由良子さん。
ママと呼んでいた幼いわたしは、何時のときからか、
彼女のことを、あなた、もしくは名前で呼ぶようになった。
あーたね、いい加減にしなさいよ。
由良子さん、わかってないんだから、、、
そんな風にいうわたしを、彼女は子供のときのように呼びつづけ、びくともどうじない。そして、ガチャンときる電話の向こうで絶妙なタイミングで舌をだしわたしを嘲る。毒を吐くようにわたしのまっすぐな心臓につばをかける。
おっとり美しい猛女。
わたしは、彼女が嫌いだった。
嫌いだったのか、、、
辛かったのか、、、
彼女の強さたくましさ、その何度も立ち上がる強さが辛かった。過酷な道に行こうとする。もっと楽に生きられたのに。見てるのが辛いから私は逃げたのかもしれない。
そんな由良子さんは、物言わね骨となって、ちいさな遺骨だけで我が家にきた。
二人暮らしの我が家がひと夏三人になった。
花をかい、お菓子を供え、毎朝目覚めたらお線香をあげる。夫も彼のリズムで同じことをしていた。
お線香が消えるまでが会話の時間。
わたしの心は振り子のように、さまざまな思いで乱れた毎日だった。
今さらね、
と自嘲しながらも、
由良子さんが、わたしにのこした、フェイスタオルを花火や映画や大阪の街につれていった。
なぜかフェイスタオル二枚とカップひとつ。これが、彼女の形見。
何かの荷物を送るついでに入っていた上等のフェイスタオル。
今さらそんな殊勝なことしても、彼女はもういないのにね。
だけどね、
色々と自問自答してわかったよ。
私は由良子さんの子供で似あっている。
また、生まれ変わってもあなたの子供でいたい。多分、。不思議、あんなにきらいだったのに、ひと夏色々めぐり、今はそうおもう。
だけど、次はもっとまったく別の生活をしようよ、普通の楽しみ、穏やかな安らぎの生活をしてみようよ、由良子さん。
あなたが、多分いちずに愛した父親は違うほうがきっといいよ。
彼だと、またおなじ波乱の人生になるよ。
京都の大文字を見ながら、哲学の道をあるき、金と銀で金箔ソフトクリームたべてたころ、由良子さんの身体はもう判別がつかないほど腐敗がすすんでいた。
その夜、
初めてわたしのスマホがなった。
娘、りこちゃん
と書いてたんだね。
アドレスに。
苦しまずに逝けて、それだけがわたしの救いだよ。
神様はみていたのかな、あなたの苦労を。
ソファーで眠ったままいったんだよね。
電話をかけた形跡も、かけようとした形跡も、くるしんで倒れた形跡もなにもなく、
それは、あなたが、本当に安らかな最期だったあかしだね。
ありがとう、苦しまず。
ありがとう、、、今は全てをそう受け止めてるよ。
由良子さんと過ごした夏って、初めてだね。
生きてるときはないもんだね。
この卵焼きは由良子さんがつくる甘い卵焼きににてたよ。