土曜日、美容院へ行った。
自宅で個人的にやっている人で、母がいるときは実家まで出張美容に来てもらっていた人だ。
今は、歩いて20分くらいのところなので、天気もいいし散歩がてら歩いていく。
入り口を開けたら、黒いものがシューッと走り去った。
どうやら猫らしい。
この家には先住猫が1匹と、庭に住み着いた猫を保護した2匹の計3匹いる。
保護された猫は、実はこの家の庭で子供を産んだのではなく隣の家だったらしい。
なぜかこちらの庭に子供を連れてきている。
しょうがないから餌をやっているうちに、家猫になったそうだ。
子猫のうち2匹はもらわれていき、親猫と子猫1匹を保護し、家猫として飼っている。
まだ彼らが外でミャーミャー言っていた時のこと。
親猫が何かを加えて、子猫たちの前に置いた。
「ニャッ」と一言。
みたらなんとトカゲ。
これがトカゲだよとでも教えたのだろうか。
だんだん慣れてきて、家の前で餌をもらうようになったら、先に親猫がきて毒見をし、また「ニャッ」と子猫を呼んで、一緒に食べるようになったそうだ。
それからは家の中にも入るようになって、今日に至る・・・・・。
一度会いたいのだが、怖がりでなかなか出てこない。
カフェのスタッフの一人が、犬を飼っている。
シーズー1匹だが、娘さん夫婦が近くにいて、どこかに出かけるとなると、3匹のペキニーズを連れてくるそうだ。
ある時、そのうえ鸚鵡まで連れてきたらしい。
鸚鵡は声が大きくてうるさい。
マンションだから何をいわれるかわからない。
それ以降、鸚鵡は出禁になったらしい。
また、カフェの一人のシェフは、毎日犬を散歩させている。
カフェが終わってからだから、遅い時間になってしまう。
夜ラストまでいたときは、ヘトヘトになったと言っていた。
朝からラストまで通しで入っているときは、暇なすいている午後に休憩タイムがある。
それを利用して犬の散歩に行くそうだ。
よく、そんな元気があるなと頭が下がる。
私だったら、昼寝をしてしまうところだ。
弟の家でも犬を飼っている。
ミニチュアダックスで、よく吠える。
本当はペット禁止なのだけどなぁ。
ここのマンション群ではペット禁止だけれど、家の中で飼っている人は多い。
私も犬か猫かほしい。
そうしたら寂しさが少しはまぎれるかもしれない。
でも賃貸だからそうもいかない。
当分は観葉植物で我慢我慢。
土日、2日続けてカフェのお手伝いだった。
土曜日はまだ、ランチ客がちらほら、お茶のお客様がちらほらときたのだが、日曜日の私のシフト時間16時から20時までは、お茶をひいてしまった。
だいたい土日は、もともとあまり客が入らない。
天気もいいし、みんなどこかへ行ってしまうらしい。
そこで、こんどスイーツを新しく作るための研究会になった。
ワッフルとホットケーキ。2種類のうちどちらかにしようということになっているが、一度作る手間やコストを考えなければならない。
こういうのが上手なスタッフの奥様がいらして、講習会。
アイスクリームや、生クリーム、ベリーソースで、果物で飾って、どちらも美味しい。
但し、値段をつけるので問題が起きた。
コミュニティカフェだから、あまり高くつけられないが、普通のお店で食べれば800円はとれる出来栄えだった。
結局、決まらないまま、試食だけは美味しくいただいた。
夜はいつもくる野球チームと踊りの会の人々が、その日に限ってこなかった。
私はカレー作りのお手伝い。
にんにくが苦手なのにみじん切りを頼まれて、目をしょぼつかせながら、匂いが手に移るのを気にしながら切る。
ご飯が残ってしまったので、身内だけで、雑炊を作って食べてしまった。
これから帰って夕食を作るのは面倒だったので助かる。
そして、スタッフだけで、今後のカフェの目玉商品や、シフトについて話し合う。
今後は、ちょっとトラブルのあったシェフが、夜のみのシフトになり、もう一人のシェフが昼間のシフトになる。
これが凶とでるか吉とでるか?
また、メニューも目新しくしないと、客が飽きてしまう。
そういう時期に来ているのかもしれない。
だが、成功している例として挙がっているのか、各市町村から見学に来るのは多い。
金曜日と土曜日と続けて視察があった。
40人と15人と団体で来た。
オードブル形式で、お料理を出したそうだが、その後、A市の市役所の方々はすごく感激して、帰りの中で盛り上がったそうだ。
でもこちらのスタッフはくたくた・・・・・。
コミュニティカフェの先駆者として、存続且つ成功させなければならない。
半年たって岐路に来ているのかもしれないと思った週末だった。
家を解体してくれた業者さんは、まつばRで知り合った人。
安値で丁寧にやってくれた。
そして梅の花が咲いていたからといって、切った枝をしばらくの間、まつばRに飾ってくれていたそうだ。
また、高野槇も切り取って、梅と一緒に飾ってくれていたそうだ。
私は残念ながら見ることができなかった。
最後の梅に会えなくて寂しさがつのる。
でも、梅を飾ってくれた人の優しさに感激。
マンションの庭陰に1輪咲いていたラッパ水仙。
ウチの庭の水仙はさいていたのだろうか。
今日も朝起きたのが8時ちょっと前。
フラフラしてボーッとして、またソファで少し休んでしまった。
行きたくない気持ちと、行かなければならない理由との葛藤。
ようやく9時に家を出る、
会社へは1時間遅れで出勤。
電車の中でも爆睡。
途中で目覚めたら、家へ帰りたくなった。
どうして会社へいけなくなったのだろう。
頑張ってなんとか来てしまえば、仕事はそれなりにこなせる。
問題は通勤時間の長さか?
それは今までとは変わらないから、それより今までよりも便利になったのだから、関係ないと思うけれど・・・・。
夜眠れないからだろうか。
どうしても11時までテレビを見てしまう。
家へ帰って夕食を食べて、その後1時間から2時間くらいテレビをみている。
ただ、そのボーッとした時間で、身体と脳を休めているつもり。
そのあと30分くらいつい居眠りをしてしまう。
これがいけないのだな。
さっさとお風呂に入って寝ればいいのだが。
今までは、母が、注意してくれていた。
それが一人になったら、だんだんだらしなくなる。
結局生活のメリハリがないから、だらしなくなっているのだろう。
それがすべてに出ているのかもしれない。
カフェのカウンターから見た景色。
ある人が、家にある洋酒を、飲まないからといって箱一杯にもってきたので、飾ってみた。
カフェの名前の入っている焼酎もある。
これだけ並べば壮観だ。
火曜日のカラオケの日の時、結構人が集まっていたので、勢いで、カミュとかナポレオンとかをバンバン開けてしまった。
ブランデーなんか久しぶり。
でも、たまには美味しいな。
カラオケも盛り上がり、こういう時は元気になるのに、なぜ、朝だめなのだろう。
私はよっぽどの怠け者かもしれない。
朝、起きられないだけでなく、起きても会社へ行くことが出来なくなった。
火曜日は、最初から休むつもりで仕事を持ってきていた。
掃除や洗濯が先週できなかったので、午前中はそんなことをやったり、書留を運よく受け取れたりして過ごしていた。
午後は仕事をして、夕方までに終わらせ、カフェへ夕食を食べに行った。
水曜日、行くつもりではいたが、朝起きたことはおきたが、身体が言うことをきかない。
布団の中に潜り込んでしまう。
眠いわけではないが、ウツラウツラしていたら10時になってしまった。
もう会社へ行く気はゼロ。
社長に直接電話する。
社長も、私がたくさん薬を飲んでいるから、そのせいで朝起きられないと思っているらしく、家で仕事をするのを許してくれた。
天気がよく暖かい日。
お昼までまたうたた寝。
お昼すぎて1時頃、カフェへランチを食べに行く。
そのあと散歩がてら、少し遠くのセブンイレブンまで歩いていく。
帰ってきてからはボーッとしてしまい、なかなか仕事に気が集中しない。
仲のいい人が那須のお土産のケーキをもってきてくれるというので、少し頑張って仕事をし、夕食を食べがてら、待ち合わせ場所のカフェへまた行く。
木曜日、今日は喘息のほうの病院へ行く日。
午前中、やっぱり起き上がりたくなくてうだうだしていたが、ようやく支度をして出かける。
病院が終わって午後から会社。
会社にくれば普通に仕事ができる。
ただ、朝どうしても行きたくないという気持ちが強くて、グタグタしてしまう。
朝が怖い。
夜のほうがもっと怖い。
なぜかというと、次の日起きられるかが心配で寝るからだ。
私の仕事は出来高制だから、どこで仕事をしても構わないのだが、やはり、会社へ来るほうが気が引き締まるし、コピーも使えるし何かと便利。
また明日から会社へ行けるのか、今日ちゃんと早く寝ることができるのか・・・心配。
週末担当のシェフが突然休んだ。
病気でもない、不幸があったわけでもない。
「リセットしてきたいから、田舎へ帰る」という理由だった。
それも突然言ってきたので、もう一人のシェフが一週間休みなしでやらなければならなくなった。
休んだシェフは、このカフェを立ち上げたNPO団体の理事をもやっている。
そういう立場の人が、突然休むのはやはり責任感がないと言わざるを得ない。
土曜日は、ポツリポツリと12時頃からランチの客がきて、こちらもマカナイをゆっくり食べることができたが、3時頃からお茶を飲みに来る人たちが増えた。
7人の団体が入ったりして、ホールは大忙し。
本当にてんてこ舞いとはこのことだ。
たまたま客として来ていたスタッフが、見るにみかねて手伝ってくれた。
こういう連携プレーができるのが、このカフェのいいところ。
でも突然、担当外の日にシェフをやるはめになったWさんは大変だっただろう。
私は一緒に仕事をしたことがないので新鮮だったけれど。
休んだシェフと違って、くるくるよく動いて、洗い物もやったり床掃除もやったりしている。
日曜日はこれまた暇すぎて、ランチ客は3組くらいしか入らず、お茶の時間になってまた、混みだした。
そしてきょうは夜にいつもの野球チームが入っている。
宴会用の仕込みもしなくてはならない。
野球チームは、Tea Timeの片づけをしていたら、もう入ってきた。
それからは戦場。
ビールやら、焼酎やら注文が飛び交う。
私も時間延長して、一段落済むまで手伝う。
一段落してから、今度は客となってビールを飲むことにした。
ひとり暮らしを気遣ってシェフが野菜炒めやお茶漬けを特別に作ってくれた。
今日はここで夕ご飯。
昨日の夜は席が満席になるほど、客が入ってきた。
カウンターでご飯を食べていたけれど、忙しそうなので、今度は私がスタッフの手伝いを少しやっていく。
スタッフ同志は結構助け合うのだが、やはり人間関係はいろいろ複雑。
急に休んだシェフに対しての不平不満が爆発した土日だった。
これからどうなるのだろう。
果たして今週末も休むのだろうか。
料理の腕は認めるけれど、下のスタッフを束ねる立場だから、それを意識して仕事をしてもらいたい。
もともとお酒は嫌いではない。
でもいままで晩酌は、父の飲む350ccの缶ビールを一口飲む程度だった。
父が亡くなり、晩酌もなくなった。
あとは、宴会があればビールジョッキで2杯が限度だった。
でも今は、毎日サワー系のを1本(350cc)飲んでいる。
急にデブったのは、食べ物をゴミとして出すのが面倒くさいので、お腹の中へ無理やり入れていたのと、夏の間中、ビールを1本(350cc)を飲んでいたせいだと思う。
このころ、さらに追い打ちをかけるがごとく、小豆氷のアイスを毎日食べていた。
もう、帰ってくると、部屋の中が蒸し風呂状態になっているので、シャワーをあびて、ビールを一口が慣例になってしまったのだ。
そしてこのころはまだ、体重計を買っていなかった。
だから急に太ったと感じたのだろうが、毎日毎日、徐々に体重は増加していたに違いない。
ひとりになると、どうしてもなんだか口寂しくて、お酒を飲んでしまう。
母と二人の時は、おしゃべりしながら食べていたから、全然お酒は飲まなかった。
今はどうしても、鍋をつつきながら、プハーッとやるのが日課になっている。
本当はお水でもウーロン茶でもいいのだ。
なんなら炭酸水でもいいのだ。
炭酸水はおなかにガスがたまるからやめるとして。
これからしばらくは、晩酌をやめてみよう。
ただ、やめられないのはカフェでの仕事を終えてからの一口。
肉体労働だから、終わった後の一口はとても美味しい。
これは、たまに夜のシフトになった時だけ、ご褒美として飲むのを許してもらおう。(←誰に?)
去年の春から暮れにかけて、ずいぶんとお酒が強くなった。
缶ビール1本では全然酔わず、外で飲むとさらに焼酎や日本酒なども飲んでしまう。
それでも酔っ払いにはならない。
ちょっと気分が悪くなるだけ。
あ、それはすでにヨッバライを通り越しているのかな。
とにかく、お酒はしばらく禁酒。
今、冷蔵庫に残っている「氷結」1本を、今日、飲み終えたらね。
つまり明日からってこと。
できるかどうか、実はちょっと不安。
でも、血糖値のこともあるから頑張ろう。
血糖値と言えば、私を含み編集部3人とも血糖値が高い。
そして3人とも酒をこの上なく好む。
ひとりはビールで何杯もいける。だからまだ若いのに血糖値が高い。
もう一人はおっさんだが、滅法酒が強い。
私は足元にも及ばない。
スポーツをやれば下がるとおもってスカッシュをやっているらしいが、効き目はないそうだ。
そして私は、この血糖値軍団から抜け出す努力をするのだ!
先月、土地を見に来た人と更地にして渡すという契約まで結んだのに、買主さんが銀行の借り入れ審査に落ちてしまった。
でも、更地にするほうは知り合いに頼んで、安い値段で混んでいるのを無理にやってもらうことになっていたので、工事はすすめた。
そしてその更地になった写真が昨日届いた。
こんなに狭かったのか、と思うほど頼りなげな土地。
椿の木も、水仙も、梅の木も、ハトが巣を作ろうとしていた高野槇の木も全部全部なくなって、まっさらな土。
ここにかつて、父がいて母がいて弟がいて、犬も飼っていて車があり、という平均的な家族絵図があった。
一人、そしてまた一人と次々といなくなり、ついに家もなくなった。
そう思うと悲しくて声をだして泣いてしまった。
転勤族だったので、住むところが落ち着いたのでさっそく犬を飼った。
友達からもらってきたのだが、そのころ周りでは家が建つたびに犬やねこが増えていった。
池も作った。石でできた灯篭とかえるの置物を置いた。
ミカンの木も植えた。
本州最北端のミカンだと父が自慢していた。
何年も美味しいミカンを食べることができていた。
梅の木もアブラムシ退治は大変だったけれど、梅酒をつけるだけの梅がなった時もあった。
いわゆるガーデニングというより野趣に富んだ庭だった。
大きな石や大きな木があった。
それは父の趣味。
そして、猫の額ほどのところで家庭菜園までやった。
とれたてのきゅうりの美味しさ、トマトのみずみずしさ、エンドウの甘さ・・・。
ガーデニングは、父が亡くなってから私が始めたのだが、花が咲くのを母はいつも楽しみにしていた。
日曜日の朝食は、「畑」からきゅうりとトマトとバジルをとってきてサラダにしたり。
思い出はたくさんたくさんある。
両親が亡くなり、家がなくなり、とうとう私一人になり、もう帰るところもない。
涙は枯れることなく溢れてくる。
でもまだがんばれば、自分一人くらい食べていくことができる。
新しい気持ちで、仕事をきっちりして、まだしばらく、一人暮らしをがんばるしかない。
いつも、簡単で栄養がとれるので、夕食は野菜中心鍋にしている。
白菜、ニンジン、大根おろし、えのき、しいたけ、豆腐、水菜、春菊、ほうれん草などを、とっかえひっかえ入れて、気分に応じて、水ギョーザか豚しゃぶにしている。
白菜だって2~3枚、水菜は一株、春菊、ほうれん草も1~2本。
ギョーザも5~6個、豚肉も6から7枚(薄いの)。
豆腐は好きだから、それでも半丁の半分。
エノキは三分の一程度、シイタケも3個くらい。
ひとつひとつにすれば量は少ない。
だが、鍋にザブンと1回目を入れても、2回目、3回目と入れられるくらいの量になる。
もちろん、ギョーザや豚肉は適宜いれているけれど、どうやら量が多すぎたような気が、今している。
というのは、美濃吉で買ったうどんすき(850円)では、白菜4まいくらい、エノキ3~4本、春菊彩り程度、シイタケ1個、鮭一切れ、エビ1尾、鳥団子2個、うどんの太いのが3本。
たったこれだけだった。(美味しかったけれど・・・)
それらをいつもの鍋に入れるとスッカスカ。
それでも、キャベツ鍋用にとっておいたキャベツをワッシと一掴みごっそり入れ、さらにお豆腐を半丁の半分残っていたのをいれ、エノキ氷を入れる。
もしかして、今までの私は食べ過ぎていた?
それぞれの数にしたら少ないけれど、売っているのは具がもっと少ない。
野菜だけだから太らないと思っていたけれど、思ったより体重が減らないのは、ある意味食べ過ぎだったのかもしれない。
1か月で1kg減ったが、この間の宴会で元に戻った。
いつもお腹いっぱい食べていたんだ。
でも野菜だから、お腹いっぱいでも胸焼けはせず、すっきりはしていた。
これからは、もう少し材料を減らしてみようか。
大鍋に、2回も3回も野菜や豆腐を入れているのはやはり多すぎるのかもしれない。
というより、その時一緒に飲む一杯(今はサワー系ばかり)が、いくらビールでなくてもいけないのかもしれない。
でも、鍋で一杯はやめられないなぁ・・・!