暮れに集まった際には、少し痩せたかな?といった印象があり少し気になりましたが、本人曰く悪いところはどこもないから大丈夫という。これまで大病を患ったことがなく、我慢強い昭和の女性でもありました。
ただ年が明けてからは、買い物に出かけることが億劫になり、横になることが多くなり、料理も、そして食事の量もめっきりと減ってしまい。毎日実家へ通っていた嫁からの報告なのですが、この変化はたった1週間のことなんです。
本人は心配ないとの一点張りでしたが、いやいやこれはおかしいぞということで、1月の初旬、嫌がる母を強引に連れていった病院先で初めて病名が発覚。そしてその告知からはたった40日間。
病の進行のあまりの速さに家族全員が唖然とすると同時に頭が真っ白になりました。数ヶ月前まで普通に元気でいたわけですから。
いつも4人の孫たちを気にかけて、常に愛情を注いでくれる姿が思い浮かびます。
年が明けて長女の大学受験が続く我が家。
長女には受験に集中して貰うべく、祖母の病名は伏せていましたが、大学合格の報告は意識があったときに伝えることができ、とても喜んでくれました。
先週末、滞りなく四十九日の法要が終わりました。今年に入って毎日、病院と実家の往復だった長女である嫁も一区切りついて、ようやく落ち着けるのかなぁなどと思っていましたが。今度は義理の父親の方が環境の変化もあるのか、色々とあってですね。当分の間は仕方がないでしょう。
そんな最中、今度はウチの母親から、父親が肺炎で入院することになったとの一報が入りまして。法要前日の土曜日、母親と入院先の病院に行ってきました。
それこそ元気なときは、まぁなんとも良く喋る父親でして。私の友人の間でも人気があったというか。
私が中学生時代でしたね。ウチで友人らと麻雀をしているとですね。断りもせずに部屋に入ってきて、私の友人をあだ名で呼び合いながら、いつのまにか一緒に麻雀を楽しむというね。なんともフレンドリーというか陽気な父親でした。
それが6年くらい前からかな。大阪の単身赴任から戻る少し前くらいから、少しずつ口数が少なくなりました。老化現象なのかなぁと。おそらく過去にあった軽い脳梗塞の影響もあるんだと思います。私自身最も気をつけているのが脳梗塞のリスクです。
次第に足腰が弱り、歩くことがままならず、介護認定を受けて特養でリアビリを続けて、昨年からは実家近くの老人ホームにお世話になっているんです。


Q
どう?ご飯はしっかりと食べているか?
A
あぁ
Q
本当?動かないんじゃさ、しっかり食べられてないだろう?
A
あぁ
Q
それじゃさ、きっとあまりお腹も空かないよな?
A
あぁ
A
それともお腹いっぱい食べられるのかな?
A
あぁ
おい、いったいどっちやねん!
入院先の個室に入るなり、昔に戻ったようにベラベラと喋るわけです。
A
いやな、それが六本木ヒルズに車を停めているんだよ。それでほら、他の社員はいつまでもそこにいるわけにはいかないだろ?
だからもう社に戻るよう伝えたんだよ。
まぁなにしろビルの屋上から飛び降りたんだから。トラックで。でも上手くひっくり返ったから無事で大丈夫だったんだ。
それで、今日は何で来たのか?
そうか車か?それじゃ気をつけて帰れよ!
的を得ない内容も交えながらも、こちらへの気遣いもあるんですね。いったいどうなったんだ??唖然というか、ただただ驚きました。
昨日、私から父親のその変化を医師に、そして老人ホーム担当の方にそれぞれ伝えました。
入院先の病院では脳梗塞の薬を服用していない筈。頭の働きが改善した原因を確かめて、これまでの処方を無くす、または減らすという判断含め、医師と相談しながら進めたいと思います。
親の介護問題は私たちの世代では必然です。