国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

閉店

2016-01-16 | 日記

昨晩は研究室の新年会でした。うちでは他にも「歓迎会」「田植祭」「収穫祭」などと称して年に数回宴会を開催してきました。料理は私が準備します。昨年のことですが、他研究室の院生君から「居酒屋ナミビア」と呼ばれていると知りました。あちらで買ってきた食材をよく使いますし、時には昆虫の干物を振る舞ったりしたこともあるので(注)、その呼び名には十分納得しています。(注:一応ことわっておきますが、もちろん強制はしていません。ハラスメントになりますから。「ムシハラ」かな?)

昨日のメイン料理のカレーも首都ウィントフックのスーパーで入手したものですし、中の豆の半分もあちらのササゲですので(注)、ナミビア料理といえないことはありません(注:残りの半分はアミカで買ってきたヒヨコマメ=ガルバンゾー)。

しかしながら、その「居酒屋ナミビア」も今月をもって(実質的には昨日で)閉店することになりました。

私が学内で飲酒した場合、その日の内に帰宅しようとすれば南彦根までバス→JRで長浜→再びバスで自宅近くの停留所→徒歩ということになりますが、バスは比較的早い時間帯になくなってしまうし、歩くにはちと遠い距離なので(注)、私はもう何年も自室に泊まることにしていました。そのための寝袋を置いています。(注:四輪車はもちろん自転車でも飲酒運転は以ての外です。というか、それで痛い思いをしたのを機にキッパリと止めました。)

けれども、その話を聞いたLindaから「自分が日本へ行ったらそういうことは絶対に止めて」と懇願されました。「一人寂しく寝るなんて耐えられない」というのが理由です。(ちなみに国内外の出張は仕方ないと割り切れるそうです。)それで私はもう止めると約束してしまいました。よって昨日が最終回です。

もちろん「居酒屋ボリビア」もあり得ませんし、ノンアルコールの食堂という形で再生することもたぶんないでしょう。私は酒を美味しく飲みたいからこそ料理を作るのであって、その楽しみがなければモチベーションがなくなってしまいますから。
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