寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

京都異聞

2011年03月11日 09時51分14秒 | 日記
【いつ迄も寒うおすなぁ…】
これは京言葉でおます。
所謂方言ですが、 例えば大阪なら大阪弁…と言いますよね(笑)
東北なら東北弁です。
それがなぜか京都に限って弁とは言いませんね。
【京言葉】 …
代表的な言葉に【はんなり】があります。
これは最近ラジオのCMでよく流れています。
聴けば何となくニァンスは分かるのですが説明するには厄介ですな(笑) ふんわり…でもないし、ぼちぼちとも違います…まったり…うーん!これが近いですかねぇ(笑)
よく分からない京言葉…兎に角気高い京都人であります(笑)
因みに江戸は三代続けば江戸っ子で大威張りですが、京都は何と十代住まないと認めてもらえません。
一代30年として300年ですから気の遠くなる話ですね(笑)
おまけに京都人には他にも定義があります(笑)
それは住む地域です。 京…今では京都市となりかなりな広域であります。昔つまり戦後ですが…
☆戦後と私言いましたが普通は第二次世界大戦を指しますよね。
ところがこの京で戦後とは(人によって温度差がありますが)応仁の乱だったり蛤御門の変を言うようです。
『本当かよ~』
思いますよね(笑) この話はテレビなどでも紹介された有名な逸話ですが、それほど京の人の歴史に対するプライドは高いのであります。
考えて見れば第二次世界大戦…要するに太平洋戦争で京の町は焼けていませんねぇ(笑)
蛤御門の変では町の三分の一が焼けたと言いますし、応仁の乱では丸焼けでした。
つまり戦争とは家が或いは町が争乱に巻き込まれる事を指すとしたらこの京の人の言うことはもっともだと思いますよ(笑)
さて戻りますが… 京の定義でしたね(笑)
京と京都市は似てはいますが違います。
例えば伏見区ですが、あれは昔は伏見市でした。
山科区も違いました。
のちに京に合併されたのです。
じゃあ元の京はと言いますと、
洛中です。
つまり今の中京区を中心にした今出川、東山通り、七条通り、大宮通り… この内側が京の町でした。
幕末に新選組がありました。彼らの本拠地は壬生でしたが、当時壬生は壬生村で京とは違いました。
今は壬生は京都市のど真ん中ですから当時の京の町は狭かったのですね。
それでその地域内で300年ですから全く大変な事です。(笑)
コメント
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