今週になって、二つの訃報がありました。
そのお一人が、乳がんの方でした。
私は、乳がんになって、ネット社会の普及もあって、いつの間にか多くの同病のお仲間をつくっていた。
実際に会ったことのある方も、メール交換してやり取りしていつか会える日を思っている方も、まだそういう個人的付き合いまでではなくネット上だけの交流の方・・・・と、その度合いはそれぞれだけど、それでも、「お仲間」という気持ちにはなんらの違いもない。
病気に伴う、心身の痛み、つらさ、状況はそれぞれ違っていても分かちあえる。それが力になる。そうやってつながってきた。だからこそ、良いことも悪いことも純粋に共有できるのだとおもう。家族とも違う特別な関係。多くの素敵で貴重な出逢いだ。
だけど、皮肉なもので、出逢いがあれば別れもある。別れるために出逢ったわけではないけど、別れをまったく意識しないでといったら、それは嘘になるのかもしれない。そう思うここ数日。
とくに、がんという病気のカテゴリーの中で出逢った仲間は、どこかで覚悟の上で出逢っているのかもしれないと思いしらされた。
先日、ネットを通して知ることとなった一人の乳がん女性の訃報。
その方とは私は直接に交流をもったことはないけど、私が今親しくしている乳がんのお仲間の方たちが同時期につらい治療を支えあった方だと知った。あまりに早すぎる。それは、私にとっても言葉を失うくらいの悲しみだった。
その方の訃報、そして、そのことを悲しむお仲間、両方の痛みが「乳がん」というキーワードで私の中に悲しみの影をつくるのはいともたやすいことだ。
同病の友を持つということは、こういう苦しみを持つことなのだと知らされた。それでも・・・・・そんな痛みを伴っても、私はその存在を慈しんでいきたい。そう、思っている。
深い悲しみは、深い愛情と絆の裏返しだから・・・・・。
いい時も悲しいときも、ともに「彼女達」を感じ続けていきたいと思った。
こんな悲しみも出逢えた喜びの大きさなのだと、そう思うなぁ。
どうぞ安らかに・・・・いつか、別れのない世界で会えるかもしれない彼女を思って・・・・・祈ることしかできない今です。
二人目の方は、以前お茶を習いに来ていた兄弟のお母様。
中学に入っていったんお稽古を休んでいたその間に・・・・・昨年秋に彼らのお母様は亡くなられていたと知らされた。突然の事のようだ。
そう知らせてくれたのは、当の息子であるまだ中学2年のお兄ちゃんだった。
この数カ月で、彼なりに心の整理をして、強く、強く・・・・たった一人の家族になってしまった妹を守っていこうとしているかのようで、その声が切なくって・・・・・
二つの訃報が偶然にも、昨年秋の事というのも皮肉な一致で、その間のご家族、彼ら兄弟の心を思うと・・・・・・・・、いや、一番は、知らずに過ごしてきた自分のその間の時間を思うと、といった方が正解かなぁ、ただただ、言葉もなくショックだった。
ショックの意味は自分でもまだぼやけてわからない。このお二人の訃報を一つの記事にまとめることも、何かよくわからない。
でも、私の中で繋がってしまっているものがある。それは「子供」。
「残された子供」でもなく「残していった子供」でもない。しっかりと今を生きようとする力をもった「子供」。そんな事を感じてしまって・・・・・・その子達と二人の母に畏敬の念を抱きながら、とりとめもなく一つの記事にしてるのかもしれない。
同じ頃、天国に旅立たれたふたつの命。その命が産み育て残した子供達の涙がいつでも澄んでいられるようにとただただ祈るばかり。
天を仰ぎ、そこで輝く光が彼らを照らし続けてくれますようにと。
おふたりのご冥福を心よりお祈りします。
今は私の気持ちも混乱していて、うまく整理できない。そんな時に記事にするのはどうかとも思ったけど、だけど、そのことも含めて、先ずは書き出してみようと、思いのままの気持ちを記事にしました。