缶コーヒー飲みながら地面に座り込んで、Daxをマジマジと観察します。楽しい時間です。ふと、リアフェンダーの裏側を覗き込んだら、落書きの様なものを発見しました。これです。
缶コーヒー飲みながら地面に座り込んで、Daxをマジマジと観察します。楽しい時間です。ふと、リアフェンダーの裏側を覗き込んだら、落書きの様なものを発見しました。これです。
3/11にDax125が納車されました。10年ぶりのバイクのある生活です。
駐輪場の確保から納車まで色々ありました。色々あったので忘れないうちに近々まとめておこうと思います。特に今は半導体問題やらサプライチェーンの混乱やらでバイクの納期の見通しが立たない中で、納車されたのはラッキーです。
静岡から長野へ向かう途中に通る遠山郷。
ここを通ると気になる看板がありました。
「←木造校舎」
バイクを降りて歩くと思い出が残りますよね。それでは寄ってみましょう。
自分もこの小学校が建っている場所と同じ様な地方の小さな町に住んでいて、通っていた小学校は一学年全員で27人という規模でした。
バイクを停めて木造校舎を眺めます。
ここは自分が卒業した小学校よりも少し規模が小さいでしょうか。でも、同じ空気を感じます。懐かしいです。入り口へ向かうと、自由に見学可能だという張り紙がありました。校舎に向かって向かって右にブランコがあります。
振りかえると、何て名前でしたっけ、あのグルグルまわるやつがあります。
ジャングルジムもあります。今はあんまり見なくなった気がします。
ブーツを脱いで、校舎の中に入ります。廊下にぶつかって、左へ向かいます。まず最初に一番手前の部屋に入ると、なんでしょうか、パンフレットとか資料とかが一杯置いてある机があります。さっきまで誰かがいたような雰囲気ですね。
部屋の隅に誰かがいます。人体模型ですね。こんにちは。うちの学校のよりすこし可愛げがあります。
一旦、入り口の近くに戻って見上げると、二階に向かう階段があります。
先には廊下が続いています。
振りかえるとこちらにも廊下が続いています。ではこちらから進んで行きましょう。
最後の一年生との張り紙があります。
三つの机にランドセルが掛かっています。
ちょっと演出を感じます、まあそれはそれで。
放送機器。放送室ってありましたね。お昼の放送の為に順番に朗読させられたり、ちょっと緊張する部屋でした。
カセットテープがありますね。AXIA(アクシア)ですよ。斉藤由貴がコマーシャルしてましたね。覚えている人は同世代。
廊下の突き当たりには土間があり、すのこが敷いてあります。
その先には体育館。
体育館のステージに登ります。ステージの横には袖があって、地下に向かう階段とかがあるんだよねーと覗くと、・・・あるある。行ってみましょう。
かなり暗いです...。降りていく途中で「チャリン」って金属の音がしました。何でしょうか?それは…自分のバイクのカギでした!あぶない。家に帰れなくなるところでした。
剣道の防具。懐かしいです。
この型のストーブも教室で使ってました。
オルガン。
新しめのストーブ。そうそう、これも使ってました。小学校高学年くらいでこのモデルになったんです。
太鼓。運動会で叩いた記憶があります。
なんだこのビニールシート。
その先には増築された部屋がありました。村の寄り合いとかに使われてるんですかね。
体育館を出ます。さっきの土間まで戻ると、二階に上がる階段があります。
行ってみましょう。
ツーリングマップル 関東甲信越 2014 (ツーリング 地図 | 昭文社 マップル) | |
昭文社 |
遠山郷の木造校舎の続きです。
体育館から2階へ上がる階段を上ります。
入り口の上に 「かしこく やさしく たくましく」 と書いてあります。
こういう言葉って、とても大事だと思います。
二階の廊下。いい感じです。
一番手前の教室に入ります。机とだるまストーブがありました。
鉄琴。
忍耐は大切ですね。剣道は冬の体育館の練習で、足が冷たくて切れる様に痛いんですよね。
さすがに自分の頃(昭和50年代)でも、木の机は使ってなかったですね。
次の教室は、森林鉄道グッズの宝庫でした。
車輪もあります。
トンネルの扁額ですかね。黒電話なつかしいです。子供の頃はこれでしたね。おしゃれな家はプッシュホン。黒電話は鳴ると、びっくりするくらい音でかいので、子供の頃はこの音が怖かった記憶があります。
すごい、携帯電話です(笑)
二階廊下の真ん中には中央階段があります。置いてあるのは大玉ころがし用の玉だな。
次の教室は神楽の展示です。
鬼。 めっちゃ怖いですやん。
でも志村、腕時計、腕時計(笑)
これも違う雰囲気で怖い。
これも怖いから。夢みますって。
次の教室には絵画の展示がありました。
窓の外を見ます。ここの子供達はこの景色を見ながら、学んでいたんですね。
マジックインキ。使ってましたね。
糸ノコ。これも工作クラブで良く使いました。
廊下を戻ります。
お! この教室の下の小窓は、授業中の抜け道ですね。
中央階段の上に小部屋がありました。
これは...物置ですね。ちなみにですね、改めて伝えますが、この小学校は解放されてまして、自由に色々見ても大丈夫なんです。勝手に忍び込んでる訳ではございません。
自分のバイク。これに乗ったらどこにでも行けるのです。
中央階段を降ります。手すりは長い年月を経て艶々ですね。
地殻の模型と映写機?
地球儀。そろばん。すべて自分が小学校の頃に使ってた物とそっくりです。
遠山郷 木沢小学校の木造校舎 その3へつづく。
オートバイ・ライフ (文春新書 (048)) | |
斉藤 純 | |
文藝春秋 |
沢木耕太郎のノンフィクション「深夜特急」を初めて読んだのは、大学に入る前のことだったと思います。受験で泊まっていたビジネスホテルの近く、池袋西口の本屋で見つけたそれは、単行本になる前のハードカバー版でした。
バスを乗り継いで香港からロンドンまで行く旅の話。今では文庫本になって、もっと多くの人に読まれているに違いありません。
深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫) | |
新潮社 |
当時、思いっきり親の脛をかじっていた自分は、まだ大学受験中で、東京の大学を受けに来てました。ずっと勉強に集中できなかった自分が、やっと自分に向き合って成績が伸びたその年の終盤に出会ったその本には強く興味を引かれたけれども、さすがに試験が控えている中で読むのはマズイだろうと、その時は我慢しました。
数日後、関西圏の大学の結果が分かりました。試験から戻った時にホテルのフロントの方から、「ご自宅からお電話ありましたよ。折り返しお電話くださいとの事です。」と言われて、ドキドキしながら聞いた試験の結果は合格でした。恥ずかしながら、実は人生で一番嬉しかった日だったんじゃないかと思います。
人よりだいぶ遅れていた自分にとって、大学に受かる事は人生のスタートが切れる事と同じだったからです。
「深夜特急」は長い間、僕の心の中心にありました。
大学4年の秋に、バイクで放浪しました。国内ですが。その初日に泊まったキャンプ場は鳥取の海岸でした。管理人のおじさんは話し好きで、受付で30分も引き止められましたが、キャンプ場はシーズンオフで、夜中じゅう、僕一人きりでした。
夜中にオバケが出ました。夜の2時ごろテントの周りを誰かが歩くんですよ。もう寝袋に潜り込んでビビりまくってました。そしていつの間にか寝てしまったんですが…。
朝起きてテントの外に出たら足跡がありました。猫の。餌を探してテントの周りをぐるぐる歩いていたようです。子猫ですかね、小さな可愛い足跡がのこっていました。(笑)
それから日本海側を北上して、北海道までたどり着きました。履いてたジーンズは、すっかり薄汚れてしまいました。
キャンプ場以外にも神社やコンビニの駐車場でも寝ました。暖を取るためランタンだけ点けて、バイクとフェンスの隙間で横になって眠ったりもしました。
あれから、何年も経ちました。
久し振りに旅に出たくなる本を見つけました。「旅々オートバイ」素樹文生 著。
著者が1年、オートバイで日本全国を旅した話です。残念ながら現在は廃刊になってるそうです。
もう今は、こういう旅は出来ないように思います。正確に言うと、若い時にその年齢でしが感じ取れないことが、確かにあるということでしょうか。
でも逆にそれは、いくつであってもその歳でしか感じることが出来ない事があると。そういうことだと思います。だから今を大切に。
もし旅に行くなら、一人で行くのが良いかな。誰かと行くのも楽しいですけどね。
旅々オートバイ (新潮文庫) | |
新潮社 |
昔、20代の初めにバイクで日本半周をしたことがあって、その時通り過ぎた海岸沿いの漁村の景色をよく思い出します。景勝地とかではなくてその土地の生活が伺えるような風景です。最近バイクで出掛けるにも、どうにも目的地が決まりません。心が疲れてるのか、腰が重いです・・・。
というわけで、久しぶりに日本海を見に行こうという理由をつけて出掛ける事にしました。なんなら昔通った懐かしいルートを辿ってみるのも良いかも知れません。新潟方面にするか富山にするか迷いますが、帰りに群馬県の毛無山に寄るのもいいですね。
朝8時です。早くもなく、遅くもない時間に出発します。国道20号を北西へ。韮崎でたまらなく眠たくなって、暖かい日差しの中、川沿いの公園で仮眠しました。起きたら頭がぼーっとして、ここで引き返すのもありかなあと、ちょっと本気で思いました。
20号線を諏訪から松本へ向かいます。燃費がやけにいいので、こりゃ新記録だと思って、リッター30kmを目標にガンバってたら、ガソリンコックがリザーブになってました。危ない危ない、ガス欠するところでした。
糸魚川を下ります。北へ向かうのに川を下るって感覚は太平洋側に住んでいる身からしたら不思議な感覚があります。日暮れが思ってたより早く訪れて、木崎湖を過ぎたあたりで暗くなってしまいました。
道はそこから長い洞門となり、これが飽きるほど続きます。ちなみに、DR-Zはライトが弱いから夜のカーブが結構辛いんです。冬の夕方6時は暗闇だから、景色なんてなんにも見えません。速いインプレッサに煽られて、気持ち頑張ってみたものの結局抜かれて、てっきり走り屋かと思ってたら普通の営業車でした。orz
まあ自分の腕はこの程度ってことで。
やっと日本海へ着きましたが、真っ暗です。ここは市振の関。下道で来ると移動だけで精一杯だということが良くわかりました。糸魚川市に入て、スーパーで今夜の食料を買い込んで、キャンプ場へ向かいます。
黒部の海沿いの、園家山キャンプ場に着きました。先客はハーレー乗りの方が一人のみ。夕食は適当に買った総菜で済ませたから楽でした。キャンプで頑張りすぎると疲れるんですよね。もう雰囲気にこだわらなくてもいいかなと思ってます。
翌朝起きたら快晴でした。ハーレーの人とお話します。一週間かけて山口まで行って、今日群馬に帰るそうです。うらやましいなあ。今の自分にはちょっと難しいです。いろんな意味で。海沿いを、風車を見ながら走ります。
十数年ぶりに訪れた親不知。懐かしい場所を見に行くっていう動機があって来たのに、不思議と感慨は全くありませんでした。それよりあの波打ち際が昔、北陸道だった事のほうが感慨深いです。
その後上越の海岸に寄ってみました。砂浜に電柱が一本立っていて、すっごく趣があります。この先に20代前半に訪れた雰囲気のある漁村があるかもしれないと思って1時間ほど探してみましたが、結局見当たらず諦めて帰る事にしました。明日は仕事があるし、その他の予定もあります。・・・最近時間ばかり気にしてます。
長野から群馬に寄ってから帰りますが、今日中に横浜の家に辿り着けるでしょうか?
長野から万座温泉方面へ峠を駆けあがります。気づいたら、後ろを黄色のDR-Zが付いてきてます。キミは仲間だな、後について来い来いと思いましたが、分岐で万座方面へ行ってしまいました。僕は毛無峠へ向かいます。お気をつけて。サヨウナラ。
崖っぷちの県道を進むと、荒涼とした景色が広がっていました。ここが毛無峠です。インターネットで見たのと同じ風景、でもそれ以上の青空と感動があります…。
峠から小串鉱山の廃坑跡を見下ろします。こんな標高の高い土地ですが、硫黄の鉱山で栄えて、昔は街まであったとのことです。
この索道。ラピュタの世界みたいです。索道は鉱山から峠を越えて、長野県側へ続いていたそうです。
さて、経済的に下道で帰りましょう。時間的に今日中の到着は厳しいかも?と考えながら走っていると、上田で空母の様な山を発見しました。好奇心からちょっと寄り道します。
予定は未定ということですね。時間気にしていたはずなのに。言ってることとやってることがなんだか。
正面にまわってみると鼻の穴みたいなのがありました。現地では謎でしたが、帰宅後ネットで調べると「半過岩鼻」という景勝地。やっぱりみんな鼻だと思ってるんですね。鼻の直下、崖下のロックシェッドが廃道になっていたので、てっきり鼻は最近の崖崩れで出来たのかと思っていたら、かなり歴史がある場所のようです。
寄り道していたらもう夜の6時です。さすがに明日仕事だし、6時に佐久にいるのははまずいよなあ。
こんなことならもっと早く長野道に乗っておけばよかった。もう中央道なんか遠く離れちゃってるんで、高速乗るなら関越ですね。都内に一度出るのは辛いです...。それでも高速は順調で楽でした。走行距離、2日で926Km。よく走りました。
でも、できればもう少し休みをとって、やっぱり次は行った事のない場所へ行きたいですね。最近色々と考えてしまって、なんだかすっきりしませんが、それでもバイクだけは楽しいです。さあ、明日からまた頑張りましょう。
旅に行って、仕事して、仕事して旅に行って・・・。
風と旅とオートバイ―ツーリング・シーン12章 (広済堂文庫) | |
廣済堂出版 |
【鉱泉】
鉱物質・ガス・放射性物質などを1リットル中に1グラム以上含む湧泉(ゆうせん)。単純泉・炭酸泉・硫黄泉・塩類泉などがある。広義には温泉と冷泉との総称であるが、狭義には冷泉をさす。
つまり冷たい温泉?ですね。
韮崎の西、南アルプスの麓の青木鉱泉に行ってみようと思います。
キャンプ場も隣接してますし、林道もたくさんありそうです。なにより青木鉱泉の建物が風情があるとのことで、ぜひ見てみたいんです。相変わらず中途半端な時間に出発となりました。
具体的には、レンタルビデオ屋が開店する時間くらいです。DVDを返してバイクに戻ってビックリしました。
バイクの鍵をシートに置きっぱなしでした!
平和な日本に感謝です。
そして韮崎です。
スーパーで買い物してから、山へ向かいます。GIVI箱は便利です。
ここから青木鉱泉へは、鈴嵐林道を経由して行きます。最初は沢沿いのガレた林道という感じです。ガードレールも無いので、もし迷い込んでセダンで来たら涙目になるかもしれません。
とはいえ、スタックして通れない程の険しさじゃないです。バイクも車もゆっくり走れば全然大丈夫です。
展望が開けた林道もいいけど、こういう沢沿いの林道の空気も捨てがたいですね。
木漏れ日が美しいです。森に包まれると心が落ち着きます。生まれ育った家には裏山があったので、いつも遊び場でした。猪・猿・キジもいました。一方、海は年一回見れるかどうかだったので、今でも海を見るとテンションが上がります。
振り返るとこんな高い場所に池があります。その向こうには甲府盆地。
青木鉱泉に着きました。この建物が見たかったんです。
玄関をくぐります。驚いた事に、三和土(たたき)の土間でした。感動。子供のころ、うちもそうでした。掘り炬燵もあったし、炭焼き小屋もありました。
キャンプ場の申込をして、テントを立てます。土曜日でしたが、他にキャンプのお客さんはいませんでした。たくさん停まっている車は、登山客みたいです。今日は山に泊まるんですかね?
テントを立ててぼーっと立っていたら、不意に背後に人の気配を感じました。振り向くとさっき受付をしてくれたおじさんがすぐ後ろに立ってました。幽霊かと思って真剣にビビりました。
おじさんが言うには、今日は泊り客がいないので、できれば早めに風呂に入って欲しいとの事。了解しました。早めに風呂に入りましょう。
こじんまりした風呂でした、貸切だったからゆっくり入れました。ただ1,000円はちょっと高いですかね。テントに戻り食事をゆっくりとって、焚き火台の炎を眺めます。
山奥で人の気配が全くなくて、正直少し怖かったです。全然平気な場所もあるんですが。でも山奥で不審な人の気配がある方が、もっと怖いですけど。
バイク小説短編集「Rider's Story」~僕は、オートバイを選んだ~ | |
武田 宗徳 |
ひさびさのオートバイネタ。
会社の後輩たちとツーリングに行ってきました。
今回のテーマは東京湾一周。
待ち合わせには後輩A君が15分遅刻、後輩B君は道に迷い、駅の反対側に着く始末(笑)
しかしこんなことで先輩の自分は怒ったりしない。
なぜなら、いつものことだからです(笑)
久里浜からフェリーに乗って、金谷港に着きました。
35分の船旅。
空が青い。そして暑い。
海も青い。気持ちいい。
これからあの山に登るのだ。 あれが鋸山なのだ。
ロープウェーに乗って到着。
ロープウェーって想像したら結構怖い乗り物ですね。
ワイヤー1本でブランブランですよ。
ロープウェーの頂上駅。
数分で到着。
標高が高い。絶景なり、絶景なり。
海に浮かんでいるのは我々が乗って来た東京湾フェリー。
なんだか止まっている様に見える。 絵みたいです。
向こうは久里浜。
後輩A君 「遠泳得意な人なら泳いで渡れますね」 って
そ、そうか?
到着駅のすぐそばが頂上なわけで、
いきなり鋸山のてっぺんを制覇してしまいました。
しかし、我々には最大の目標があります。
その名も、「地獄のぞき」
なんかすごく怖い響きなんですけど・・・。
山を下って登る事20分程。
見えてきました。 あれが・・・
「地獄のぞき」
うひゃー。
こりゃすごいや。
早速調査だ。行ってみるのだ。
天然のボコボコ階段を登るとそこには・・・。
うわ! 怖ぇえ~。
こんなとこ中学生来たら、ふざけて押しあったりとかやるんでしょうね。
で、最後は本気の喧嘩に発展するわけです。
立ってる場所の下には、何にもありませんよ~。
鋸山には地獄のぞいちゃうやつ以外にも、彫られてる仏像とか、
日本一の大きさの大仏さんがいらっしゃいます。
日本一の大仏さんの写真がないのは、そこまで行ってないからです。
日本を背負って立つスーパーサラリーマンには時間がいくらあっても
足りませんから、
今日は気温と体力と、帰りの階段の数を冷静に判断して、
涙をのんで中止です。 満場一致の決定です。
さあ、野郎ども、鰻食いにいくぞ。 館山に行くぞ。
「新松」さんってとこだ。
でも2時までに行かないと休憩に入っちゃうからね。
急がないとね。
途中、地元の車の異常に遅いペースにつかまっちゃったりしつつも、館山に到着。
もうすぐ鰻屋さん。あと15分だよ。ぎりぎり間に合った、よかったよかった。
って、B君がいない!!
A君に聞くと、「なんかさっき止まっちゃいました・・・。」とのこと。
待つ事数分後・・・。
B君「すいませ~ん。 ナンバー落ちちゃいましたぁ~(泣)」
ええ~、ナンバーって普通落ちるか?
落ちている。
たしかに落ちている。
しかも取り付けステーが根元から折れている・・・。
ひとまず鰻を食べよう。 話はそれからだ。
って、「準備中」(泣)
あれ? まだ2時まで5分あるのに。
鰻を焼いてる大将に聞くと今日はたくさんお客さんが来たから、
早めに切り上げたとのこと。
無理を言っても申し訳ないので、了解し駐車場でさあどうしようかと考えてたら、
お店の小窓が開き、大将が、「3人?いいよ、おいで。」と言ってくれた。
ありがとう大将。
美味しい鰻、ご馳走さまでした。 館山の高感度が急上昇です。
食事後は、近くのホームセンターで応急修理。
外れたナンバーを取り付けましょう。
見た目はナニですが、家まではなんとかなるでしょう。
あとは家に辿り着くのが最大のミッションかと(笑)。
後輩B君のバイクは、怪しいバイク屋から買った謎のバイクなので、
買い替えを考慮して、
帰り道はバイク屋巡りして帰りました。
無事帰れて良かったねぇ(笑)
ツーリングマップル 関東甲信越 2014 (ツーリング 地図 | 昭文社 マップル) | |
昭文社 |
大嵐(おおぞれ)駅前からの続き。
のどかな大嵐駅から夏焼トンネル方面を望む。
目の前の道は旧飯田線です。
そろそろガソリンがやばくなってきたので、夏焼トンネルに行くかちょっと悩む。
たかだか往復2kmで悩むほどヤバイわけで。
だってここまでガソリンスタンド全然ないんだものこれが。
夏焼トンネル内部。来た方向を振り返って撮影。
・・・地元の子供達に、お化けトンネルって言われてる(らしい)理由もうなずける。
お化け出なくても怖いでしょう。
このトンネルの先には夏焼集落があって、今でも生活道路として使用されてます。
でも、これを歩いて学校通うとか、ちょっと想像できない。
冬の夕方とか、真っ暗になったらもう入る勇気は無い。
夏焼トンネルを抜けた先の丁字路を左折すると、今は廃道となっている大嵐佐久間線があります。
廃道の世界では有名な道らしい。
ここから佐久間ダムまで、昔は道が続いていたという。
見える範囲は路面が伺えるものの、バイクでは無理なことは分かっているので、行きません。
でも、隙間は十分にあったりします。
さて、行き止まりまで来たから、今日の所はこれくらいで帰りましょう。
・・・ところでこの四駆は何だろう。
登山か山仕事かそれとも釣りでしょうか?
ここにも車が止まってる。全部で4~5台はあったような。
なんだろう、この車たちは。
ちなみに、この先の細い道を進むと夏焼集落があります。
あと、増水した時はここらへんが水に浸かってしまうらしいので注意です。
大嵐駅へ帰ってきた。
さて、ここからずっと南下して、東名高速に乗らなければ。
ところが、ガソリンスタンドが全然ないんです。
こりゃマジで佐久間ダムまで持たなくなってきた。ヤバイなあ。
富山村の集落に差し掛かった時、ガソリンスタンドの中に人影を発見!
ホントに田舎のガソリンスタンド然としたところで、何とかガスを補給。
どうやらホントは休みだったらしい。
おじさんは所用でたまたま寄ってたみたい。
その時通りがかったのでガスを入れてもらえた様です。
ガスを入れ終わったら、ガソリンスタンドのおじさんは帰って行ってしまいました。
その後、本当に佐久間ダムを過ぎてしばらく行くまで、ガソリンスタンドが無かったので、
奇跡的に助かったみたいです。
ところが、さらにピンチ。
通行止め。
マジでめっちゃ大まわりせなイカンのか~。
これは無理そうな雰囲気・・・。
でも良く見ると、「本日通れます」とのプレートが!
めっちゃラッキー。
佐久間ダム沿いをどんどん南下します。
そのとき、木々の隙間から何かが見えました。
おおー!
旧飯田線のトンネルが顔を出してます。
手前側ズーム!
向こう側もズーム!
なかなか趣がある風景です。
さらにどんどん南下すると、またまた気になる物が見えました。
上の画像の丁度真ん中にガードレールと車が見えた様な気がしました。
一瞬考えたが、ちょっとまって。
大嵐駅からだいぶ南下してきている訳だから、対岸はもう廃道のはず。
ズーム!
???
車とさらにボートも。 あれはバス釣りに使うアルミボート・・・。
ということは、対岸の廃道につながる現役の道があるということか?
いや、ネットの情報ではそんな道は存在しないという情報だったはず。
頭にはてなマークが浮かんだまま、佐久間ダムに到着しました。
でもやっぱり通行止め。
ゲートを入っても、がけ崩れがあるから車は進めないはず。
あの車は何だったんだろう・・・。
もしかしてガケ崩れで閉じ込められてしまったんだろうか?
その後、よーく画像を調べてて判明しました。
真ん中の車の向こうにうっすらと見える穴。
そうです、これは夏焼トンネル。
あの車は、トンネルそばに停まっていた車です。
要は勘違い。 大嵐駅から相当走ってきたと思っていたけれど、ダム湖の入江は深く、
対岸をクネクネと走り続けて、結局さっきいた場所の反対側に着いただけでした。
分かればなんてことない話でした。
佐久間ダムのダムサイトに到着。
ダムは絶対こっち側が怖い。
岩壁には、実は謎の穴やコンクリの跡がいっぱい。
このうちの一つが現役の展望台のはず。
コンクリ展望台や謎の穴ポコもある。 ズーム!
まずは穴ポコ。とても危険な臭いがします。たどり着ける方法はあるんでしょうか?
展望台(らしき建造物)も、なんだか使われてるのかどうか怪しい。
全体を見ると、どこがどんな役目(だった)のかよく分かりません。
この柵がある展望台も使われてなさそうだし。
なんか橋がありますよ~。
ズーム!
・・・橋の上に巨大な岩が乗ってる様にみえますが・・・。
なんだかでかくて継ぎはぎチックな壁面を持つ佐久間ダムでした。
ではお家に帰りましょう。
ライディングスポット(RIDING SPOT) リアキャリア スチール製 278×320mm ホワイト DR-Z400S DR-Z400SM | |
ライディングスポット(RIDING SPOT) |
遠山郷の木造校舎を出て、しばらく走った所にある「かぐらの湯」。
神楽の湯の建物の中。
風呂に入ってのんびりした。ツーリングには温泉に限る。
食堂でソースかつ丼を注文。
旧飯田線の鉄橋跡。
鉄橋の裏には滝があった。
廃線の風景もなかなかよろしい。
飯田線の大嵐(おおぞれ)駅。
山奥にたたずむ瀟洒な建物。
大嵐駅から、大嵐佐久間線(道路)を見る。
この道路は旧飯田線の跡を利用したものらしい。
この先には夏焼トンネルがあって、トンネルの先は佐久間湖にぶつかる。
その丁字路を左に進むと、大嵐佐久間線が廃道になって続いているという。
大嵐駅のホーム。
前後をトンネルに挟まれ、山に囲まれた駅。 すぐ近くに民家はほとんど無い。
向こう側のホームに行くには線路を渡る必要あり。
丁度、列車がホームに入ってきた。
やがて出発。 トンネルに吸い込まれていく。
さようならー。
田舎なんて一時間に電車一本なんてあたりまえだから、電車見れてとてもラッキーでした。
バイク小説短編集「Rider's Story」~僕は、オートバイを選んだ~ | |
武田 宗徳 |
中央階段の壁に飾られたいくつもの写真達。その中でも目を引くのがこの写真です。
「あんばまいか」というのはこの地方で「遊ぼうよ」という意味だそうです。
今風に言うと快傑ゾロのコスプレでしょうか。
山の資料館という部屋がありました。
あらためて、ふつうに色んな物置いてるから、ホントに入っていいのかなと思います。が、やっぱり「ご自由に見学ください」と案内してあります。
図書館がありました。
こじんまりとしてますが、田舎の図書館(図書室)ってこんなもんだったよなあと、思い出します。
電車か飛行機の座席?が置いてあります。しかもパソコンもあるなんて現代的。
きたコレ! 江戸川乱歩シリーズ!!
これこれ、まさにこの装丁でしたよ。 青銅の魔人。話はすっかり忘れましたが。
透明怪人。この懐中電灯で浮かび上がってるところが独特の雰囲気ですね。
不気味かつ、ちょい滑稽な感じが江戸川乱歩の装丁の特徴かと。
地底の魔術王。ここまでくると良くわかりません。トラ頭にヒゲですからね。
宇宙怪人。これはもう少年には手に負えない範囲じゃないかと。探偵とかのレベルじゃなく、なんていうかNASAあたりに一度相談すべきかと思います。
そして、横の本棚には金融、経済の専門書。
なぜか図書館に白線引きが置いてあります。なつかしいです。
玄関?から外を見ます。
募金に協力しておきました。
DVDを配布してます。一枚頂きます。
無料だそうですが、更に募金しときました。
玄関にあったストーブ。
この型も使ってましたね。教室じゃ一番多かった型だと思います。
保健室です。
奥に畳のベッド。いまは物が山積みですね。
楽器?
部屋を出るときに気がついたんですが、このテレビ実家で昔使ってました。今はもう捨てたと思いますが。
トイレに行きました。思いのほか綺麗でした。
矢印?
左へ、左へ・・・行くと・・・。
「なるべくこちらでお願いします。」とある。なるほど、全部使われると、掃除するの大変ですからね。
ハエ取り紙。久しぶりに見ました。ハエ取りリボンとも言ってたかな。
ちょっと前の田舎じゃ、食卓の上にも吊るされてましたからね。ハエが無数に付いたリボンの下でご飯食べてたんだから、衛生面ではいかがかと思う。
落ちてきたハエは下の紙で受け取ります。はい。
学校を出ます。
木沢小学校。僕らの小学校は中途半端な田舎だったから建て替えられて、当時の面影は無くなってしまいました。
ここは、廃校になったから当時の姿のまま残っています。でも児童はもういません。
複雑ですね。
のどかな昼前の時間でした。訪問者は自分だけでした。
校舎全景とオートバイ。
校門を出て振り返ります。
すぐ横の神社にお参りします。みんな元気に暮らせますように。
さあ、家に帰りましょう。
木沢小学校、木造校舎。訪ねて良かったです。
バイク小説短編集「Rider's Story」~僕は、オートバイを選んだ~ | |
武田 宗徳 |
矢筈ダムからの帰り道です。
御柱祭に関係があるみたいですね。船の山車が置いてありました。
少し下って、食事処の「梨元ていしゃば」の敷地内に停まっている林鉄の機関車です。
昔は写真の様に、木材を沢山積んで走っていたようです。
前から見たところ。
運転席。
レバーだらけでわけがわかりません。
この貨車も当時のものなんでしょうか。
中を見てみます。
あと、広い駐車場の片隅には、1300年前の埋もれ木が置いてありました。
オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。 | |
斉藤 純 | |
ネコパブリッシング |
翌朝。朝四時半に目が覚めました。持ってきたのはスピニング用の振り出し竿にベイトリールという掟破りのセットです。ツーリングでお試しチョイ釣りなので携帯性を優先しました。
雰囲気はありますが、生命感はあまりないですね。小魚数匹と、鯉が一匹泳いでいました。
さらっと流して釣れなかったから、散歩します。振りかえるとバイクとテントが見えます。
ここはほんとお勧めキャンプ場です。夏は有料になるという話も聞いたけど、事実は不明です。川の上流へ遡ってみます。
鹿の足跡がたくさんあります。熊はいないと思いますけど。砂防ダムにぶつかりました。
ダム前に骨が転がっていました。鹿ですかね?ダムを迂回して登ります。装備がちゃんとしてて時間があったらもうちょっと遡りたいけれど引き返しましょう。キャンプ場が見える場所まで戻ってきました。ジムニーの人達の朝ごはんの煙がたなびいています。静かな時間です。
テントに戻り、少し眠ります。目が覚めてもまだ早朝です。
コーヒーを飲みながら出発の準備をします。ぼちぼち帰りましょう。