3月26日
昨年10月に熊野街道を住吉東~鳳駅を歩いての続きです。
熊野街道も都市化が進んでいるため今回も道標も少なく、
舗装道ばかりの歩きです。
『コース』南海難波駅=井原里駅→佐野王子跡→樫井王子跡→樫井古戦場→
塙団右衛門直之の墓→淡輪六朗兵衛重政の墓→海会寺跡→厩戸王子跡→
信達一ノ瀬王子跡→長岡王子跡→石の鳥居→地蔵王子跡→馬目王子跡→山中宿旧街道
→JR山中渓駅=大阪駅
(8:52)
南海電鉄井原里駅でリーダの挨拶とコース説明
(9:15)
佐野王子跡
昭和22年4月に大阪府の指定史跡になったとありました。
「ふどうみち、すぐ和歌山道」の石碑
意外な物を見つけました。
道ばたにヒヨドリが死んだふり?・・・死んでいました。
(9:47)
ようやくJR空港線と関空自動車道の高架下にたどりつく
りんくうゲートタワービルが見えます。
横浜ランドマークタワーにつぎ日本で2番目の高さを誇っていましたが
あべのハルカスが出来て日本第3位です。
しばらく進むと樫井の古い町並みに入る。
(10:30)
塙団右衛門の墓
豊臣秀吉の家臣加藤嘉明に仕え功名をあげた武将
大坂夏の陣では大坂方に属し樫井合戦で
破れ討ち死にした。(説明書きより)
(10:33)
他人さんの家に入り込んでるのではないのですよ。
この庭の片隅に
籾井王子の碑(樫井王子)
庭の土塀沿い奥に石碑が有ります。
往事の街道筋の面影をよく残しており、豪壮な家屋敷が続く
(10:42)
籾井王子の碑のあった住宅から少し行くと、
街道筋に「淡輪六郎兵衛重政の墓」がある。
武将として、塙団右衛門らと名を轟かせていたが、
大阪夏の陣で塙団右衛門らと討ち死にしたという。
(10:54)
明治大橋手前に樫井古戦場跡
1615年、徳川家と豊臣家の最後の決戦、
大坂夏の陣の緒戦が南下する大坂方と北上する徳川方(浅野軍)が、
樫井を中心に激戦を展開した。(説明書きより)
(11:10)
樫井川にかかる明治大橋をわたり
明治小橋を渡るとまもなく海会寺跡地
左に塔、右に金堂を配する「法隆寺式伽藍配置」を持つ
寺院として有名になったそうです。
塔基壇
朱色の柱は廻廊跡
この先は25名も昼食をする場所が無いそうで昼食と記念撮影
《続く》