まこちゃん日記2

まこちゃんのピンポン日記です。

5月21日 カレーを食べて緑茶を飲んでよく眠ろう! 

2022-05-21 10:04:58 | 日記

 

   『 瓶ブラシの花 』 散歩道にて

      高橋 嘉子さん 撮影

    この花は何処かにあったなと考えた。昔、駅の

    南口の広場にあったような気がするが…

 

ある日の新聞にこんな様な記事があった。

年を経ると脳細胞が萎縮し、神経細胞は減退する。その程度の早い遅いや強弱の具合

には大きな個人差があるけれど、その影響はどんな人にも確実に忍び寄っているという。

加えて体を動かす筋肉の減衰、内臓器官の耐用年数の残り時間、動作を伝達する神経の

弛緩等によって運動神経や歩行困難、体のフラツキなどを招く。

 

脳細胞の萎縮は、記憶や思考の能力を徐々に崩壊へ向かわせる。又時には喜怒哀楽、

つまり感情のコントロールが難しくなったりする。急に怒りっぽくなったり、涙もろく

なったりする。又逆に感情が平坦になる(感情のバランスが崩れる、無感情になる)、

無口になり無気力そして何事にも無関心になってウツという症状になる。

これはある程度の年齢になれば誰にでも見られる現象だが、この症状の頂点にあるのが

いわゆる認知症である。と言った概略こんな事であった。

 

生きるものである限り、細胞の減少による変化は早い遅いはあっても避けられないものである。

忘れっぽい、思い出せない、何もやる気が出ないなんてのは、紛れもなく認知症への初年生で

あって年々高学年生へと進級しているのだろう。

 

それでも最近は、根本治療薬が開発されて現在継続審議中だというから、大いに期待される。

又よく言われるのは、緑茶のカテキン、カレーのクルクミンという成分は、脳への悪性物質の

沈着を防ぐとか、又毎日6~8時間の熟睡はその間に脳へ沈着した老廃物質を除去する作用が

認められたと言うことらしい。

 

我々の寿命は、その新薬が認可使用される時期との競争になる感じだが、せめてそれまでは、

毎日体を動かし血流を良くし、新しいことをして脳に刺激を受けて、昼食にはカレーを、

朝晩緑茶を飲んで、夜は一杯飲んでぐっすり眠ろう。

そして翌朝は必ず起きるのを忘れないようにしよう。

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5月20日 10枚の案内状。

2022-05-20 10:11:34 | 日記

 

     『 思い出・山の上のお花畑 』

       森川 雅昭さん 撮影

 

さて、昨日書いたようにそんな状態の私にも、会から割り当てとして10枚の展示会の

案内状が届いた。すると今度はこの10枚を一体誰に案内しようかと、絵が描けない

悩みに負けないくらい悩んでいる。

 

前回までは50枚位を割り当てて貰い、絵の好きそうな友人知人達に出してそのほとんどの

人が毎回来て呉れた。県内、東京、千葉、茨城、埼玉から時には会津から東京に用事があった

からという人もあった。

 

これによって互いに久し振りの再会、健在を喜び合え、絵を見て笑って貰ったあとは、楽しく

お茶とか会食や宴を設けたりして、それはそれは2年に1度の楽しい行事であった。

展示会を終えると連日の応対で、体も財布も疲れきったものだが、それは何とも快い充実感の

ある疲れだった。

 

絵も描けないのに遠方から来て貰うのは気が引けるし、遠方からの人をあまり歓待する元気も

なさそうだ。そうした来てくれる方々の年齢を考えたり、茅ヶ崎までは大変だろうと思ったり、

又義理で来て呉れた様な方には案内しては気の毒なような申し訳ないような気がしたり、

思いはいろいろ乱れるのだが、残念だけど今年は遠慮しようと思った。

 

さて10枚を、近くで絵が好きな方というと、誰だろうとこれまた悩みである。

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5月19日 展覧会が近づいて!

2022-05-19 11:00:47 | 日記

 

    『 富士と田貫湖 』

                    森川 由美子さん 撮影

     

私が定年後始めたものに、このブログ日記とピンポンと水彩画とがある。

一応これらは今のところ続いている。

父親が洋画家だった環境の所為か、絵は描くのも見るのも決して嫌いではなかった。

しかし絵の才能は一片も遺伝してないようだが、一寸お人好しの馬鹿で酒が大好きな

ところは確実に遺伝しているとは、昔から母が保証していた。

 

絵のグループでは良き画友も出来たし、けなしけなされ褒めて褒められて楽しくやって、

これぞ趣味の醍醐味と言うのを味わってきた。

しかし絵を描いている時は何もかも時間も忘れてなんていうが、そんな境地には一度も

なれることは出来なかったけれども。

 

ところで今年も隔年で開かれる作品展(展覧会)が6月に開催される。

途中中断もあったが今年で8回展になる。私は初回から出品し続けているがこうした作品展

というものは、張り合いのある場で楽しく励みになるものである。

 

ところが最近の私ときたら、様々な病気を抱え著しく体力の衰えと体調不良、不具合という

状態である。すると不思議なもので次に来るのは意力とか前向きな意欲の喪失である。

昔の大家とか名人の真似をするわけではないが、絵を描く体力だけでなく、肝心の気力がない

のである。描く意欲が出ないのである。

 

こんな状態が今年早々から続いて困っているのだが、そろそろ絵も描くのも止めるしかないのか、

なんて思い悩んでいる。

今回が最後の展覧会になるのかなと想定して是非にと思っているが、いまだに絵画が描けなくて

困惑したりとても焦っているこの頃である。

最悪の場合は、二番煎じの昔の絵で勘弁して貰おうと思っているのだが…。

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5月18日 何故、忘れっぽくなるのだろう!

2022-05-18 09:58:15 | 日記

     『 ミーちゃんと薔薇の花 』

        高橋 嘉子さん 撮影

 

最近人の名前が出てこない。口惜しいけれど、年を取るとそうなるというが、

私はそんな事はないだろうと思っていたのに、尚更口惜しく哀しい事だ。

 

TVを見ていて顔は昔からよく見て知ってはいるが、はてと名前が出てこない。

うちの奥さんに聞いても同じようだ。二人して呻吟しているのである。

 

対象がまだタレントだからどうと言うことはないが、これが友人知人、家族、大事な

人などだったらどうしようと心配になる。

 

昔のあの時のあの人は何と言ったかが思い出せず、お顔は覚えている、その笑い声さえ

耳に残っているのに名前が出てこない。ア行から羅列して行き、思いだそうとするがただ

イライラするだけである。

そのくせ、諦めて何か別なことをしている時に、ひょっこり突然思い出したりするのである。

 

この思い出せない、忘れっぽくなるという現象は、神が人間に与えた思いやりの1つで、

もう長い間いろいろ騒音雑音を聞いてきたのだから、より長生きするために重要なこと以外は

フイルターを掛けてあまり聞こえないようにしてくれて居るという考えはどうだろうか。

 

物忘れの防止法として、脳の栄養になる食物の摂取とか、思い出そうとした時にすぐ諦めずに

徹底して考える習慣を持つ、本を読む、新聞を塾読する、考える批判する習慣を付ける、

(幸い日本には政治でも経済でも事件でも題材には少しも困らない)、新しいことに何時までも

好奇心を持つ、脳トレのテキストを使うのもよし、そして気休めにサプリメントを飲む。

と言ったことが、物忘れを少しは防いでくれるそうだが、果たしてどうだろう。

若い頃のお勉強が出来で生真面目な友人の例や話を聞くと効果が有りそうでなさそうだ。

 

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5月17日 今日は10人で練習する。

2022-05-17 18:28:06 | 日記

 

      『 海岸の浜昼顔の群生 』

                       高橋 嘉子さん 撮影

 

練習という言葉がどうも我々のピンポンにはそぐわないような気がしてならない。

私のボキャボラリー不足の故に、適切な表現が見付からぬまま使っている。

練習というと、何かをマスターするとか、試合に備えるとか目的を持ってするニュアンス

だが、我々のは全くそうしたものではなく,ただ打ち合ってラリーを楽しみ、笑って3時間

を過ごすだけなのである。

 

コロナ以来、それまで隔月毎に先生の個人レッスンがあったのだが、それも途絶えてしまった

ので、ますますそんな感じの3時間になった気がする。

 

従って皆が結構上手なのだが、それだけに自己流のフォームが目に付くのが、一寸残念な気が

してくるのである。

 

しかし我々の目的が試合向けでも、上達でもないのだからこれで良いのだろう。

前に、今更ピンポン上手になってどうするのとか、今更練習なんて嫌だ、皆で一斉にやったり、

ノルマのようにとか或いは練習方法のマニュアルに沿って窮屈にやるのは真っ平だ!等という

意見があった。我々の年齢を考えるとそれもそうだとは思ったものだ。

それで幸か不幸か、そんな練習は実現しなかった。

 

しかし、どんなスポーツでも上達すればするほど面白くなるものというし、自分でも

気持ち良くそして人から見た目も美しいフォームを身につけたいものだ。

変化球を出したり返球したり出来る位までは最低でも身につけたいものである。

それでこそ長く健康のため気分転換のため人と楽しく一時を過ごせるためにと続けて来た証に

もなるのだろう。

 

私は、ピンポンしたらピンポン日記を、時間潰しとぼけ防止のために毎回のようにこのブログを

書いている。このブログは卓球という分類の中で書いているわけだが、するとその中には大勢の

方が書いて居られていろいろ卓球の技術論、卓球ニュースや知識が出ている。

 

それを見ていたらある日たまたま「突っつきとカットについて」というタイトルで書いてあるの

が目に付いた。その違いが前から気になっていたので、(何しろ私の子供頃、遊びでやった卓球では、

ツッツキなんて言葉はなかったから)コメント覧に書いてその方にその違いは何かと聞いたら、

親切にやはりコメント覧に返事を書いてくれた。

「台の上でするのがツッツキで、台の外でするのがカット打ちだ」と教えて頂いた。

成る程と納得する。

 

こうしたことを時々やってその知識とやり方を皆さんに伝えられたら良いのかなと思った。

それを各人が自由に己で実践してみたら良いのではと思った。

ツッツキと言うのは昔はなかったのに、今ではすっかり主流で、相手の変化球に対応できる

最高にして万能の技術だそうだ。やはり我々でも、せめてこの位の知識や技術を、仕入れて

時々実践し身につけたいものである。

 

練習の途中から小雨が降り始めた。

それにしても3時間は長い。もうくたびれてきっと昼食も食べられないのではと思った。

でも未だそんな心配をすることが出来るうちは大丈夫なのかも。

 

 

 

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