Southride(サウスライド)

マウンテンバイクとダックス125

サウスライド

阿蘇山ツーリングで煽り運転?された話

2010年03月10日 | オートバイ

就職して1年目の夏、当時暮らしていた大阪から、九州へ二泊三日でバイクで旅をしました。

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今は季刊誌になったOutRiderもまだ月刊だった頃で、阿蘇山の外輪山を走ってみたくて一人で出掛けたと記憶しています。就職した今から思えば時間はたっぷりとあったのに、山陽自動車道を使って九州に向かいました。はじめて通る山陽道の印象は「長い」だった。大阪から岡山までは結構近いのに、広島県自体が長い。静岡県並みに長い。目的地は「九州に行く」とだけしか決めてなかったので、途中下調べもしてないからただ九州をひたすら目指しました。もうちょっと途中の道のりを楽しんでも良かったかな。
マシンは当時乗っていた真っ赤なCB400SFです。750Fカラーに塗ってます。



多々ひたすらに九州を目指しただけだったけど、それでも下関を過ぎて関門橋から九州へ上陸したときは、多少感慨深いものがありました。九州(初)だと思います。到着したのはもう夕方近くでキャンプ場も決めてなかったから、とりあえず熊本方面へって事しか頭に無く、日暮れの道を走り続けました。

496号線だったか、212号線だったか、記憶は確かではないけれど、とにかく夜になってしまいました。どこかテントを張る場所を探していたけれど、キャンプ場も調べてないから闇雲に進みます。途中コンビニで適当に弁当とお菓子を買って、リヤシートのツーリングバッグに被せたネットに押し込みました。自分には珍しくビールが欲しくなって、一番小さい缶を購入したのを覚えてます。

コンビニを出て、阿蘇方面へ走り出します。時間は7時だったか8時だったか。ふと、後ろから煽ってくる軽ワゴンに気づきました。軽ワゴンは急いでいるのか、どけろどけろと言わんばかりに車間を詰めてきます。田舎とはいえまだ街中で、こっちもスピードを上げられないし、あえて意識しない様に普通に走っていました。

そのうち、後ろの軽ワゴンがクラクションを鳴らし始めました。おまけにパッシングまでして煽ってきます。九州の人には悪いけれど、気性は比較的荒い土地柄なのかなと思ったので、多少腹は立ったものの揉めるのも嫌だなあと思って、左に寄り、道を開けました。ところが、後ろを走っていた軽ワゴンは追い越しざまこちらに幅寄せをしてきました。驚いて運転席を見ると、金髪のリーゼントな人がこっちを見て、左腕を突き上げて何かを叫んでいます・・・。

さらに車幅は詰まって、ガードレールと軽ワゴンに挟まれて行き場を失ってしまう程です。これには温厚な自分も頭に血がのぼってしまった。アクセルを開けて軽ワゴンの前に出て、進路をふさぐ様にスピードを微妙に落とします。それからクラクションを鳴らす軽ワゴンに向かって、おしりペンペンをします。後ろのワゴンが相当頭に来ているのが分かります。それからすかさずスピードを上げて逃げるふりをしながら、すぐにブレーキテスト。軽ワゴンは急に光ったバイクのブレーキランプに驚き、タイヤをを鳴らして急減速。これを二回繰り返し。今から思えば危険極まりないやりとりですね。若気の至りとはいえ絶対ダメです。

そこから本当にバイクを加速させて、道も車の少ない国道に変わったから、全速力で逃げました。10分位アクセルを開け続けて、車も5台ほど追い越して、もう振り切ったと判断してスピードを緩めました。



その後真っ暗な国道を進みました。頭にはきていましたが、もしあの軽ワゴンが追いついてきたらヤバいなという思いがあったので、バックミラーはちらちらとチェックしていました。それにしても何が気に障ったのだろうか。ブレーキテストは悪かったけれど、最初に絡んで煽ってきたのはあっちだ。思い当たるふしがあるとすれば、コンビニから出ていく時、車の前に出てしまったことかも。おそらくそれだろうと思います。でもぶつかりそうだったり、割込みしたりって程じゃなかったはずです。そんなことを考えていた時、バックミラーにハイビームが映りました。

さっきの軽ワゴンだと一瞬で理解したので、反射的にアクセルをひねりました。焦っていました。スピードを思い切り出せば中型以上のバイクは危険なくらい速いと思います。40馬力だろうが59馬力だろうが、街ゆく普通の車と比較しても機動力も含めてありあまるパワーだと思います。相手は軽自動車だから、思い切り早く走ればついてこれるわけはないし、加速で車を追い越すのもバイクの方が有利です。車を何台も抜いて軽ワゴンのハイビームが見えなくなるまで走り続けました。

再びバックミラーが暗闇になりましたが、でも気持ちが落ち着かないので、さらに車を5台くらい抜いて、やっとペースを落としました。もう10キロ以上走ってきたから大丈夫だろうと思い、しばらく走りました。その時、再びハイビームがミラーを照らし、軽ワゴンが車を無理やり追い越してくる姿を見つけてしまいました。普通もう諦めるだろうと安心していたのもあるけど、短い直線でもブラインドカーブでも無理やり他の車を抜いて、自分を執拗に追いかけてくるワゴンの存在に恐怖を覚えました。異常者かも知れない。こうなったら相手が諦めるまで飛ばしに飛ばそう。

できる限りのスピードで走っていると、軽ワゴンは再び見えなくなりました。もっともっと間隔を開けて、絶対追いつけなくなるところまで、と思った時に、暗闇に観光地の駐車場が見えました。後ろをふりかえり、追いついてきていない事を確認し、エンジンを切ってテールランプを消し、川沿いの駐車場に滑り込みました。ここなら、国道から見えまい。やり過ごせるはずだ。そう思ったときにタイヤを軋ませながらワゴンが駐車場に突入してきました。そしてバイクの目の前をふさがれてしまいました。

やばい、真剣に身の危険を感じました。軽ワゴンの窓が開き、金髪リーゼントが怒りに燃えた目で言います。「アンタなんちゅう運転ばしとっと!」と突き出した腕は丸太の様に太いです。ビビりながらも「そっちが最初に煽ってきたんやろ・・・」と言ったとき、かぶせるように相手が思いもしない言葉を言った。

「アンタが落としたコレを拾ってやったのに」って、その手に握られているのは・・・僕が買ったコンビニの袋です。まさか?と思い後ろを振り向くと、リヤシートに括りつけたはずのコンビニ袋が無い。思考が駆け巡る。つまり、コンビニの前で僕が落とした袋を、わざわざ拾って渡そうとしてくれた?

いい人じゃないですか!

いやいやいや、でもあの運転やクラクションは煽ってるとしか思えないですよ。てゆうか死にかけませんでした?僕。でも目の前の金髪リーゼントは怒りマックス、ドアを開けて殴りかかってくる勢いです。というかドア開けて車降りようとしてますよね。急いでバイクのエンジンをかける。逃げないと!

前は壁、左には車とリーゼント。せっぱつまって無意識のうちに右にバイクを傾けてアクセルオン!奇跡的にバイクがアクセルターンして出口を向いた。もう100%奇!アクセルを思い切り開けてウイリーしながら発進。リーゼントが走って追いかけてくる。そして視界の隅に手が見える。自分の腕をつかもうとしてる。その手をかすめるように振り切って、そのまま国道に出て、ひたすらアクセルを開け続けました。

たぶんその後30分くらい走り続けたと思います。正直ビビっていました。誰もいないことを確認して、脇道に入りこみました。舗装林道の先に入り、エンジンを切ってタバコを吸って静かにしていました。しばらくしてやっと気持ちが落ち着いて、もう追いかけてきていないことを確信したので、そこでテントを張りました。ありもので適当に夕食を済ませました。ビールは落とした袋の中にあったから飲めませんでした。



翌朝、テントを畳んでいると軽トラに乗った老夫婦が通りがかりました。テントを少し移動して車を通したら、やさしく挨拶してくれて笑顔を返してくれました。

次の日は阿蘇の外輪山で何度か観光バスに前をふさがれたけれど、大人しくゆっくり走りました。駐車場で休憩していると女の子二人に声をかけられました。二人とも可愛かったです。写真を撮って下さいとの事なので、撮ってあげて少し話をしました。それから一緒に写真を撮りました。名前も連絡先も聞きませんでした。女の子たちは阿蘇山へ向かうから、またどこかで会えるかもね、と言って、手を振って別れました。少し期待したけど、でも結局、会えませんでした。

後でその写真を見た友人が、怒ってました。女の子と写真を撮るなんてツーリングでは起こりえない事がなんで起きるのか、羨ましすぎるとのこと(笑)いやいや、何も起きてないです。ぼくらの間では、バイク乗りは女の子にもてないというのが定説でした。それは今でもそう思うけれど、人によりますよね。



阿蘇山は噴火の兆候があるということで、火口までは行けませんでした。良くも悪くも草千里は想像していた通りだった。帰りは大分自動車道に乗って、中国自動車道を経由して帰ることにしました。夏とはいえ夜は寒くて、広島の山の中で寒さと疲労が頂点に達した為、岡山のばあちゃんちに寄ることにしました。当時は空家になっていましたが、畳の上で寝床が確保できれは御の字だと思って、なんとか頑張ってたどり着きました。でも、勝手口の前でカギを持っていないことに気づきました。そうだ、もともと鍵は実家に預けているんだから、入れるはずがない。何時間もその事に気付かず走ってきたことが、なんだかガッカリするような、笑ってしまうような・・・。結局、ばあちゃん家の庭にテントを張って一夜を明かしました。まあ、かなりの田舎ですし、土地が広大なので大丈夫でしょう。



翌朝、近所のおっちゃんが回覧板を持ってきました。予想外です。空家なのに。おっちゃんは「おはよう。野営か。」とだけ言って普通に帰って行きました。僕は「どうも」と言って回覧板を受け取ったけれど、テントの人間に回覧板を渡すなんて考えてみればおかしな話です。もともと育ったのはこの家だったから、自分のことをすぐにわかってくれたのかも。それから実家に寄って大阪の自分の部屋に帰りましたが、よく考えてみると、ばあちゃん家と実家は同じ県内でバイクで1時間以内の距離です。どうして鍵がないことに気づいた時、実家に帰ろうと思わなかったのかそれも不思議です。体力が限界だったのか、鍵がないことがショックで頭が回らなかったのか。

いずれにしても、危ない運転については、海より深く反省です。