Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

思い出す(追記)

2015年10月14日 02時18分43秒 | 乳房再建入院~手術

私がどきどきそわそわしてもしかたないんだけど、

なんだか、気が付くと、どきどきしちゃってるから、この際、そういうのは私に任せて(^_-)-☆

友よ~~~

思い出しちゃうな。

めったにおもいだすこともなくなってるけど、友人が明後日同じ再建オペ、自家組織での半日にもおよぶオペを受けるとなると、あ~迫ってきた感がどきどきするのよ。

大丈夫なことも、きっとそのあと素敵なこともわかってる。

でも、その前の、長い長いオペはどうなってるんだろう。とか、

苦しまずに目覚められるのかとか、

ついには、なんで~~~なんで~~~なんて思ってみたりする。

不思議、あんなに手に入れたくって出来るとなった時期からいの一番にした再建手術なのにね。

やはり体に大きなメスがはいることの怖さなのかな。

大きな一歩を踏み出す怖さと喜びと不安と興奮と、バクバクしてきちゃったの覚えてる。

そんな時、救ってくれたのは、音楽、嵐だった。

友達はもちろんそうだけど、友の言葉とはまた違う。

嵐の音楽は心の高揚を上手に別のものに変えておちつかせ、ハッピーにしてくれる。切なくきれいに浄化できる涙をくれる。

だから、あのころ聴いた嵐の曲は私の大きな1歩に強力なパワーをくれた。

追記

なんかこの記事の後半が消えた


放射線のリスクと最終判断

2011年03月22日 23時49分56秒 | 乳房再建入院~手術


私の場合、放射線をあてているので、ドナーのお腹の皮膚や脂肪に栄養を与える胸の周りの血管

が、綺麗にドナー血管と繋がりちゃんと機能するのかどうか・・・・・・

それが最後まで不安リスクとしてあった。

もし、機能しなければ、
再建の失敗となる。イコール胸に移植した脂肪と皮膚に血流が上手く流れなく、
結果として、その胸(移植した組織)が壊死するということだ。

そうなると、結論としては胸は元にもどし、お腹だけに新たなキズを作ってしまうという
結果になるということだ。

この確率は普通の人(放射線をあててない人)ならしかるべきマイクロサージャリーの技術のある病院だったら

今のところ1%くらいとのことのようだ。

でも、私の場合はこの確立がもっと高くなる。事前に血流の音を聴いたり、エコー画像で確認しても、

その血管が吻合に耐えうるかどうかは未知数。

で、

オペ前の最終説明の段階で、もし、胸を開けてみて、3か所の候補(内胸・脇・鎖骨下)に栄養血管がもろい感じ、もしくは有効なものが見つからなければその時は、腹直筋をそのまま持ってきて再建する方法に切り替えますか?

との打診があった。

私の答えは即座に「NO」

腹直筋を使う再建をするのなら、再建は諦める。腹直筋をつかって、その後腰痛やヘルニアに悩まされて(そのリスクが高くなる)生きても、それじゃ胸を手に入れることの意味が相殺されてしまう。もしくはマイナスになるくらいだ。私の中ではそういう位置ずけが、この打診された腹直筋を使うオペだ。(もし、このオペをした方が読んでいたらすみません。これはあくまで私の主観による私にとっての意見です)

胸が無いことなら、補整をすればオシャレは楽しめるし、身体のバランスってほどの支障も私にはない。何度も、ここでも書いているけど、私は胸を失った事で女性としても、人としても自信を失っていない。ただ、ほんの少しの時折過る悲しみや淋しさを持てあます私がいるだけ。時々ね。だから見れる夢は見たいと思うだけ。

そして、より良く、もっとスペシャルな私として生きていきたいから、今の医学の進歩の恩恵を最大限享受したいと思っているだけ。

胸が全てでは無く、身体のリスク、これからのQOLをトータルで考えての「再建」でなければ私にとっての「欲しい胸」ではない。

そんな思いを真っ直ぐ先生達に伝えた。

先生達はちょっと一瞬戸惑った感じだったけど、直ぐに、私の思いを理解してくれたし、

同時に、それは私がこの病院を選んだことの意味・・・・・・ここのマイクロサージャリーの技術を高く評価して委ねてきたのだという事も伝えているのだという事を理解してくれたのでしょう。先生達にとっては改めての自覚と自信に思いを馳せることとなってくれたのでは・・・・・

先生達の目は、私にはそう見えた。信頼を固めた出来ごとだったと思っている。

 

 

そして、

ここからはちょっと恥ずかしいんだけど、散々「葛藤」「葛藤その2」の記事の中でお腹に新たなキズがぁ・・・・あぁ・・・・

なんて言っていた私なんだけど、

胸を開くのと、お腹を開くのは同時進行との説明をうけると、

ならば、上記のようにもしもの場合、再建はもう諦めるとして、お腹・・・・・そのまま締めないでぇ~~~一応この再建のために貯めておいた「脂肪様」があるので、それを程良く除去する手術に切り替えて下さいとつげた。これ、と~~ぜん!!だと思うのはまっとうな女子心でしょう!!

それと、プラス、リンパ浮腫の検査の結果、劣化がみつかれば、それも繋いじゃってくださいね~~と。

せっかくの、全身麻酔!有効に活用しなければ!!

 

そんなんで、麻酔から覚めたあと、もしかしたら胸は出来てないかもしれないけど、ここまで来たら、最後自分の判断で求めたこと、

自分でも不思議なくらいその判断に迷いもなかったし、もしもの時の再建に対する諦めも潔くできていた。

それはきっと、この病院でこの先生達がやってダメだったのなら悔い無し!と思えるくらいその話で同意書を作った後、

懸命に私の栄養血管を探し、何度もエコーをあてて画面を見つめる先生達の姿を見たせいかな。。。。。惚れたぜ!

 

でも、まぁ、そんな先生達の努力と私の強運で、見事今、愛おし胸が私に授かった。

私の強運!それはいいドクターとの出会いである。

私の栄養血管(内胸)が水々しくキレイで、放射線をあびてないままのこっていたのは、大阪の放射線科の力だと先生が教えてくれた。

かなりの細かい緻密な計算で放射線をあてたと思います、すごい丁寧で優秀な仕事だったと思いますと。言われて思い返せば、確かに凄い時間をかけて考え抜いて下さっていた。

 

きゃ~~、だから、放射線科の主治医、自信たっぷりに退院して直ぐにキレイな胸見せてもらいましょうかぁ~~って、

予約をいれたのね。彼の自信ね。あの先生はこの結果を誰よりも早く分かっていたのかも~~

私も早く見せに行きたい~~!惚れなおしたぜ!!

 

 太陽がいっぱい その放射線科の予約の件はこの記事に書きましたよん。

 

 

 

 

 


目覚めは最高!

2011年03月21日 15時44分49秒 | 乳房再建入院~手術

これね、前の記事が「夜明け前」ってのにひっかけて書くわけじゃなくって、

今、書かないと、きっと書き損ねてしまいそうだから、でも、絶対書いておきたい事だから

書きまっす!!

つまり・・・・

岡山大学の麻酔科は素晴らしい!!

これが結論なんだけどね、形成が素晴らしい事はこれまでも、これからもいくらでも書くこと

あるでしょうけど、この麻酔科の素晴らしさは今書かなければ!

ホントに感動的だったのよ~~。

入院リアルタイムでは、なかなかケータイってこともあったし、いろいろ

書くことあって、今になってしまったのだけど、全身麻酔の後、こんなにさわやか覚醒したのは

初めてでした。

これまでに、3回全身麻酔を受け、その中でも今回は一番長く大ががりなオペだったと思う。

いつも、必ず喉が痛かったり、不快感があったり、タンがからんだり、吐き気がしたり、寒気がしたり・・・・・・・

あげればきりが無いほど、その目覚めはいつも最悪で、これが「手術の恐怖」の一つの要因でもあった。

あ~~、あの麻酔のあとの感じ嫌だな~~っていうブルーな思いね。

 

しかし・・・・・・・・

今回だけはほんとうに素晴らしい!家で朝起きる時より良いかも~~ってこれあながち嘘じゃない。

約9時間のオペ。

回復室には4時間くらいいたのだけど、回復室での出来事は、あまり鮮明には覚えてないの。

ただ、主治医の女の先生に放射線あとの肌がキレイだったといわれ、

でしょ~~!シスレーつかってたんですよ!

と語ったことだけは何故か覚えている。その回復室でのことはそれしか気臆にないから、ちょっと怖いなぁ・・・

テンション高かったような・・・・・・そんな感触があるぅ。

でも、苦しい気臆は無い。

そして、回復しつから病棟にもどってからは、本当に爽やかに、先生たちの説明もわりとちゃんと聞いていた。

血管が水々しかったこと、脂肪に弾力があったこと、放射線をあてた肌の状態が良かったから、当初若干小さくなるかもと

言われていたのが、むしろ少し大きく(大は小を兼ねるで、あとで脂肪を抜いたり調整できるから、その方がいい)出来たことなどなど・・・・。

そして、私はその時、この麻酔の後の感覚、この爽やかさ、初めて!!とその段階でも先生にほめちぎっていた。

先生もうちの麻酔科は優秀です、嬉しいですと。

その証に、私は病棟に戻って、自分で携帯からこのブログを更新した。

その時、この目覚め最高!!麻酔科素敵!!

といれようと思ったけど・・・・・それはまぁ、メインで頑張ってくれた形成の3人の先生に失礼だし

見てくれてる皆さんにも「へっ!?」って気分ではないかしらん

と思い、そこは外した。

そんな計算までしていたのよ!素晴らしいでしょう~~麻酔科

 

 


夜明け前

2011年03月20日 17時31分23秒 | 乳房再建入院~手術

3月7日のオペ当日、目覚めて見た空は、まだ夜と朝の間で静かにたたずむだけだった。

月も薄れ、星も消えかかる前の優しい光だけ。

 

そして、静かに、でも確実に時間は動き、街のどこかでが少しずつ何かが動きだす。人の鼓動・・・・朝が来る気配。

そんな時間の空が昔から好きだった。

夜明け前の空が好き。

だって、夜は明けるから、必ず。

 

この空に包まれて、みんな繋がったいる。そんな力を感じながら、ただただ、移りゆく空の色と見知らぬ街の気配を見つめて過ごした夜明け前だった。

まだほんの2週間前の事。

 


無事退院

2011年03月18日 14時24分09秒 | 乳房再建入院~手術


さっき家に着いた。

出る前に頂いた花がまだ少しだけ元気だった。

ベランダの楓も新芽を出していた。

とてもとても長い旅から帰ったような、、、、、

今は言葉が上手く紡げない…

先ずは寝ますm(__)m

みんな~

ありがとう。ただただ出逢いに感謝m(__)m

夢叶え…今だ夢の続きの
リコちゃんでした~

半分寝てるわ…(^_-)


術後11日目はネイル

2011年03月17日 12時40分22秒 | 乳房再建入院~手術
今日で入院生活も終り。明日はこの十階から地上に戻る。

いきなりはちょっと切ないような胸キュン(;_;)

頑張ってくれた先生達とのさよなら(まぁ、まだまだ続くけど)と、スタッフの皆さんとのさよなら(これもまたくるけど)大丈夫じゃけんなぁ…に和まされた。
ずっと二時間おきに血流を計りにきてグッドの文字とそれぞれの名前サインが記載された術後からの記録紙は記念に持って帰ろう♪

そんなんで、いきなりのシャバはウルウルだから術前に切った爪にネイルしてみた♪

爪も時の分だけ伸びていた、、、、、

追伸
この色が世間様と今のアタシを繋ぐぴったりの色


術後10日目

2011年03月16日 20時30分20秒 | 乳房再建入院~手術
術後10日目の今日は、退院に向けちょっとゆっくりしながらも、院内をテクテクまだちょっと前かがみになりながら歩いたりしていた。

外来病棟までたどり着いてオーダー下着の採寸をした。あと1日、ゆっくり余韻にひたります(*^-')b

新たな地震に胸が痛むけど、傷の痛みはもうほぼ終息。逆ならいいのに…と…

そんな10日目です。

胸の痛み…生きるって色々な胸の痛みがあるんだとしみじみ感じる入院生活。

忘れられない日々だ…

サクラのお見舞い

2011年03月15日 16時59分16秒 | 乳房再建入院~手術


今日は生桜に生胸初披露
↑ ↑ ↑

きゃはは~(^o^)/~~
なんというオヤジ表現!

改めまして、
今日は地元大阪のサクララくりりんちゃんがわざわざ岡山までお見舞いに着て下さいました
(*^o^)/\(^-^*)

もうダメ…

顔見たとたんに号泣だった。乳がん治療の頃からの色々な思いのなか、ようやくここまでたどり着いて、まだ未完成ながらアタシの身体も新たな命の力を日々増し、人様にも見せたいと思えるまで回復して、、、
そんな術後9日目にサクララはあかんわぁ~

涙ばかりだと、お顔がクチャクチャでせっかくのキュンボン←(ホンマやで~)の身体に似合わなくなると思いながらアタシは饒舌に喋った。

そんなアタシの気持ちもくりりんちゃんは分かっているのでしょうね(^^)/

沢山の『綺麗』の言葉と馬鹿話…そして、思いをはせる、多くの命の事、病気になったこの私達の命の事を話した。

乳がん手術のセカンドバースディは家族に守られ…そして再建は、、、立て直していくというこの初めて灯す光りの立ち会い人は家族よりサクララ仲間がふさわしい。

そんな事を感じた手術後9日目もくりりんちゃんのお土産のサクラのゼリーを食べながら暮れていく。

そして、夢のような今回の入院生活ももうすぐおわる。このアタシの身体とその間に感じ増した心のひだだけは、いつまでも醒めない『夢のような現実』

追伸
くりりんちゃんからも家族からも、顔を出しているのだから胸(胴体)の写真だけはブログにアップしたらあかんと…私の性格を見越し厳重注意を受けてます。なので…メール知ってる皆さんのところに突然強制的に今の私の写真が届くかも~

きゃはは~

いや…やっぱもう少し良くなってからにしようかな…そんな場合じゃないよね~(*^^*)

まぁ、9日目にしてそれくらいこのオペを喜んでいるアタシだということです♪(^o^)/

術後8日目午後抜糸

2011年03月14日 16時32分51秒 | 乳房再建入院~手術
抜糸をした!

まだ未完成のアタシが嬉しいとはしゃぐ(^O^)

こんな時に不謹慎な!と思われるかもしれません。でも、今も日本の何処かで新しい命が誕生してるでしょう。アタシの再建胸もアタシにとって新しい生きる力

今、日本中が悲しみにくれるのは簡単…だって現実それだけで悲しいから。だけど、被災しなかったものまで悲しみに浸っていたらダメだと思う。悲しみをグッとこらえ、惜しみ無い元気な明るい力を注ぐ事、これがまた明日へ未来へつながると信じます。

だから、今日のアタシの歓び~小さなアタシのおおきな歓びを書き残します。

再建して良かった!本当にステキ!!このプラスの気を一杯贈りたい。頑張らなきゃ!頑張ろ!

大丈夫!日本は大丈夫!

元気でいなくちゃ!

ありがとうの思いを抱きしめて。

術後8日目

2011年03月14日 11時45分11秒 | 乳房再建入院~手術
世の中も惨劇の週末から少しづつ動き始めているのだろうか。少なくとも、人の身体は呼吸し心は鼓動する。そんな人の小さな一つずつの鼓動がおおきな力になれば…アタシの身体も1週間前麻酔から目覚めた時から小さな呼吸を毎日続け、おおきな世の中の波をブラウン管のむこうに見つめながら何度も鼓動を繰返し、今も明日を見つめてる。
アタシの身体は明日へと動き出している。毎日、明日へと動き出している。

こんな小さな、でもたったひとつの身体。


そして術後8日目の今日、抜糸の日。

午前中のはずが、先生達はオペの時間になってしまった!午後まで予定変更。

始の一歩はこんなもんさ~
明日があるしぃ~明日は皆に来るしぃ~アタシにも今暗闇の人達にも(*^-')b

夢の場所へ

2011年03月13日 14時16分13秒 | 乳房再建入院~手術

1週間前、オペを控え、次は術後のアタシになってこの場合に来るのが先ずはの夢と書いた。

そして、今日、その夢叶えましたよん(^-^)/

ドレーンがラスト一本になった事…ささやかな夢を重ねる景気付けね(*^-')bそんな思いでサクラの花弁一枚飾ったサクラシフォンケーキを食べた♪

全国の様々な今のサクララ(乳ガン仲間)を思ってね(^o^)/~~

絶品さ~

色々ありすぎた術後7 日目

2011年03月13日 13時05分19秒 | 乳房再建入院~手術

今日で私は術後7日目になる。その間アタシの身体はもとより、大変な事がありすぎた。

私が日本国土なんて言葉を使うのはあまりにも憚られるけど、、、

ただ、この震災で私には本当に広い広いこの日本中に友人・お仲間をつくっていた…そういう存在と感じていた…と言うことがわかった。あらためてね。

このネットワークの始まりであるHANAさんのところで、そんなお仲間の安否を分かれば、それだけでも気持ちの闇が少しでも晴れる、知っているお仲間の情報を書いて下さいと正に掲示板機能の優良発揮の呼び掛けがありました。

即カキコしたい事があったけど、私の携帯電話からは出来なかった。なのでこのブログに書きます。


HANAさん掲示板でもこのブログのコメントでもいつも優しく頑張りやの東北在住のYUさんは御家族皆さんご無事です。\(^o^)/

停電も解消されたとのメールも昨夜ありましたが、それは流動的かもしれません。でも家族で寒さと不安の中力強く、彼女らしい優しいメールがきました(^-^)
YUさんは今再建のエキスパンダーを入れ来月にはいよいよ入れ換えという状態の中、無事なのだろうか?どんな思いでいるのだろうか?と、共に同時期に乳ガンと向き合ってきた彼女と、今のアタシとが何度も交差した夜でした。そしてYUさんを通してまだ見ぬ多くの仲間の存在が交差した夜でした。

しかし、YUさんはしなやかで強かった!!

被災地のすべてのお仲間のそんな強さを信じ祈り、そして尊敬する!
素晴らしい\(^o^)/


願い

2011年03月12日 15時03分28秒 | 乳房再建入院~手術
被害の状況がこれでもかと流れ続ける。映像は恐ろしく、憤りや無念さに心が震えます。

こんな状況の中、一瞬にして失った命や、もがきながら命をつなぎ耐えてる方々を思うと、今、命と関係無い贅沢な手術を受け医師や暖かな病院で医療を受けている私が発する言葉など何もみつからない気持ちです。

どうか、どうか、心が、心だけは折れないよう、ここを見ていて下さったお仲間の明日を願い祈ります。

そして、被災地のひとつ東北は私が幼い頃、何度も夏休みを過ごした場所。今はもう親戚のお墓があるだけだけど、昨年そこに眠った優しかった叔母がこの状況を知ることなく旅立ったのはどう折り合いをつけるべきか・・・

記憶の中で薄れていたあの美しい大地や緑を、今一度しっかり私の人生の記憶に刻まなきゃ、優しかった叔母と共に。

願い祈ります。

『より良く生きたい』と願い再建手術を受け、その記録をブログにしている私。私が出来る事は願い祈る事くらいだけど、

どうか、被災地の皆さんが再び『より良く生きたい』と思える日が1日も早く訪れるよう、私は願い、私の再建の記録を続けたいと思います。



動揺に包まれてるアタシの心なのに、アタシの胸は術後6日の今日も、シューシューと元気な血流の音を聴かせてくれてる。感謝。

医大生

2011年03月11日 13時11分39秒 | 乳房再建入院~手術
今日は乳房再建を志望するという学生さんが診察の時に先生に付いて挨拶に来たじゃきぃ~♪女子であった。頼もしい(^-^)/

マイクロサージャリーのオペは長時間でハード。でも私の再建の執刀チームのお腹を切る係は女の先生だった。この先生がいてくれて助かったこと良かったことは沢山あった。これからもあるだろうな~

先生は長時間のオペでもアドレナリンが出てるから大丈夫ですと頼もしい!

確かにきらきら~その女子医大生にも私の身体で熱心に説明する。

聞き入りながら私の身体を見る女子医大生の目もきらきら

♪今こそ君は本当のヒーロー♪流した涙ぁ~超えてここに立つ♪その眼差しは世界に勇気与えるヒーロー
(*^ー^)ノ♪と、嵐は今度は彼女の耳元で流れていたじゃきぃ~


がんばれ\(^o^)/