<写真は、首をかしげているナナ。ナナの可愛い癖でした。>
ナナが死んで1ヶ月が過ぎました。
この1ヶ月の間、絶えず私の頭の中で考えていた事を、書いておきます。
・土曜日に病院へ行った時に、ナナのお腹が腫れていたら?
・日曜日の午前中、病院がお休みでなかったら?
・紹介された緊急手術のできる病院がしていたら?
・最後に行こうとした病院まで、ナナの命が持ちこたえていたら?
きっとナナは、私の腕の中ではなく、病院で息が絶えていただろうと思います。
そうだとすると、私の中には一杯の後悔が残ったように思います。
・風邪だと思って、ナナをお散歩に連れて行ってなかったら?
・川での階段の上り下りを「しんどいから、止めておこうね。」と言って止めさせていたら?
きっとナナは、後悔を残して死んでいったように思います。
ナナも私達も後悔しないですむ最後でした。
そんな最後を与えてくれたのは、ナナの考えでありナナの意志だったと思います。
動物は人間と違って、自分の「死の時期」を早くから感じとっているような気がします。
ナナはいつ頃からそれを感じて生きていたんだろうと振り返って、私なりにいろいろ考えてみました。
やはり、リーが死んだ時からだって気がしてなりません。
リーが死んで、私は次のワンちゃんを飼う事にとても焦っていました。
娘が「お母さんが、おかしくなってしまう。」って心配するほど焦っていました。
その時の私は、リーを亡くした寂しさからきているものだと思っていましたが、今考えると次のワンちゃんを飼う事は、ナナの意思だったように思えます。
ナナは自分の命がもう長くないこと、残された時間が少ないことを知っていたから、早く次のワンちゃんを飼うようにと、私を突き動かせていたのではないかと思います。
リーが死んだ時、ナナはリーに「まだ、ナナちゃんはするべきことがあるから、するべきことがすべて終わったら、私の所においでね。」って言われて、リーとの約束をきちんと果たしてからリーの所に行く為に、私達を次のワンちゃんに巡り会わせて、マリーとアンが私達の心の支えになる日まで待っていたように思います。
それが、リーとの約束であるナナのするべきことだったんだと思います。
リーが死んだ時、私は一杯の悔いと、どこにぶつけていいか分からない怒りを持って、毎日涙で暮らしていました。
ナナはそんな私を見ていたから、「自分の時には、お母さんにこんな思いはさせない。」と思って、そんな道を選んでくれたように思えます。
それが、ナナから私への「ありがとう!」の気持だと思います。
あんな小さな身体でいろんな事を考えて、すべてをやり終えて、やり遂げて、ナナは逝きました。
ワンちゃんは飼い主家族に対して、自分が何をどうできるのかをきちんと知って役割をわきまえて生きている動物なんだと、ナナに教えられた気がします。
人間には見えない先のことも、きちんと見えているようにも思います。
ナナの気持を大切にして、私は明日からしっかり頑張ろうと思っています。