤でそもそも体力がなかったのでしょね。退院後もしばらくしんどかったわ。
でも、もう運動もできるし、おいしいもの食べて、運動してダイエットの方がいいわん
ちょっとだけ、ミクチくらい飲んじゃった~(⌒0⌒)/~~
本当は同時再建するはずだった大学病院の帰りに何時も寄っていた知り合いのカフェが、ちょっとカジュアルなイタリアンにリニューアルした♪
ちょっとの名残が懐かしかった。ピンクの壁の前でその頃ぐったりしてた。
今日の話題は戻れない遥か昔の昔話。戻りたいとは思わないけど、とても懐かしかった。
皆、私にも名残があるという。
この店と同じで、完全リニューアルってむしろない方がいいのかな~
あ~酔ってアタマ回らん!
車の風気持ちいい~
リンパ浮腫のオペから8日がたつ。
私がうけたリンパ管静脈吻合手術については、素人の私の言葉で、書くより、私の受けた病院の、その手術に関するHPを見て頂いた方が正確な情報だと思いますので、そちらのリンクを貼っておきますね。
実際、医学専門用語って、なんたらかんたら~~って感じで、書くのにがてなの~~
で、興味のある方はこちらからどうぞ。まぁ、HPは一般的な代表例だと思うので、個別にいろいろ方法の微妙な違いなどは、患者それぞれのベストをめざして、治療・オペ計画をたててくださると思いますので、多少の違いはあります。
私の場合は手首のすこし上のあたりに一つ繋ぎ、肘より下の内側のあたり・・・・ここはかなり深く切り込んだみたいで、その為に全身麻酔にしました。ここに2本繋ぎ、計3本の道をつくりました。まだまだ、つくろうと思えばつなげられる個所はあったそうですが、今の私の段階ではこれで様子をみてもいいかもとの判断で、ここまででとどめたようです。リンパ管は浮腫を起こしている人のものとは違いがあるようで、まだまだ健康状態のみずみずしいものだといわれました。良かった~~術後は、キズの痛みなどは殆ど無いといっても良い感じです。まぁ、こんな感じのとても価値のある手術をいい時期に出来たことが、今後、いっそう奏功してくれればと思ってます。
で、あとは、1週間目の状態を書くのが、正しい患者様ってことでしょう!!
オペ後の今の状態で一番感じている事は、
①二の腕の付け根が一番太さの違いがあり(約1センチ~1.5センチくらい)そして、その部分は乳がん手術で神経が若干麻痺しているせいもあり、なんとなく硬く感じていた。それは、自分でさわってみるだけでなく、先生や他人がさわってもそんな感じがするといわれていた。
それが!!
その皮膚が健側と変わらない感じで柔らかくなっているの!!だから、感覚が無いというのとは別にやはり皮膚が少しかたかったのね、と、改めて実感。
そして、太さは、自分採寸で、差が0.4センチくらいになっています
②だるい、字がかくのがしんどい、という感覚が随分軽減されました。
③これまで、ちょっと疲れると、手首から前腕がジ~~ンと痺れ、痛みを伴うくらいおもだるい時があったけど、今のところそれは無し。まぁ、そんなに疲れることもまだしてませんが、その兆候も無い感じではある。
以上、この3点が私の求めていたものなので、今のところほぼパーフェクト!!
これを維持するために、これまでどおり、スキンケアや、休息、ドレナージ、スリーブは、無理のない私にとって快適な状態をつくりながら続けていきま~~す!これが大事みたい。ねばならないという強迫観念って、長続きしないししんどいわよね。
一度かかってしまった、癌という病気、そこから派生する、様々な病気、副作用、不安、上手に付き合うのには、
手の上で転がすくらいの気持ちでいかないとね。
そうは言ってもなかなか手ごわいけど、まぁ、黄金時代の私を喚起しながらやるさ~~きゃはは~~
どういう終り方だろ・・・・
みなさんこんにちわ・・・・・あっ、こんばんはですね。
携帯からではなく、自宅パソコンからの更新です。
今日、退院しました。
乳房再建のような、ザクッ、ガバッ、ってな感じの大イベント的な派手な入院・手術でもないにも関わらず、またまた、皆さんからエールのコメントやメールを沢山頂き、本当にありがとうございました。お言葉に甘えて、この入院期間に頂いたコメントには、ここで、まとめてのお礼レスにさせていただきます
皆さんの名前、書き損じてしまってはいけませんのでね・・・・・・でも、ホント、ベットから携帯見て、笑ったり、力もらいました。
ただ、今辛い時期であろう方、nonnnoさん、ありがとうね。私は思うことをそのままに書いているだけなのに、それでもnonnnoさんの中で何かのお役にたてているのなら、幸いですよん
それと、以前の闘病ブログの頃からのお付き合いで、すっかりもう勘違いとしてインプットされてしまっているのだろうと、あえて修整しませんでしたが・・・元気ママさん!! 2年検診クリアを記念して 私、京都のオナゴではありませんえ~~←こんなこと書くから誤解したままになってしまうのでしょうが、私は東京出身で、大阪在住かれこれ15年の、今はインチキ大阪人です
ここらで、気臆を修整しておいてくださいませな~
ってことで、パソだとすらすら書けて楽だわ~~
話戻しますが・・・・・・
今回は、まさに、大人の入院で、毎日見に来て下さる先生も、とくに傷とかショボイし、変わりないですか~?のあとは、主治医の先生とは女子同士ってこともあり、何だか、いろいろ世間話とかして過ごしていた感じ
再建の時みたいに、胸みて、お腹見て、血流見て~なんてこともないし、身体はそういう意味で忙しく無かったなぁ~(前は、おいおい!また脱ぐんかい!ってくらいボタンの開け締めだけでもたいへんさ~~)
それに、気持的にも、再建の時はそれまでの色んな思いが押し寄せ、そんな中での震災だったり、心の揺れが大きく、何度か、涙する事もあったり、情緒不安定な感じで大変だった。今回は、もちろん、とても大切でかならずしようと決めていた手術だけど、そう言う意味では穏やかでした。
ただ、昨日まで、微熱が続き、身体全体がグッタリしていた感じで、病院中を徘徊することもなく、ひたすら、ベットの上の生活でした。
麻酔科の先生が術後に来て下さった時だけ、ちょっと別ものの新鮮モードかしらね~うひゃひゃ~~
だってあれだけ素晴らしい目覚めをさせてくれて、なのに麻酔科のドクターって、それこそ、眠りに入る前に、ふわふわ~と何か言って、それっきりってパターンでしょ!それこそ一期一会よ!でも、今回、前回が素晴らしかったとプレッシャーをかけてしまったせいか、また終ってから病室に来てくださり、ああ~~あの眠りの前のお方
って感じで新鮮だったわ!で、これまた、なかなか男前さ~~麻酔科医って、そういえば神秘的ね。外科は花形で派手だけど、こういうのもありか~・・・・ってなにがありなのか解らないけど
きゃはは~~
ま、毎回、素敵なスタッフと素敵な一期一会を残せて、今回もやって良かったと思う手術でした。
この手術の事は、また、ゆっくりしてから、どんな感じかとか、経過は書いていきます。
ではでは・・・・・・・
自宅の夜ってあっと言う間ね~~