以前、「念願の映画をみてみたら・・・」というタイトルの記事を書いた。
その映画はデザートフラワーというもの。
実在するモデルの人生にFGMという背景をクローズアップさせて描いた忘れがたい衝撃の作品。
FGM。
私はこの映画を見て、その言葉の意味を少しは深く感じ取ったと思っている。
FGMは、単に慣習や民族・宗教の儀式による他国の問題ではないと私は思った。
FGMの問題の一番として私が感じることは、人として、今、成熟した人権尊厳の社会の中でも、女性という性ゆえに強いられる「人間らしく生きることの否定行為」、これなのだとおもう。
女性性器切除行為は肉体に負わされる幼きひと時の傷というだけではない。
その後の人生の無限の可能性をすべてその行為によって制限してしまう行為なのだ。肉体の後遺症、精神的後遺症、呪縛・・・・
自由であること、自由を求めることができる権利、これらを等しく与えられることを勝ち取ってきた人間社会の中で、その同じ人間の手によってつくられた儀式・慣習。その一見干渉しづらい名のもとに肯定され続けられてきたことがとても恐ろしい。
今現在も、一部の(多くのと書いたほうが適切かな)女性たちはまだこのFGMという慣習にくるしめられている。肉体の痛み苦痛と恐怖。そして自由な人生を奪われているのだ。
そんなFGMの問題。
「FGM廃絶を支援する女たちの会」
というNPO団体がある。せめてものという思いで、私もその活動にすこしでもお役にたてれば・・・・・
ってほどリッパな心意気ではないのだけど、その会がとても可愛く素敵な缶バッチを販売してたので、購入した。
これ。帽子につけた。かわいいよ~~。未来を見つめる強く明るい意志のある、それでいてキュートなイラスト。
こんな感じ。
これはイラストではなくSTOP・FGMのポップな文字。
布バックにあわせたよん。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/winkneko.gif)
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今日、(もう昨日かな)3月7日は、私の乳房再建オペの3周年だ。
私が再建したのは、女性らしく生きていくためというのが第一目的ではない。
女性であるまえに、人だから。人としてより前をむくための手段として再建をした。
私の再建とFGM問題はまったく異質のものだけど、この2つをつなぐとすれば、
人が人としてより向上したいと願う中に、性別による合理的区別のみがゆるされることだと思ってるということ。
たまたまFGMは女性性器切除という慣習だけど、これが男性であったとしても、私はおぞましく同じ問題ととらえると思う。
だって、人は性別以前に、人間であるとおもうから。
だからこそ、FGM問題が単に女性差別という枠をでて、児童虐待や犯罪という位置づけで国際社会がおおきく動きだしているのだとおもう。これは喜ばしいことだ。
たまたま、「FGM廃絶を支援する女たちの会」や映画を通して、知ったこの問題だけど、
女性の問題は、大きくは人社会の問題なのだと思う。(乳房再建もことさらに女性特有という観点でとらえてほしくないんだな~)
私はその思いで、今日という日にこのバッチを手にしてよかった。
どんな状況でも、生を受けた命が自由に羽ばたくこと、自由に謳歌したいと思う本能、
デザートフラワーの主人公ワリスディリーはその本能で裸足で砂漠を駆け抜けた。
駆け抜けたいと動き出すその足に道ができる社会であること、国を超えて考える日。難しい問題だけど、1年に一度くらいそんなことをつらつら考えてもいいよね。
私の再建記念日。そんな日にしよう。再建に感謝して。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
考えよう!知ってみよう!
私の記事は、あくまで私の思うFGM問題のとらえ方の観点で書いたものなので、
本当の意味で深く興味をもたれきちんと理解したい方は
FGM廃絶を支援する女たちの会
こちらのサイトを見てくだされ~~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)