おはようございます^^
今日は八月の最終日 月末です。この日を昔は 晦日(みそか)と言いました。
毎月の末 月末を晦日、そして十二月末を 大晦日。この大晦日だけは今でも使われていますが
現代風では年末。ちょっとややこしくなりました^^
整理をしますと、週の末を週末、月の末は月末若しくは晦日、一年の末を年末、或いは大晦日‥歳末 というのもありましたね^^
日本語は同じ意味でもこのようにいくつかの表現があって覚えるのが大変ですね。
まぁこの話題はいずれ十二月の押し迫った頃に取り上げるとしましょうか^^
話しが変わりますが、明治二年(1869年)八月ですから今から153年ほど前の事です。
世は明治維新があった頃ですが、新政府は旧幕府側の大名、旗本の屋敷、神社、寺院などの土地を没収しました。
そのため東京市内に広大な空き地が生じ狐狸、野犬はもとより追いはぎが出るという物騒なことになりました。
それでこのままにしておけずに民間に払い下げて桑の実やお茶(養蚕‥絹糸、お茶は当時の主力輸出製品)の畑にした方が良い、
というわけで、東京市中の土地 916万6770坪‥が一般に売りに出されました。
その値段は麹町、虎ノ門、霞が関方面で一千坪につき二十五円、飯田橋、番町、永田町あたりが二十円、市谷、四谷、青山、牛込
などが十五円。坪単価(3,3平米)で二銭五厘から一銭五厘 という安値。これは当時の貨幣価値ですから
今の価値に直すのに当時の米価が一升五銭。今の米価が平均で七百円なので約一万四千倍。
米の価格を物価の基準にしましたがそれで見直しますと飯田橋、永田町辺りが坪二百八十円。いまの実勢なら六千万円以上ですかね^^
明治二年の地価が二銭に対して三十億倍。 ご先祖さん 買っておいて下さったら、今頃は左団扇で暮らせてましたね^^