国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

最後にビックリ

2016-01-09 | 結婚@Bolivia〜来日
(午前中の出発ということもあり帰国当日についてはあまり書くことがありません。)

都合の付く御家族は全員が空港まで見送りに来てくれたと思います。(一番上のお兄さん=Igorさんはご多忙のようでしたが、それでも別の車で私たちのスーツケースを運んでくれました。)日本ではまずそこまではしないでしょう。家族の絆の強さには父もたびたび感心していましたが、ここには私たちが失ってしまったものがまだまだ残っていました。

前の晩に父が「日本語の『さようなら』ではなく(また会えるようにとの思いを込めて)敢えて中国語で『再見(ツァイチェン)』と言いましょう」などと挨拶したのに合わせて "HASTA PRONTO"(「またすぐ会いましょう」の意)のプラカードを作ってきたのかもしれません。

来る時はサンタクルスまで迎えに来てもらいましたが帰りは大丈夫。ここでLindaと3度目の「しばしの別れ」です。が、今度は1ヶ月ちょっと。すぐです。



とくに意味はありませんがサンタクルス上空です。着いて預け荷物が出てくるまでの間に腹が下ってきたのでトイレへ行ったのですが(まだ下痢は完治せず)、大の方を見て仰天!


一時的なもの(改修中)なのか、それとも誰かが個室内で麻薬を吸ったりなどしないよう壁を取っ払ったのか? 何れにしても誰も入ってこなかったのはラッキーでした。(今思うに壁がない方がずっと危険ですよね。無防備ですから。)

おまけ

リマのホルヘ・チャベス国際空港でのトランジット中のひとコマ。民芸品店の前でフォルクローレの生演奏(CD販促?)が聴けました。
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