おはようございます^^
最近 お天気が荒れています。ですが外の虫の音が聴こえだしてきて ‥ボチボチ秋だなぁ と思うようになりました。
これまで どれだけ暑くても又凍えるほど寒くとも 次の季節は順番が空くまでジッと待ちながら時期が来たら必ず滞在をしてくれます。
これの繰り返しを四季と言うらしいのですが、私は最近季節に合せる億劫さみたいなものを感じて来てたぶん歳を取った所為(せい)からきたのでしょう
何かにつけとても気短になっているようです。
穏やかな気候が待てない、三寒四温に耐えられない、人の粗(あら)が目に付く などなど精神的には幼稚性が大きくなってきてるんじゃぁ
ないかと思います。
恐ろしい事ですねぇ、自身の性格や考えが極端な妄想に冒されているようです。
これは…今のところ人から指摘されてはいませんが、平静になって考えると 短期、独り善がり が顕著(けんちょ)になっている気がします。
先日米国のドラマを観ていたら、会話の中でスピーキング マイセルフと言うのがありました。
字幕を見ると 独り言 とあって英語は学校の時から好きな科目でなかったのですが、このセリフはなんとなくですが理解できました。
そして米語は単語を並べたら言葉になるから単語だけを数多く覚えたら何とか話せるのじゃぁないかと
そんな気も無いのに無責任に思い込んでいます。
日本語では確かに独り言とはそのままひとつの言葉ですが、この言葉を知らなかったら ひとり…??なんですか?になるでしょう。
ところが米語ではひとつずつの単語さえ分かっていたら 何とか理解できるのじゃぁないかな^^
話しが少しゴテつきました^^
それともうひとつ、他にもありますが今朝は これだけでお仕舞 という意味です。
おはよう、は米語で グッドモーニング ですね。これは初心者が習う言葉でしょうが、同じドラマを一生懸命に聴いていますが
モーニング としか言ってません。そのおはよう の場面は比較的よく出てくるので 気にして見ていますが、誰ひとり グッドモーニングとは
言ってません。それどころかモーニン で終わらせてる米人もいるのです。
中には ヤァ、トゥ、というだけで済ます米人もいますがその返事や対応は様々ですが 日本で未だに教科書にある和訳のおはようございます
というのは皆無ですね。 そう言えば日本だって ドラマを見ていても おはよっスやもっと簡単ならオッスで済ます人やオッハーもありますよね。
私は言葉の略式化を嘆いているわけではないのですが、言葉は堪えず変化をしている、というのを偉い学者の先生が仰っていたのを覚えていまして
昨今の言葉の乱れを嘆くよりも一歩先に出て こちらから言葉を作りましょう、とお説を述べられていらっしゃいました。
ふ~ん とその時は分かったような思いでいましたが ちよっと席を離れると もういけません。
さっきのは何だったかなぁ‥と思い返すのならまだマシで 全く跡形もなく消えてしまうこともあります。
そして いつか同じような記事を見た時に ああ、と声を挙げてしまうのですね。たしかんこんな話題があって…う‥それからどしたんだろう…
悩んだり思い出そうと苦慮しますが、出てきません、それどころか 途中で あれ、何を思い出そうとしていたんだろう ??
こんなことで行ったり来たり 分からないことが分からない、など昔のことは覚えているのですが昔の人は偉かったのですねぇ、
と つい スピーキング マイセルフ‥^^
こんな話、読者の皆さんもきっと体験をされていらっしゃるでしょう、だから共感してくださいね というのを頼りに書いています(無責任でしょうか)