寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

日本國勢圖會 …

2021年05月11日 08時47分55秒 | 笑い

  おはようございます^^

はっきりしない日が続きます…とはこちら関西のお天気でした。日本列島はとても長くて亜熱帯から寒冷地帯まで

およそ3000キロあるそうです。その中で東京 大阪間が約500キロですから 全体からみるとほんの

わずかな間隔なのですね。日本列島は南北に長いのですが、これがもし東西に長かったら と想像をしてみました。

 いろんな事があるのだろうと思うんですが、私の拙(つたな)い創造力では桜が全国一斉に咲くのでは…

と思ったくらいで これはまぁ誰でも思いつくでしょう^^ 言いだしっぺだけに誰もが おお~と納得させるだけの

発想をと、頭がウ二なるくらい考えましたが出てきませんでした(苦笑)

それで、自分の知恵だけじゃぁ とても間に合わないからと 強烈な助っ人を…と言っても本ですが😙

 その名を 日本國勢圖會 にほんこくせいずかい? と読むんでしょうか^^

これは 日本の実勢を数値にした資料で今も 日本国勢図会として年に一度国勢調査を基に出版されています。

私が助っ人と称したものは 昭和18年度版(451ページ)でありまして 太平洋戦争の終戦日が昭和20年ですから、

その2年前の統計資料ですね。 内容は国の広さ 面積や人口、鉱工業品の生産高などが載っていますが、私が注目を

したのが面積です。今の日本の面積が37万平方キロメートルですが 当時は68万平方キロメートル。

内訳は 内地(たぶん今の日本)383千平方キロ、朝鮮 221、臺灣36、樺太36、關東州3、南洋2。

關東州とは 中国の大連一体、南洋とはマリアナ諸島パラオ諸島などです。

これらを今の地図に照らしてみますと日本の領土は広く四角い形になっています。

熱帯の太平洋から北海道よりも北方まで 5000万キロ、東西だって同じくらいでしょうか。

因みにこの本の低価は  三圓。  たった三円で興味深い内容で時間の経つのも忘れるくらい読めました、

ですが、これで 皆さんが納得されたとは到底思えません😅

いつか捲土重来 きっちりまとめ上げたいと思います。

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 戦おう…

2021年05月10日 06時26分34秒 | 笑い

  おはようございます^^

昨日はてっきり快晴かと思いきや 小雨交じりの曇天で気候が不順なこの頃です。

五月になってコロナが一大と猛威をふるってきました。 

私など庶民は頭を屈(こご)め只管(ひたすら)悪霊の去るのを祈り奉るだけです。

 とは言いながら天気は五月晴れ、些(いささ)か矛盾するかも知れませんが パ~とやりたいものですね^^

今週 特になんの行事もないようですが、ふと目に止まったのが 5月14日 種痘記念日。

 

写)当時、天然痘(てんねんとう)は最も恐ろしい病気の一つで、ヨーロッパだけで毎年60万人もの命が奪われていた。

発症すると高熱が続いて、全身に化膿性の発疹ができるため、運よく治った人でも顔中が酷い痘痕

(あばた:皮膚にぶつぶつの小さなくぼみが残る)となった。

ある時、ジェンナーは乳絞りの女性から牛痘にかかると天然痘にはかからないことを聞いて研究を開始した。

 そして1796年5月14日、牛痘にかかった乳絞りの女性サラ・ネルムズの手の水疱からとった膿を、

近所に住んでいた8歳の男児フィップスの腕に接種した。10日後に発症したがすぐに治癒し、その後、天然痘を

接種しても感染はせず、実験の成功を裏付けた。

 この実験は1798年に論文として発表されたが、反論者が多く学会では認められなかった。しかし、ジェンナーは

貧しい人たちに無料で種痘の接種を行ない、次第に認められるようになった。

 その後、天然痘による死亡者は劇的に減少し、1979年(昭和54年)に世界保健機構(WHO)によって根絶が確認され、

翌1980年に「天然痘根絶宣言」が行われた。天然痘は、人類が根絶した人間に感染する感染症の唯一の例である。

天然痘の予防において、それまで行われていた人痘接種より安全性の高い牛痘接種の種痘法を開発したジェンナーは

「近代免疫学の父」とも呼ばれる。

関連する記念日として、2月14日は「予防接種記念日」、2月20日は「アレルギーの日」、7月6日は「ワクチンの日」、

7月14日は「検疫記念日」となっている。

 

日本では暴れん坊将軍でおなじみの八代将軍の徳川吉宗も天然痘に罹った記録が遺っています。

ウィルスとの戦いは数百年…いえ、数千年も前からあったようで それを克服して現在に至っているのです。

 

 我々は 負けるな、めげるな、諦めるな  戦おう!

 

 

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芍薬 シャクヤク・・

2021年05月07日 09時37分08秒 | 笑い

  おはようございます^^

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花

のっけから何ですか、怒られてしまいそうですが今朝はこの時期に華やかに咲き揃う花のお話を紹介しましょう。

きっかけは、昨夜ボゥ~としていたら ふぅと思い出したのが、この 立てば芍薬(シャクヤク)・・でした。

知らない人が聞けば は…なんじゃらほい?となるでしょうが、これは女性の美しい姿を 花に例えて言った洒落でした。

念のために調べたら…しかし調べ物って今は便利でお手軽になりましたね。今回はシャクヤク で調べたら即、しかもかなり詳細

に教えてくれます。 

以下それを載せました。 

 

(写)このことわざは美しい女性の立ち居振る舞いを例えたもので、芍薬(シャクヤク)はすらりとした茎の先に花を咲かせることから

 立ち姿の女性、牡丹は枝分かれした横向きの枝に花を咲かせることから座った女性、百合は風に揺れる姿が美しいことから女性が

 歩く姿を表していると言われています。

 華やかな大輪の花を咲かせる芍薬(シャクヤク)と牡丹(ボタン)は一見かなり似ています。さらに、英語名はふたつとも「peony」

 となっていて、英語圏の国では区別されていません。ここでは見分け方のポイントを紹介します。

 違いが一番わかりやすいのが葉の形です。芍薬(シャクヤク)の葉はツヤがあり、葉の先にギザギザはなく全体的に丸みがあります。

 一方、牡丹(ボタン)は葉にツヤがなく、ギザギザになっているのが特徴。

 芍薬(シャクヤク)はバラのような甘く爽やかな香りがします。比較的わかりやすいので、どっちか迷ったときは香りを確かめてみると

 よいかもしれません。

 

この紹介を読みますと芍薬と牡丹は同じ品種みたいで私みたいな素人にも分かり易いなかなかの名文ですね。

私は花の知識があまりなくて おおてまりが最近分かったくらいで このサイト内のブログで紹介をされてる草花は

ほとんど判りません。

それでも花にちなんだことわざですとか 洒落っぽいものはいっぱいあります。ですが俳句を創る人…松尾芭蕉、与謝蕪村、

小林一茶、 などを称して俳諧師と言いますが 俳句には あまり花を愛でたような作品が見当たらないような気がします。

…まぁ私の所見ですから間違っていたらごめんなさい🙇

 ところで 立てば芍薬…という名文が江戸時代からありますと やっぱりその逆と言いますか反骨精神旺盛な人がいまして

パロディとして有名なのが 立てば鬼百合 座ればドクダミ 歩く姿は トリカブト ^^

 今更解説は無粋でしょうね

お後がよろしいようで・・

 

 

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さみだれ・・

2021年05月06日 07時25分58秒 | 笑い

  おはようございます^^

昨日は子どもの日でした…ですが 外は雨の一日…どこまでも透き通った五月(さつき)晴れに子供の嬌声 

というのが 子どもの日の定番なのに 終日 五月雨模様でした。 ん?これってどう読むの^^

ハイ、たまたま書いて転換をしました。 すると この様な単語になって驚きです。

さみだれ と読むそうですが、小雨が降り続く模様を言うそうです。 

まさかこの漢字をこう読むとは露ぞ知らず^^  では さみだれに因(ちな)んだ俳句を味わいましょう。

 五月雨を集めて早し最上川  松尾芭蕉  奥の細道のなかでの有名な一句です。

 五月雨や大河を前に家二軒  与謝蕪村  解説ではどこの川なのかわからない との事。

懐かしいですが当時の学校の教科書に載っていました。

 この授業の説明では、細かい説明は忘れましたが確か与謝蕪村の句の方がスケールが大きいんだ と

国語の先生がおっしゃっていたことを憶えています。 ほぅ~そうなんや と当時の田舎高校生は思いました。

俳句って簡単だなぁ…いえ、誰でも出来る という意味で思ったのですが、実際作ってみると 

たった17文字でひとまとめにするのがこうも大変なのと分かりました。俳句には みなさんもご存じでしょうが、

季語が入ります。

四季折々の歌を詠うのに季語は大事なことで、それが入っていないと川柳になってしまいそうですが…

俳句は季節や風情を爽やかに詠み 川柳は世情を皮肉って詠む のでしょうか^^

さて、何気に打った単語が五月雨(さみだれ)に当たったことで40年以上前の授業を想い出しました。

 それで両方の俳句を改めて調べてみますと 先生の解説感想は自説のように思っていましたが

なんと 森鴎外が両句を比較して 雄大であると絶賛をした、とあって その後に司馬遼太郎氏の

坂の上の雲にもこの事を載せておられたようで、それを紹介していた解説には 蕪村の作品が雄大な

のは その人の受ける感性であって たとえ 森鷗外であっても それを人に押し付けるのは

どうかなぁ…と記していましたが

私がみて解釈をするだけの技量が無いため はて…素人目にはどちらも良い句だと思いましたが 

蕪村の方を特別に雄大さがあるようには感じませんでした。

 俳句とは17文字の中で その時節の事を詠むのですから 長々と書き綴る物語りと違って読み人の

想像力や表現、感性によって受け方が微妙に違ってくるのが当然ではないでしょうか。

 有名な俳句を鑑賞して 俳句の持つ言葉の遊びや有職故実(ゆうそくこじつ)ところ、悠々緩緩

(ゆうゆうかんかん)で自由な雰囲気などを学びながら豊かな心持ちや感性を養うための授業だと思うのですが

 先生はチト偏(かたよ)った解説を さも自説のように話したのだったのか…とがっかりしました。

 

 

 

 

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立夏…

2021年05月05日 07時53分36秒 | 笑い

   おはようございます^^

今朝は…今日は立夏であります。 まず、今朝はと始めたのは、朝に長官を買いにコンビニへいく途中にラジオから

今日は立夏です、と流れて来たからです。 そうか、立夏か と思ったのは今月のカレンダーに五月五日は子どもの日

で祝日だけど立夏とダブってるなぁ…と思いながら印をしたのでした。その印とは このブログで書くための材料として

使うためですが、印を まえもって書いておくのですが …たまに 忘れてしまうのですよ^^ 今回の立夏はそう有名で

はないようで、たとえば二十四節気(一年を24の節目に分けたのを表わしています)で 春分だとか秋分、冬至などが

あります。立夏がそんなに知られていないのはなぜなんだろ…と思いますが、まず二十四節気とカレンダーの時差みたいなのが

あるのが一因かと思います。この立夏とは ここから夏の始まり ということらしいのですが、確かに春からちょっと進んで

昼間などは気温も上がり始めてきました。ですが 夏というまではまだまだですし、朝晩は暖房が手放せない状態ですね。

ですから 立夏と言われても ピンとこないのは当然で つい聞き逃してしまうのでしょう。それとこの二十四節気は

旧暦の暦に合わせたものです。旧暦は日本では明治以前に使っていた暦(カレンダー)でして元は中国から伝わってきたもので

月の満ち欠けを基本にしたものでした。それが明治からは西洋から伝わってきた太陽暦を採用して新暦としたのです。

明治維新は日本が政治や経済などで大きく変わり何とか西洋に追いつけと一丸になったころで 中で暦も西洋に習え

として一遍に変わりました。旧暦と新暦はそれぞれ特徴がありますが旧暦は一か月くらい遅くなっているのです。

ニュースで二月過ぎに中国のお正月を映していますが、あれは実際には新暦を使っていますがお正月だけは今でも旧暦の日を

祝っているのですね。

さて そんな訳で…^^ ん、どんなわけ?と突っ込まれると困りますが、今日は夏の入り口と思って下さい。

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