軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

ガラスの話(20)カットガラス-2

2020-07-10 00:00:00 | ガラス
 前回紹介した「世界ガラス3500年史」に、19世紀になると日本のガラスが登場する。江戸切子と薩摩切子である。

江戸切子(レプリカ)

薩摩切子(レプリカ)

 この江戸切子と薩摩切子について、土屋良雄氏は次のように述べている(別冊太陽  『ガラス』 1983年6月発行)。

 「ガラスの側面に切子(カット)を施すことは、厚手の器胎が成型されてはじめて可能となるもので、日本では十九世紀の初頭頃からようやく試みられ始めたと推定される(北窓琑談)。
 江戸における切子ガラスの発祥は、加賀屋の手代で文次郎という者が、大坂の和泉屋嘉兵衛のもとで数年間修業を積み、天保五(1839)年金剛砂を使用してガラス面に彫刻を施すことを工夫したとされている(日本近世窯業史)。
 現存する加賀屋の引札には、和物、唐物、蘭物が混在しているが、そこには切子ガラスのサンプルが多数描かれていて興味深い。これらのガラス製品が、文政から嘉永期(1818~54)にかけて江戸で販売されていたわけである。
 現存する江戸期の切子ガラスは、その文様を詳細にみると、いずれもヨーロッパのカットガラスの影響を強く感じさせる。従って文次郎の切子細工も舶載のガラス器から多くを学んだものと思われる。・・・

 薩摩藩におけるガラス製造の発端は、二十七代藩主島津斉興(1791~1859)の代にさかのぼる。・・・当時江戸では、すでにガラス製造が活況を呈し、加賀屋、上総屋といったガラス問屋が存在していた。斉興は、加賀屋の徒弟で、当時硝子師として著名な四本亀次郎なる人物を招聘したのであった(1846年)。・・・
 斉興によって着手されたガラス製造は、斉彬が嘉永四(1851)年二十八代藩主となって以後、飛躍的な発展を遂げる。・・・
 薩摩ガラスの名を高からしめた第一の原因は、紅ガラスの創製にある。これは数か月にわたり、数百回の実験のすえに開発したもので、嘉永四年に成功し、日本における透明紅ガラスとしては最初のものとみられる。・・・斉彬公史料『紅色瓦羅斯(ガラス)製煉御開之事』によると、・・・磯の地に工場群を集結して、集成館と命名したのは安政四年のことであるが、安政二年十月には『硝子方』は稼働をはじめた。その規模は次のとおりである。
 紅色瓦羅斯製煉竃、四基(二基ハ殷紅色竃、即チ現今船舶の舷燈ニ用ユル紅色なり、銅粉を以テ紅色ヲ発ス、二基ハ透明紅色竃、即ち黄金ヲ以テ紫金ヲ製シ、紅色ヲ発ス)・・・
 これらの施設は、安政三(1856)年八月下旬頃にはほぼ完備し、・・・ここに薩摩ガラスの全盛期を迎えることになる。・・・
 オランダの医師ポンぺの記録によれば、硝子部門だけで百人を超える人々が働いていたこと、研磨(グラインディング)の部門があったことなどが明記されている。さらに注目すべきことは、贅沢品の他に日常的なものも作られていたと述べている点である。・・・
 活況を呈した集成館も安政六(1859)年の斉彬の急死により、その規模はたちまち縮小され、再び往時の盛況をみることはなかった。・・・
 切子文様として多用されているのはストロベリー・ダイヤモンド(斜格子に魚子文)と称されるイギリス系のカットであり、次に多いものはホブネイルである。
 これらの文様の源流は、1800年代にイギリスからアイルランドに移住した人々によって作られたものである。その他六角籠目文様、八角籠目文様、麻の葉文様など二十数種のパターンがそれぞれの部位に応じて使用されている。・・・
 薩摩切子は、ヨーロッパのカット文様を模倣し、色被せの技法はボヘミアや中国の乾隆ガラスから刺激を受けたが、伝存する品々はいかにも日本的な繊細さがみられる。・・・
 強力な指導者斉彬の急逝によって事実上、短時日の内に衰退し、薩英戦争の砲撃によって終焉をとげたが、薩摩ガラスの職人たちは、やがて各地に散り、その伝統は今日に伝えられている。」

 江戸切子は無色透明ガラスを基本素材として発展し、薩摩切子は銅赤、金赤ガラスを開発し、これを透明ガラスに被せることで、独自の製品を生み出したことがわかる。

 「世界ガラス美術全集②ヨーロッパ」(由水常雄編 1992年求龍堂発行)の解説文には、カット文様について次のように記されている。

 「19世紀に入ると、イギリスのカット・グラスは、従来のダイヤや鱗形の面カットが中心であったものから、菱山グラインダーによる線カットに移行し、全面にダイヤ・カットやストロベリー・カットと呼ぶ斜格子に魚々子(ななこ)をカットしたもの、さらにはヴァーシカ・カットという片やすりを使ったダイヤ形文様に菊星を入れたもの、あるいはエッジ・フルートと呼ぶ特有の片やすりを使った菱形文様の連続パターン等がこの時代の特色あるカット・パターンであった。とくに、エッジ・フルートは、我が国の江戸切子や薩摩切子に好んで使われた優美な線と面を持つ手触りのいいカット技法であった。」

 上記グラインダー(円盤)の断面形状と名称は次のようである。

 ここで紹介されたカット文様を以下に示す。ヴァ―シカ・カット文とエッジ・フルート文は見つからなかったので割愛した。


魚子(ななこ、魚々子とも)文、45度と135度の交差するV字カットによる。カット前の面は残らない


ダイヤモンド・カット文、多様なクロスカット文の総称として用いられるが、これはその一例で、45度、135度のクロスカットの頂点に星十字のカット文をいれたもの。カット幅とピッチの調整で元の面が残る場合もある


ストロベリー・ダイヤモンド、大きな45度、135度のクロスカットの内側に同じ45度と135度の魚子文が入り、元の面は残らない


ホブネイル、0度、90度または45度、135度のクロスカットの内側に残る比較的大きい元の面に星型など別のカットが入る


麻の葉文、0度、45度、90度、135度のクロスカットで囲まれた直角三角形の元の面が残る


六角籠目文、0度、60度、120度のクロスカットで囲まれた内側に六角形の元の面が残る


八角籠目文、0度、45度、90度、135度の複雑に交差するカットラインの内側に8角形の元の面が残る

矢来文、0度、60度、120度に交差するカットラインの内側に、カット幅とピッチによっては図のように正三角形の元の面が残る。六角籠目文の3方向のカットラインのうちのどれか1つの角度のラインをずらすとこの図の文様になる

七宝文、日本独自ではないかと思われるが、江戸切子に見られる。これまでの文様とは異なり、連続したカットラインでは形成できないので、ひとつひとつ丁寧にカットする必要がある

 現代の江戸切子では、当時イギリスからもたらされた各種の文様を引き継ぐとともに、新たに考案された様々な斬新なカット文様が見られる。

 一方、長い間途絶えていた薩摩切子は、1985年に復興されたが、こちらは江戸切子に比べると150年前当時の復元に取り組むなど、伝統的なカット文様をより忠実に守ろうとしているように見える。


薩摩切子の工房で見たカット文様を解説するパネル(2019.3.15 撮影)

薩摩切子、六角籠目に魚子文・矢来文を組み合わせている(2019.3.15 撮影)


薩摩切子、復元されたちろり(2019.3.15 撮影)

 イギリス、アイルランドそしてボヘミア製の150年前当時のワイングラスなどのドリンキング・ガラス器に刻まれたこうしたカットパターンを見てみたいと思い、手元にある
・「世界ガラス美術全集②ヨーロッパ」(由水常雄編 1992年求龍堂発行)、
・「ガラス大百科」(友部 直監修 1993年ぎょうせい発行)、
・「ヨーロッパのガラス」(オルガ・ドラホトヴァ著 岡本文一訳 1988年岩崎美術社発行)、
・「英国グラスの開花」(村田育代著 1993年六曜社発行)
などをあたってみたが、目指す文様の刻まれているグラスは見つけることが出来ず、ほとんどが次に示すような、より大型のデカンターやコンポートなどに刻まれたものであった。
 
・ダイヤモンド文ワインクーラー 1815年製 イギリス 高37.5cm
・パネル・モチーフ文栓付デカンター 1887年製 イギリス 高35.0cm
・ストロベリー・ダイヤモンド文付デカンター 1840-50年製 イギリス 高24.4cm
・ストロベリー・ダイヤモンド文脚付蓋物 1840-50年製 イギリス 高20.9cm
・ダイヤモンド文花縁コンポート 19世紀中ごろ イギリス 高23.9cm
・ストロベリー・ダイヤモンド文水差し 1790年頃 アイルランド 高30.0cm
・ストロベリー・ダイヤモンド文セロリ入れ 1820-1830頃 アイルランド 高20.0cm

 僅かに、「別冊 太陽 『ガラス』」(1983年平凡社発行)に、十九世紀中ごろのカットグラスとして英国製と和製のグラスが比較して示されているのが見られた。これらのグラスでは、ボウル部に魚子文が刻まれている。

 1800年代のヨーロッパのワイングラス類には単純な繰り返しカット文様がほとんど紹介されておらず、グラヴィールと呼ばれる、より繊細で芸術性に富んだ製品が多くみられる。これは、カット文様が日常使用のものであったため、あえてこうした美術書では取り上げなかったからもしれない。グラヴィール加工については、機会を改めて見ていこうと思う。

 私の手元に、「ギヤマン コツフ 壹対」、「元治二丑年三月朔日新調 菅沼氏」と記された木箱に収められた1対のグラスがある。元治二年は1865年、日本で切子が作られていた時代であるが、このグラスには繰り返し文様はなく、大きくカットされたボウル部とステム部からなっている。新調とあるので、国内で作られたものかと思えるが、詳しくは判っていない。

 ちなみにこの2個のグラス、重量は164gと176g、比重は共に約3.2である。従って、PbOを30%程度含む鉛ガラスでできていることがわかる。


製作場所不詳(日本?) 元治二年・新調とされている大きなカット面のあるワイングラス対、H127xD64mm

 さて、こうした美しいカット面、カット文様が刻まれたワイングラス、リキュールグラスなどはこの時代以降今日まで作り続けられている。入手容易なものが大半であるが、手元にあるものからいくつか紹介させていただく。

 最初は、上記のグラスに部分的には似ていなくもない、現代のグラス。これほどの大胆なカットは珍しい。


モーゼル社(チェコ)のワイングラス、H167xD89mm

 次の3種はシンプルなカットラインが透明ガラスに施されたワイングラス。


ウォーターフォード社(アイルランド)のワイングラス、H201xD76mm


アトランティス社(ポルトガル)のワイングラス、H192xD70mm


バカラ社(フランス)のワイングラス、H161xD70mm

 次は江戸切子の伝統を受け継ぐ、魚子文のあるグラス。


カガミクリスタル社(日本)の懐石杯、H101xD70mm

 次はアザミの花形のボウル部をもつエディンバラ社製のワイングラス。魚子文が見える。 


エディンバラ社(スコットランド、現在はウォーターフォードに吸収)のワイングラス、H209xD85mm

 次は、究極の細かさのダイヤモンドカットを持つモーゼル社のスプレンディッドグラス。



モーゼル社(チェコ)のスプレンディッドグラス、H140xD100mm

 続いて、薩摩切子と同様のカラフルな被せガラス。透明ガラスの上に種々の色ガラスを被せ、そこにカットを施すことで、カット文様をより際立たせている。


ヴァル・サン・ランヴェール社(ベルギー)のワイングラス、H220xD85mm


サン・ルイ社(フランス)のリキュールグラス、H85xD45mm

 次は被せた色ガラス部を大きく削り取った、パネルドグラス。今回紹介するものの中では異色の物であるが、ワイングラスの他にも花瓶など各種の製品が同じ技法で作られている。


ボヘミア(チェコ)のパネルド・ワイングラス、H152xD72mm

 ドリンキング・グラス以外の物も2点紹介する。

 これは戦士の像をエッチングと金彩で描いた部分以外はすべて魚子文で埋め尽くした花瓶。魚子文は深く鋭く、持つと手が痛いほどである。

全体を魚子文で埋め尽くした花瓶(生産地・時期など詳細不明)、256x160mm 

 最後はストッパー、ネック部、胴部にそれぞれ異なるカットを施したデカンタ。シンプルに見えるが、複数種のカット文様を見るのは楽しい。

鱗カット、ファセットカット、魚子文を取り入れたデカンタ( c1900生産地不詳)、
H285xD148mm

同、ストッパー部

同、ネック部

同、胴部

次回に続く。
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ガラスの話(19)カットガラス-1

2020-07-03 00:00:00 | ガラス
 私の開いているアンティーク・ガラスショップの商品の大半はドリンキング・グラスになっている。これは私の店に限らず、グラス器全般にいえることだろうと思うが、商品の種類ではどうしてもワイングラスを中心として各種ドリンク用の物が多い。

 もちろん、コンポート、皿、ボウル、香水瓶、花瓶、ペーパーウエイトなどの商品も含まれているのであるが、供給側のガラス器メーカーもドリンキングアイテムに力を注いでいるので、ショップで扱う商品も自然とドリンキンググラス中心になっている。

 ドリンキング・グラスにも様々なものがある。我々日本人の生活様式ではそれほど明確にグラスの種類を使い分ける習慣がないが、グラスのカタログを見ると、ワイングラス、シャンパングラス、リキュールグラス、シェリーグラス、カクテルグラス、ゴブレット、ウィスキーグラス、ブランデーグラス、タンブラー、ショットグラス、カップ&ソーサーなど用途ごとに細かく、大きさや形の異なるものが用意されている。

 最も身近なワイングラスを見ると、最近では全く装飾のないプレーンなものがほとんどで、その代わりに、ワインの種類や産地ごとに、大きさと形状の異なるものを推奨するグラスメーカーも出ている。

 一方、アンティークグラスでは、ガラス表面に様々な装飾を施したものがほとんどであり、カット、グラヴィール(仏語、英語ではエングレーヴィング)、エッチングといった技法が用いられている。

 今回はこのうちカットを施されたガラス器(カット・ガラス)ついての話。

 カットガラスの歴史は古く紀元前までさかのぼるとされる。「世界ガラス美術全集①古代・中世」(由水 常雄編 1992年求龍堂発行)の年表を見ると、紀元前1500年まで遡ることができるガラス容器の歴史の中で、初めてカット技法という言葉が見られるのは、前8世紀のトルコ・ゴルディオン出土の「菊文カット・グラス」(径15.7cm)である。

 同じ本の図版の中にこのゴルディオンのグラスの写真が収められているが、ボウル~皿形状の底面部分の中央に小円形の、それを取り巻いて周囲には日本の菊花文状の切込みが認められる。

 このほかには古いものでは、前6世紀-前4世紀のカット・グラス皿(アカイメネス王朝、大英博物館蔵)と、前5世紀後半にイラン(アカイメネス朝ペルシア)で作られた「ロータス文角杯」(コーニング・ガラス美術館蔵)が紹介されている。後者は、高さ約18㎝、径約9.6cm、底の尖った形状であり、杯(壺としている本もある)の側面には縦長のカット文様が施されている。図版解説には次のように記されている。

 「・・・ガラスは無色透明の素地で、鋳造して大略の形を作り、そのあとに外形、内側を削り込んで形を整え、胴部に細目のロータス花文を線と凹刻で彫り込んでいる。・・・」

 由水常雄氏の別の著書「ガラス工芸」(1975年ブレーン出版発行)には古代のカット技法について、次の記述が見られる。これによるとカット・グラス皿ではすでに今日と同様のグラインダーが使われていたことが示されている。

 「カットは、冷却後に行われるもっとも典型的なガラス加飾法である。その始まりは、紀元前七世紀の新バビロニア以前に遡ることができる。以後アカイメネス時代、ローマ時代、ササーン時代、イスラーム時代にもさかんに使われ、以後、ボヘミア、ドイツ、イギリスなどで流行し、断絶することなく今日に至っている。新バビロニア時代までは、グラインダー加工ではなかったようであるが、アカイメネス時代になってから、どうやらグラインダーが応用されたようである。ローマン・グラスやササーン・グラスには、グラインダー・カット特有の特徴がよく発揮されている。
 今日使われている技法は、このグラインダー・カットである。ガラス器物の外表面を切削して文様を表現する技法をいう。深いカットには、軟鉄、荒砥石、青砥石、青桐、ブラシ、フェルトの順にグラインダーがけを行う。細く浅いカットには、青砥石、青桐、ブラシ、フェルトで仕上げられるが、カット面を透明にして、つや出しを行わない場合には、青砥石のグラインダーをかけたままにしておく。各グラインダーには、断面が角山、菱、蒲鉾、片菱形になったものがあり、ほかに水平回転の平盤と呼ばれるものがある。これは平面カットを行う場合に使われる。また各グラインダーは、直径が大から小まであり、小さな曲線をカットする場合には、小さな直径のグラインダーが使われる。大きなグラインダーでは小さな曲線をカットすることができないからである。なおカット・パターンには、基本的な技法が十種類余りあり、その構成によって、いろいろなヴァラエティ―が作られる。」 
 
 ところで、先の2著書の編・著者である由水常雄氏が監修し、製作されたグラス器に「世界ガラス3500年史・ぐい吞みコレクション」というものがあり、私は運よくこれを入手することが出来て、ショップに展示している。

 紀元前1500年のメソポタミアで作られたミルフィオリガラスから、19世紀の日本で作られた江戸切子や薩摩切子、20世紀前半のアール・デコの時代に現在のオーストリアで作られた、黒色エナメルを被せたものまで、全部で16種類あるが、すべて当時のままの技法と制作プロセスによって、当時の様式にのっとって一つ一つ手造りによって、製作されている。

(2018.2.18 撮影)

由水常雄氏監修による、世界ガラス3500年史ぐい吞みコレクション(2020.6.25 撮影)

 この中にカットガラス技法を用いたものが次の6種類含まれている。


 この内、ササン朝ペルシアで作られた「白瑠璃杯」は日本にも伝わり、現在正倉院に保存されていることはよく知られている通りである。また、同型の物で、現地で発掘されたものは岡山市立オリエント美術館にも収蔵されている。

 以下、この6種類の写真と、由水氏による解説である。


 「白瑠璃杯」(H43.5,D56mm):吹きガラス・カット技法。日本の正倉院にササン朝ペルシアより伝わったカットグラス碗。同じ技法、様式で、小型化して制作。亀甲文様のカットが美しくきらめいて、宇宙観のようなイメージを現出する作品。
(2018.2.18 撮影)


 「フローラル・グラス杯」(H67.5,D62mm):特殊プリズム技法。19世紀のボヘミアでごく少量が作られ、消え去った幻の杯。特殊な細工を施したプリズム・グラスで、底部の花文様が杯全体に数百個もきらめきます。門外不出の秘法を再現した作品は、世界でも初公開のもの。(2018.2.18 撮影)


 「銅赤被せカット・グラス杯」(H58,D46mm):被せガラス・カット技法。イギリスやアイルランドのカット・グラスは、18~19世紀のヨーロッパで大流行しました。当時の名作をもとに、発色の最も難しい銅赤のガラスを外側に被せて、イギリス独特の片やすりカットでデザインを決めた技法を再現。(2018.2.18 撮影)

 
 「江戸切子杯」(H49,D60.5mm):吹きガラス・カット技法。幕末の江戸の粋人の好みを反映したガラス、江戸切子。手触りの優しい丸みのあるカットは、器を手に持って使う日本人に合わせたものです。鋭角的で手に突きささるようなカットのイギリス製品と大きな相違がうかがわれます。(2018.2.18 撮影)


 「薩摩切子杯」(H48.5,D60mm):被せガラス・カット技法。ガラス産業振興のために江戸のびいどろ師を招いた薩摩藩が生んだ切子の傑作。透明ガラスに被せた藍色のガラスをカットの技で微妙にぼかして、薩摩切子独特の美しさを見せています。日本のガラス史上で最高位を占めたガラス。(2018.2.18 撮影)


 「アール・デコ杯」(H62,D151,D241.5mm):型吹き・カット・エナメル彩色技法。透明ガラスに黒いエナメル彩で幾何学的な構成の模様を描いた、ウィーン・セゼッション様式の作品。知的な美しさが、アール・デコの時代のヨーロッパで人気を博したウィーン工房のリキュールグラスをモデルにした。(2018.2.18 撮影)

 カット技法はこのようにグラインダーの形状を変えることで、大きな面を削ったり、球(曲)面を形成したり、繊細なラインで文様を描いたりと自在にガラス表面の形状を作ることができる。

 カット面は摺りガラス状に曇るため、この表面をさらに研磨して透明にする場合が多いが、そのまま曇った状態を残すなど、目的により使い分けられている。尚、近年透明化には量産に適したフッ酸と硫酸の混液を使用する方法も採用されているが、カットのシャープさは若干失われるようである。

 この世界ガラス3500年史に登場するガラス器の多くは博物館で見るようなものであるが、近世のものの中には、市場で入手可能なものがある。

 今回はまずそうしたものから紹介させていただく。

 最初は、フローラル・グラス。グラスの底の部分にパンジーの絵を描いた金箔を貼り付け、その上をガラス円板で封じたものである。金箔をガラス板で封じ込んでいるため、ゴールド・サンドイッチ・フローラル・グラスと呼ばれることもある。絵のモチーフとして花が多いが、他のモチーフもある。

パンジーを描いた、フローラル・グラス(H88,D69mm, 上から 2020.6.29 撮影)


パンジーを描いた、フローラル・グラス(横から、2020.6.29 撮影)

 先の由水氏の解説にもある通り、グラス内面の曲率と外の平面の角度を調節することで、グラスを上から覗くと、底に描かれた花が側面に繰り返して反射し、万華鏡のようにたくさんのパンジーが見えるように工夫されている。また、グラスが空の場合にはレンズ効果で小さく見えていたパンジーの絵が、グラスに液体を注ぐと大きくなり浮き上がって見えるという効果もある。


右:グラスが空の状態、 左:グラスに水を満たした状態(2020.6.30 撮影)

 次の2点は1920-30年頃に制作されたアール・デコ様式のデキャンターとグラスのセット。上の由水氏の解説にはオーストリアのウィーン工房との記述が見られるが、ほぼ同時期に制作されたこちらは、購入先のチェコの業者からの情報では、Karl Palda工房の作とのことであった。

 このKarl  Palda工房は、現在のチェコ共和国の北部、ドイツ、ポーランド国境寄りのNovy Bor で1888年に創業している。近隣の学校などとも共同作業を行い、デザインも取り入れたとされる。

 最初のものは、デキャンターの大まかな外形形状は鋳型に淡青色のガラスを吹き込んで製作されていると思われるが、その後ほとんどの面を平面に研削・研磨し、そこに幾何学模様を線で描き、赤・黒エナメルで着色している。ここで示すものは、更に一部を金属鏡面に仕上げている。 


アール・デコ様式のKarl Palda デキャンター、グラスセット(2019.2.6 撮影)


アール・デコ様式のKarl Palda デキャンター、部分(2019.2.6 撮影)


アール・デコ様式のKarl Palda グラス(2019.2.6 撮影)

 次も同時代のデキャンターとグラスのセットであるが、ガラス素材は透明で、大きく平面カットされたデキャンタの胴部分に細線で模様を描き、赤色エナメルで彩色されている。グラスは日本のさかずきのようにも見え、これも全体に大きなカット面で構成されている。

アール・デコ様式のKarl Palda デキャンター、グラスセット(2019.2.6 撮影)


アール・デコ様式のKarl Palda デキャンターとグラス、部分(2019.2.6 撮影)


アール・デコ様式のKarl Palda グラス(2019.2.6 撮影)
 
 今回の最後は18-19世紀のイギリスでの制作と見られているワイングラス。「英国グラスの開花」(村田育代著 1993年六曜社発行)には、よく似た作品がいくつか紹介されているのでそのように判断した。ワインが高価だった時代のワイングラスはボウル部分が小さめのものが多い。このグラスもそうしたものだが、そのボウル、ステムは全体がカット面で構成されていて、ボウル部には更に金彩と繊細なグラヴィール加工も施されている。

 ステム部のカットはファセット・カットと呼ばれる形式である。一見ランダムに見えるが、らせん状に菱形カット面が規則正しく並んでいる。

18-19世紀イギリス製と思われるファセットカット・ステムワイングラス
(H15.7,D5cm  2019.2.6 撮影)

金彩の口縁とグラヴィール加工のみえるボウル部(2019.2.6 撮影)


菱形・連続文様にファセットカット加工されたステム部(2020.6.30 撮影)

次回に続く。

 
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ガラスの話(18)ウランガラス

2019-11-08 00:00:00 | ガラス
これまでにも作品は何回か紹介する機会があったが、今回はウランガラスの話。ウランガラスは0.1~1%程度の微量のウランを黄色~緑色の着色剤として含むもので、紫外線照射により緑色の蛍光(波長530nm)を発するユニークなもの。1830年代にボヘミアで発見され、その後ヨーロッパからアメリカ、明治期の日本にも伝わり、多くの製品が作られた。そして、20世紀半ばにウランが核兵器に利用されるようになるまで生産が続き、その後はウランが戦略物資となるに伴い、生産の状況は各国ごとに異なるが、大幅に縮小された。

 現在は、ウランに替わる別の着色材料が開発され、ウランへの依存は減少しているが、チェコではウランガラスの製造が国の独自の成果であるとの考えから、戦後も、生産は減少したものの一貫して製造を継続している。プラハのガラスショップなどでも新しい製品の数々を見ることができる。

 もう一つの主要生産地であったアメリカでは、1943年にアメリカ政府がウランとその化合物を戦略的物質と位置づけ、ガラス工場を含む民間人の使用を厳しく制限していたが、1958年に制限が解除されウランガラスの製造が再開されている。

 戦後の日本ではこうした国々とはやや異なる展開が見られる。日本のウラン鉱石の産地として岡山県の人形峠の鉱山は有名であるが、地元の上斎原村(現在の鏡野町)が(独)日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターの技術協力のもと、ウランガラスの開発可能性の調査を開始し、ウランガラスの安全性を確認したうえで、地場産業としてウランガラス製品を作ることを決めた。

 現地には「妖精の森ガラス美術館」が2006年に建設され、ガラス器生産の工房を持ち、専任スタッフを配置して製造を行っている。美術館には「ウランガラス」(1995年 岩波ブックセンター発行)の著者であり、また国際原子力機関(IAEA)本部に勤務された経験を持つ、苫米地 顕氏(同館の名誉館長)のウランガラスのコレクションの数々が展示されている。

 実は、1830年にボヘミアでウランをガラスの着色剤として利用するようになるはるか以前に、酸化ウランの利用が行われていたことが判っていて、その始まりは紀元後79年のローマ時代にさかのぼるという。
 イタリアのナポリ付近のポジリッポで製造されていたガラスには1%程度の酸化ウランが着色剤として混合されており、黄色~緑色の美しい色彩を有していた。19世紀にこのガラス製品が再発見された時点ではウラン源としてはボヘミアのハプスブルク家直轄のヨアヒムスタールの銀鉱山に産するピッチブレンドのみが知られており、ローマ時代のガラス職人がどこからウラン鉱石を調達したのかは今もなお謎とされている。

 ウラン化合物の原子価は+2価から+6価をとり得る。このうち、一般に+6価が最も安定である。これに対し、+2価と+5価は特に不安定であり、特殊な条件でないと存在できない。+4価は硝酸水溶液および酸化物等では安定な価数であり、水溶液にしたときには緑色になる。+3価の水溶液は赤紫色となるが安定せずに、水を還元して水素を発生させながら+4価に変化するため、色も緑色に変化する。+6価は水溶液中でも安定であり、ウラニルイオン (UO 2 2+) となって、水溶液は黄色を呈する。水溶液に限らず、+6価のウランは一般に黄色を呈するため、イエローケーキと呼ばれる。

 このウランを含む水溶液の色から類推できるように、ウランガラスは黄色~緑色に着色する。私はこの事から、ウランガラスの色はウランの価数により決まり、4価で緑色、6価で黄色に着色するものと考えていたが、先日(2019.10.24)訪問した上記の「妖精の森ガラス美術館」で聞いた説明では、純粋なウランを着色剤に用いたものは黄色に着色し、更に別の金属イオンを添加することで緑色やその他の色を得ているということであった。

 ウランガラスの色に関しての論文はあまり多くなくて、私もまだ先の本「ウランガラス」を見たことはないが、手元の日本ガラス工芸学会誌、「GLASS」56号(2012年発行)に掲載された「世界のウランガラス 欧米と日本」(畠山耕造)には、次のような記載があり、ウランガラスの色には更にいくつもの種類が含まれているようである。

 「19世紀から20世紀にかけて多くのウランガラスを製造したリーデル社の色見本を見ると、黄緑から次第に濃い緑へ、そして最後に海のような深い紺碧に至る『アンナグリュン:Annnagrun』(アンナの緑)が4色と、明暗2種の黄色『アンナゲルプ:Annagelb』(アンナの黄)が載っている。・・・また19世紀後半にアメリカで開発され、イギリスでも盛んに製造された夕日のような茜色やピンク色の『バーミーズガラス:Burmese glass』では、ウランとともに金が用いられた。」

 現在、私のショップにあるウランガラスの色は、これほど多様なものはなく、大きく黄色と緑色に分けることができる。

 先ず、黄色の作品からご紹介する。写真には、通常の照明下の本来の色のものと、紫外線(ブラックライト)照射により緑色に発光する様子とを合わせて示している。

 最初の作品は大きな皿または花器と思われるもの。ウラン発光としては、ごく弱いようである。

黄色発色のウランガラス製花器(高さ:8.2cm/直径:31cm、上:通常光/下:紫外光)

 次はウランガラス製のカップに非ウランガラス製のステムとフットを組み合わせたアイスクリームカップ。

黄色発色のウランガラス製アイスクリームカップ(高さ:8.8cm/直径:9.8cm、上:通常光/下:紫外光)

 次はウランガラスに乳白色ガラスを組み合わせたオイル/ヴィネガー用のポット。ストッパーは非ウランガラス製。

黄色発色のウランガラス製ポット(ストッパーを含む高さ:14.4cm/直径:7cm、左:通常光/右:紫外光)

 次はウランガラス製のボウルとステムに、非ウランガラス製の褐色のフットを付けたアザミの花の形を模したワイングラス。

黄色発色のウランガラス製ボウル/ステムとオレンジ発色の非ウランのフットが組み合わされているワイングラス(高さ:12.6cm/直径:6cm、上:通常光/下:紫外光)

 次はウランガラスに金彩を施した豪華なデキャンタとグラスのセット。1900年初頭に作られたオールドバカラと見られる。デキャンタのハンドル部とストッパー、およびグラスのステムとフット部は非ウランガラスでできている。

黄色発色のウランガラス製デキャンタとグラスに金彩を施したもの(ストッパーを含むデキャンタ 高さ:20.2cm/直径:8cm、グラス 高さ:7.3cm/直径:4.2cm、上:通常光/下:紫外光)

 次の2種は、共にウランガラスを用いたジャムディッシュ。最初の作品はウランガラスを含む乳白色のオパールセントガラス製。2番目のジャムディッシュはクランベリーガラス(2019. 9.27公開の本ブログ参照)にグラデーションを持たせた本体に、ウランガラスの縁取りを加えたもの。

黄色発色のウランガラス製ジャムディッシュ(高さ:6.4cm/直径:13.9cm、左:通常光/右:紫外光)

黄色発色のウランガラスによる縁取りを施したジャムディッシュ(高さ:8.5cm/直径:14.1cm、左:通常光/右:紫外光)

 続いて緑色に着色させたウランガラスを使用した各種のガラス器を紹介する。紫外線(ブラックライト)照射による発光色は黄色に着色させたものと同じ緑色である。

 最初は小型のマヨネーズカップと呼ばれるもので、プレス成型による。

緑発色のウランガラス製マヨネーズカップ(高さ:4.9cm/直径:7.2cm、左:通常光/右:紫外光)

 次はウランガラス製カップに非ウランガラス製のステムとフットを持つ小さめのワイン/リキュールグラス2種。カップにはエッチングによる紋様が施されている。

緑発色のウランガラス製リキュール/ワイングラス(高さ:12.1cm/直径:6cm、左:通常光/右:紫外光)

緑発色のウランガラス製ワイングラス(高さ:12.1cm/直径:6cm、左:通常光/右:紫外光)

 次は配色からウォーターメロンと呼ばれているもので、カップとステム部は赤いクランベリーガラスでできていて、フット部に緑色のウランガラスが用いられている。2種ご紹介する。

ウォーターメロングラス 1/2(高さ:10.5cm/直径:9.2cm、上:通常光/下:紫外光)

ウォーターメロングラス 2/2(高さ:10.7cm/直径:8.7cm、上:通常光/下:紫外光)

 次は、ウランガラス製プレスガラス皿。アメリカで大量生産されたものと思われる。

緑発色のウランガラス製皿(厚さ:1.8cm/直径:21.4cm、左:通常光/右:紫外光)

 次は、ロブマイヤー製のワイングラス。ウランガラス製の楕円形カップと非ウランガラス製のステムとフットからなる。ウランガラスのカップには細密なエングレーヴィング紋様が施されている。マリアテレジアグラスの愛称を持つ。

緑発色のウランガラス製マリアテレジア・ワイングラス(高さ:13.2cm/直径:6.6cm、左:通常光/右:紫外光)

 次は、ウランガラスの外側にクランベリーガラスを被せカメオ彫りと金彩が施されたもの。ウランガラスの表面にはエグランチェと呼ばれる微細なエッチング紋様が刻まれている。

ウランガラスにクランベリーガラスを被せ彫刻を施した小物入れ(高さ:5.8cm/直径:12.8cm、上:通常光、下:紫外光)

同上の作品の部分

 最後に紹介するのは、先日「妖精の森ガラス美術館」を訪ねた時にお土産に購入した、ウランガラスとレースガラスとを組み合わせたぐい吞み。日本人作家らしい繊細な仕上がりになっている。

「妖精の森ガラス美術館」のショップで購入したウランガラスとレースガラスとを組み合わせたぐい吞み(高さ:4.8-5.1cm/直径:6.9-7.1cm、上:通常光、下:紫外光)

同上の作品の部分

 1830年にウランガラスが(再)発見された当時、紫外線ランプはなく人々はウランガラスの示す発光現象を充分認識していなかったようであるが、太陽光に含まれる紫外線にも反応することから、その独特の美しさを感じていたであろうと考えられている。

 また、少し前までは紫外線により発光するガラスとして知られるものはウランガラスだけであったが、発光現象だけを見ると他にも種々あるのではと思う。

 例えば、窓ガラスとして一般に用いられるようになっているフロートガラスは溶融スズの上に溶けたソーダライムガラスを流して作られるが、その時微量のスズがガラス表面に溶け込む。このスズイオンは紫外線により赤く発光することを若い頃職場の先輩から教わった。この方法で、フロートガラスのスズに接していた面と、反対側の自由表面とを区別するのに用いるのであった。

 最近の例としては、希土類金属イオンを用い赤、青、緑の発光を示す蛍光ガラスが、住田光学ガラスから発表されている。その内容は次のようである(Materials Integration Vol.17, No.3, 2004)。

赤、緑、青の蛍光ガラス(住田光学の発表論文から筆者作成)

 さて、ウランガラスというと、そこに含まれるウランが持つ放射能のことが当然問題になる。上記の新しい蛍光ガラスには希土類金属が使われていることから判るように、紫外線による発光現象と放射能とは全く別の現象である。そこで、ウランの持つ放射能について簡単に見ておこうと思う。

 我々日本人は、広島・長崎での被爆体験、そして東日本大震災時の福島原子力発電所の事故など放射能の危険にさらされた経験があり、どうしても放射能には敏感である。人形峠の「妖精の森ガラス美術館」でもこうした点に配慮し、ウランガラスに含まれているウラン量を0.1%に設定している事、そしてこの量のウランが持つ放射能のレベルが、人体に通常含まれているカリウムの総量が持つ放射能のレベルと同等であり、安全面では問題のないことを説明していた。

 そのウラン、人形峠などの鉱山から得られる天然ウラン鉱物には、通常3種類のウランが含まれている。ウラン238、ウラン235、ウラン234という同位体である。同位体というのは、化学的な性質が同一であるが、質量のやや異なる元素のことさすが、これらすべてのウランからは放射線が出ていて、その強度は異なっている。

 通常、この放射能強度は半減期で示されることが多いが、ウラン238では約45億年、ウラン235は約7億年、ウラン234は約246年である。半減期が長いほど放射能は弱い。単純計算で、ウラン235はウラン238の約6倍の強さとなる。

 一方、天然に産出されるウラン鉱物中のこれら同位体の構成比率は、ウラン238が99.274%、ウラン235が0.7204%、ウラン234は0.0054%である。

 天然ウランの放射能を考える場合、やや面倒な計算になるが、まず天然ウランがウラン238とウラン235だけから成っていると仮定すると、ウラン235はその放射能のうち約4.8%を占めることになる。しかしながら、天然ウランにはさらにウラン234が含まれていることを考慮する必要がある。ウラン234はウラン238の崩壊によりできるひ孫核種であり、ウラン238とウラン234は放射平衡を形成している。このため天然ウラン中に存在するウラン234はウラン238と同じだけの放射能をもっている。これらより、天然ウラン中でのウラン235に由来する放射能は、約2.4%と算出できる。そして天然ウランの放射能比はウラン238とウラン234由来のものがそれぞれ48.8%となる(ウィキペディアの「ウラン」から)。

 この放射能強度は0.1%の天然ウランを含む1グラムのウランガラスに換算すると、約25Bqという強度になり、この数値は1グラムのカリウムの放射能強度31Bqに比べると同等以下ということになる(天然に存在するカリウムの同位体の一部に放射能を持つものが含まれているため)。この値をどう見るかは、それぞれ個人差があるところと思われるが、こうした計算結果を参考にして、製品としてのウランガラスの安全性を判断すればいいと思う。

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ガラスの話(17)クランベリーガラス

2019-09-27 00:00:00 | ガラス
赤色ガラスの一つに英語でクランベリーガラス(Cranberry glass)あるいはゴールド・ルビーガラス(Gold Ruby glass)と呼ばれるものがある。クランベリーの実のような美しい赤色を持つことからこう呼ばれているが、日本語では「金赤(きんあか)」と称されているものであり、文字通り、ガラスの着色剤として「金」を用いている。

クランベリーの赤い実(ウィキペディア「クランベリー」から引用)

 黄金色の金を用いることで赤色が出せるという意外性にも興味を惹かれるが、不活性な金属の代表である金がガラスに溶けるということもまたちょっとした驚きである。実際には、ガラスを熔解する原料段階で、金を唯一溶かすことができる王水(硝酸と塩酸の1:3の混液)を用いて得られる塩化金酸をガラス原料に均一に混ぜて実現している。

 クランベリーガラスの製法は古くローマ時代には発明されていたようで、およそ4世紀の古代遺跡から発掘されたガラスの中から見いだされた品は大英博物館に収蔵されていて、リクルゴス酒杯(Lycurgus Cup)と呼ばれている(Lycurgus Cupでネット検索すれば写真を見ることができるので、ご覧いただきたい)。

 このLycurgus Cupは背後からの照明により、あるいは内部に光源を入れて透過光で見ると赤く見えるが、太陽光下や前方からだけの照明により反射光で見ると濁った緑色に見える二色性を示すとされている。後に示すような、金のみによるクランベリーガラスではなく、化学分析によるとごく微量の金のほかに銀も多く含まれているとされている(銀300ppm、金40ppmという報告がある)。

 このほか、古代ローマでは金の添加量を変えることにより、ガラスに黄色、赤、藤などの色を付けていたとされる。

 こうしたクランベリーガラスの製法は、その後一旦失われてしまうが、17世紀のボヘミアの時代になって、ドイツ・ポツダムの化学者ヨハン・クンケル(Johann Kunckel, 1630年 - 1703年) あるいはイタリアのガラス職人アントニオ・ネリ(Antonio Neri, 1576年 - 1614年)により再発見されている。

 しかし、両者ともに、赤色発色のメカニズムについては理解しておらず、その後も発色原理については長く解明されることはなかったが、1857年にイギリスの化学者・物理学者マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日)が、塩化金酸を二硫化炭素で還元することで赤い溶液を得ることに成功し、発色が金の微粒子によるものであることを世界で初めて説明したとされる。また化学者で1925年のノーベル化学賞の受賞者であるオーストリア・ハンガリー二重帝国の化学者リヒャルト・アドルフ・ジグモンディ(Richard Adolf Zsigmondy, ハンガリー名:Zsigmondy Richárd, 1865年4月1日 - 1929年9月23日)も1898年に、金の希薄コロイドを作ることに初めて成功している。

 こうして、水溶液中の金コロイドが示す発色の類推から、ガラス中でも同様に金コロイドが赤色を作り出していると考えられた。

 ガラスの着色剤には主に各種金属元素が用いられているが、発色のメカニズムは、金属または非金属元素イオンによるものと、金属または半導体コロイド粒子によるものの2種類に分かれる。

 クランベリーガラスの赤色は、後者によるものであることが科学的に解明されたわけであるが、実際の製造工程では、前述の方法でガラス生地の中に均一に熔解させた金イオンを、冷却後再加熱することで凝集させ、所定の大きさのコロイド粒子に成長させることで得られている。金が均一に熔解した状態で冷却されたガラスは無色透明であるが、加熱し金属金コロイドが成長するに伴い赤く着色するとされる。

 液体中の金コロイドの研究によると、色は液の状態によっても変わるが、10nm(ナノメートル)程度の微粒子の場合は概ね赤であり、粒径が小さくなると薄黄色、大きくなると紫~薄青、100ナノメートルを超えると濁った黄色となるとされる。

 この発色現象について物理的な側面からの解説を見ていくと、金コロイドが色を呈するのは、コロイド粒子と光の相互作用(共鳴振動)によるもので、物理学で(局在)表面プラズモン共鳴(SPR:surface plasmon resonance)として知られている現象によるとされている。金コロイドの粒子径が大きくなるに従い、共鳴波長が長波長側に移動していくため、上記のように粒子径が小さい時には短波長の青色を吸収し液は黄色を呈し、大きくなるに従い緑色の光、赤色の光を吸収し、液の色は赤~赤紫から青色へと変化する。粒子径が更に大きくなり、吸収波長が近赤外域にまで移動すると、可視光を吸収しなくなるため液は再び無色になるが、粒子径が大きくなるにつれて(レイリー/ミー)散乱が起きるため、液は黄~白濁することになる。

 金赤ガラスに関する学術的な報告は、「GLASS ガラス工芸学会誌」14号(1983年発行)の「赤色ガラスの分光透過率:刈谷道郎」に見ることができる。一部を引用すると次のようである。

 「ガラスを透過してくる光の吸収程度が波長によって異なるとき、ガラスは着色して見える。同じ赤色ガラスでも種類が金赤、銅赤、セレン赤のちがいによって分光透過率は異なる。・・・金赤ガラスはガラス中に分散した3~60nmの金コロイドによる着色であり、金含有量はソーダ石灰ガラスで約0.001%(10ppm)、鉛ガラスで0.1~0.01%(1000~100ppm)である。金赤ガラスの分光透過率は520~580nmに吸収曲線の谷があり、600~700nmの赤色域に透過率のピークがあり、400~500nmの青色域に第二のピークがある。このため弱い吸収では桃色、強い吸収では赤紫色となる。・・・
 金赤の鉛クリスタルガラスの分光透過率が再熱処理条件によってどう変化するかを見ると、処理温度が高いと吸収が長波長側に移動し、処理時間が長くなると吸収が強くなる。・・・」

 さてここまでは、金コロイドによる金赤ガラスを中心に話をしてきたが、類似の赤色ガラスには銅赤や銀赤、セレン赤も知られている。いずれも発色の原理は、ガラス中でコロイドを形成することによるが、銅赤は金属銅コロイドあるいはCu2Oコロイド、セレン赤は硫化カドミウム(CdS)とセレン化カドミウム(CdSe)との固溶体のコロイドによる着色とされる。CdS単独では黄色の発色であるが、CdSeを加えることで赤色の発色をすることから、セレン赤と呼ばれているようである。
 金属銀コロイドも赤色を呈するが、条件により色の変化が大きく、恐らくこうした理由で安定した生産に適さないために実用的には使われていないのではと思われる。

 さらに同論文には「金赤ガラス、銅赤ガラス、セレン赤ガラスは典型的な発色をした場合には、分光透過率が異なり色調も異なるため、容易に判別される。しかしながら発色条件が適切でないと、どの着色剤によるのか判別しがたいこともあり、その判別にはガラスを蛍光X線分析にかけるなどの直接的な分析手段が必要になる。」との記述もあり、赤ガラスの生産工程はなかなか複雑な面も持っていることが推測される。

 次に同論文に掲載されている金赤、銅赤、セレン赤の分光過率データを示す。

金赤鉛クリスタルガラスの分光透過率、厚さ2mm(刈谷道郎、GLASS ガラス工芸学会誌、14号、pp2-5、図1)

銅赤ガラスの分光透過率(同、図3)

セレン赤ガラスの分光透過率(同、図4)

 最後に、私のショップに置いているクランベリーガラス、銅赤ガラス作品を紹介させていただきながら本稿を終る。

 最初は、透明ガラスを外に、クランベリーガラスを内側に被せた香水瓶。こうすることで、外形を大胆にカットしても、赤色ガラス部の厚みは変化しないため、均一な色が得られる。足と蓋は透明ガラスでできている。表面に金彩で紋様が描かれていたが、長年の使用でほとんど剥がれ落ちている。

クランベリーガラスを内部に被せたボヘミア製香水瓶(H14.5cm)

 次は、イギリス製で、本体部全体がクランベリーガラス製のジャムディッシュ。ホルダーに掛けるための鍔(つば)部分は透明ガラスでできている。

クランベリーガラスでできているイギリス製のジャムディッシュ(H7.5cm)

 同じくイギリス製のジャムディッシュだが、本体部分は上部のクランベリーガラスから底部の透明ガラスにかけてグラデーションになっている。更に縁と鍔をウランガラスで飾っている。通常照明の下で黄色に見えるウランガラス部(左の写真)は紫外線ランプ(ブラックライト)照射により緑色に発光する(右側の写真)。

クランベリーガラスと透明ガラス、ウランガラスを組み合わせたイギリス製ジャムディッシュ(H8.5cm)

 イギリス製のワイングラスには、ステム(手で持つ部分)の内部に白いガラスでツイスト構造を取り込んだもの(オペークツイスト)がよく見られるが、次はそのツイスト構造にもクランベリーガラスと白色ガラスを用いており、ボウル部分もクランベリーガラスでできている。

ボウルとステムにクランベリーガラスが使われているイギリス製の古いワイングラス(H19.7cm)

 フランス、ベルギー、ハンガリー製のワイングラスにも、透明ガラスの外にクランベリーガラスを被せ、これにカットを施して下地の透明ガラスとの間のコントラストを見せるものがあり、美しい外観を与えている。

透明ガラスボウルにクランベリーガラスを被せたフランス(Baccarat)製ワイングラス(H19.5cm)

透明ガラスボウルにクランベリーガラス、緑ガラス、青ガラスを被せたフランス(Saint-Louis)製ワイングラス(H8.5cm)

透明ガラスにクランベリーガラス、黄ガラスと緑ガラスを被せカットしたベルギー(Val-San-Lanbert)製ワイングラス(H21.8cm)

透明ガラスボウルにクランベリーガラスを被せたハンガリー(Aika)製ワイングラスのペア(H19.3cm)

 白色ガラスとクランベリーガラスを組み合わせたものはボヘミア独特の印象を与える。

クランベリーガラスを内側に、外側に白色ガラスを合わせ、カットで内部のクランベリーガラスを見せたボヘミア製ゴブレット(H10.8cm)

 大きめのものでは、容器全体がクランベリーガラス製のものがある。

クランベリーガラス製のピッチャー(H18.5cm)

 アール・ヌーヴォー時代のものと思われる物だが、ボウル全体をクランベリーガラスで作り、その口縁部を金彩で飾ったワイングラスもある。

ボウルにクランベリーガラスを用い、金彩で縁どられたフランス(Legras)製ワイングラスペア(H12.8cm)

 次はアメリカ製で、クランベリーガラスとオパールセントガラスを組み合わせたオイル/ヴィネガー用の瓶。クランベリーガラス生地の上にオパールセントガラスで紋様が描かれているが、どのようにして作られたものだろうか。

クランベリーガラスに白色のオパールセントガラスを組み合わせたアメリカ製オイル/ヴィネガー瓶(H18cm)

 以上は発色剤に金を用いたものだが、次に発色剤に銅を用いた銅赤を見ておこう。同じ金属コロイドによる発色とされているが、先に見たように銅の場合は短波長の青~緑の吸収が強いために、目で見る色は暗赤色と濃く見える。

 最初は、透明ガラスに銅赤ガラスを被せ、カットを施したグラス。実はこのグラスは、ガラス工芸研究家の由水常雄氏が、18~19世紀にイギリスで流行したものを模して作成したもの。由水氏の説明によると、「当時の名作をもとに、発色の最も難しい銅赤のガラスを外側に被せて、イギリス独特の片やすりカットでデザインを決めた技法を再現。」と記されている。

由水常雄氏監修による銅赤被せガラスのぐい吞み(H6cm)

 次は銅赤ガラスでできた皿の表面に、以前紹介したことのあるシルバーオーバーレイで文様を施したもの。

銅赤ガラスにシルバーオーバーレイを組み合わせた皿(D24.6cm)

 次は、透明ガラスの外に銅赤ガラスを被せ、表面をカットして紋様をつけた、蝋燭照明用のホヤと思われるもの。

透明ガラスに銅赤ガラスを被せた蝋燭照明用のホヤ(H13cm)

 次のデキャンターセットは1930年-50年代にボヘミアで作られたもので、透明ガラスに銅赤ガラスを薄く被せてそこに芸術的紋様を刻んでいる。

透明ガラスに銅赤ガラスを被せ彫刻したデキャンター・グラスセット(デキャンター H22.3cm、グラス H8.7cm)

 最後に見ていただくのは、類似の赤いガラスだが、ボヘミアのガラス職人エーゲルマン(B.Friedrich.Egermann、1777-1864)が長年の研究の末に生み出したとされる、エーゲルマン赤あるいはルビーステインと呼ばれているもので1832年の発見である。透明ガラスの表面に塩化第二銅に他の材料を混ぜて得た液体を塗布し、過熱することで、表面に薄く赤色のイオン交換による層を形成させるもので、彼はこの技術の特許を取得している。今回議論したような意味での発色原理は不明であるが、色から判断すると、イオン交換でガラス表面に取り込まれた銅イオンがコロイドを形成しているものと推察される。浅く削るだけで紋様を描くことができる。次の作品では、削る深さに段階を持たせて、複雑な動物紋様を見事に描き出している。

表面を銅イオンで置換させたた赤色層に動物紋様を刻んだボヘミア(Egermann工房)製ゴブレット(H15cm)





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ガラスの話(16)シルバーオーバーレイ

2019-06-21 00:00:00 | ガラス
 今週、このブログの開始以来の累積閲覧数が、10万を超えたと判った。開始してからの日数も1000日を超えたばかりなので、平均、日に100件の閲覧をしていただいたことになり、思いがけない数字を大変ありがたく思っている。

 関西在住の友人から、「軽井沢での日々を綴り、皆に送ってはどうか」、と勧められて始めたこのブログだが、何とか3年間続けることができた。子供の頃から日記は三日坊主であったし、学校での作文の時間も、とても苦手だったので、自分でもこうして書き続けていることには、意外な気がしている。しかし、こうして多くの閲覧数を見るとそれが励みになり、今では生活の一部になっていて、重要な位置を占めるようになってしまった。

 今日の読売新聞の「編集手帳」に先日亡くなった作家の田辺聖子さんのことが、私の場合とは比べるべくも無いが、次のように出ていた。

 「<もろもろの/恩かがふりし/ひとよかな>◆かがふるは受けるの古語で、人の世からたくさんの恩を受けたとの意味だが、この感慨にいたるには晩年までかかった。書きたいから受けた仕事なのに、結果的にはふりかかる火の粉を払わねばならぬという心に余裕のない毎日だったと、多忙な時代を振り返っている◆」

 さて、今日はガラスの話。成形し完成したガラス器の表面に種々の加工を施す技術の一つにシルバーオーバーレイというものがある。文字通り、ガラス表面に銀を貼り合わせる技法である。

 私共のガラスショップにも少しではあるが、このシルバーオーバーレイ技法を用いた製品がある。すでに販売してしまったものもあるが、これらの一部を紹介すると、次の写真ようなものがある。


シルバーオーバーレイを施した緑色ガラス香水瓶(高さ75mm、径53mm)

 この最初の写真は、緑色ガラス製の香水瓶に厚く銀が盛られているもので、描かれている紋様も太く単純な形状をしている。

 もう一つは、比較的多く見られるもので、透明ガラスでできたグラスのボウル部分と、フット部分が銀で葉の紋様に装飾されているが、それほど微細なものではない。


シルバーオーバーレイで葉紋を施した透明ガラス製クープ

 また、次の写真は、赤と黒の強いコントラストのグラスで、透明ガラスでできたボウルの内側に赤いガラスを被せ、透明ボウル部分の外側に銀で微細な花と葉の装飾が加えられている。ステムとフット部は黒色ガラスでできていて、フット部の周縁にも銀が施されている。とても印象的な製品に仕上がっている。


透明ガラスボウルの内側に赤色ガラスを被せ、外側にシルバーオーバーレイを施したカクテルグラス(高さ130mm、径80mm)

 このシルバーオーバーレイの技法について詳細を知りたくて、国内のガラス工芸の本やガラス工芸学会誌の報告例を当たってみたが、この技術に直接言及したものは見つけることはできなかった。ガラスの加飾法は各種のものが紹介されているのだが、ガラス表面に金属加工を施すものとしては、鏡に関するものがほとんどであり、シルバーオーバーレイに関しては、ウィキペディアの英語版に若干の情報がみられるという状況であった。

 今回は、このウィキペディアとそこで参考文献として挙げられている情報を引用し、シルバーオーバーレイという技術をみてみようと思う。

 シルバーオーバーレイの技術は、基本的に電気メッキ技術である。ガラスや磁器製品に銀メッキをするためには、先ずこれらの表面に導電性の被膜を形成しなければならないが、そうした基本的な技術に関する特許が1870年頃から連続して出願されている。出願年と発明者とを順に並べると次の様である。
 
 ●1879年・・・Frederick Shirley(USA)
 ●1889年・・・Erard and Round(England)
 ●1893年・・・John Sharling(USA)
 ●1895年・・・Friedrich Deusch(Germany)

 ただ、これらの特許は発明者らが製品を作るために(形式的に?)出願したという傾向が強いようで、銀メッキ技術そのものは、特許出願以前から知られていたとされているが、実際の発明者は判らないという。

 この導電性被膜は、銀とテレピン油を含むフラックスで、シルバーオーバーレイを施す磁器やガラス器の表面に塗布した後、それら全体を比較的低温に加熱して焼き付ける。これを冷却し、洗浄してから、銀メッキ処理をすることで、器体にしっかりと銀膜を形成することができる。

 銀の厚さは、通電時間で制御されるが、当時は30時間ほどをかけていたようである。具体的な厚さの情報はないが、指で触ると厚みを感じることができるとある。

 手元にある前出の写真の赤/黒のカクテルグラスで測定したところでは、0.2㎜ほどの厚さがあり、香水瓶ではもっと厚く、0.4㎜ほどになっている。

 この技術の重要なところは、形成された銀膜のガラスへの密着性にあるが、ドイツ人のFriedrich Deuschの発明のポイントもここにあるとされる。花瓶などのシルバーオーバーレイの対象物を、先ず機械彫りまたはフッ酸処理により、表面を粗面化した後にフラックスを塗布する。その際、描かれる紋様に応じて、非常に精度よくシルバーオーバーレイをかけたくない部分をマスキングする必要がある。こうした準備工程の後、銀メッキが施される。

 また、ドイツのシルバーオーバーレイの技術のもう一つの特徴として、銀の純度の高さが指摘されている。通常スターリングシルバー(STERLING SILVER)と呼ばれる92.5%またはそれ以上の純度で作られ、この証として、製品の底や側面部分には、純銀相当ということで1000と刻印されるが、銀膜の一部に直接描きこまれることもあったという。

 Friedrich Deuschはシルバーオーバーレイ製品を、1907年にフランス・ボルドーで開催された博覧会に出品し、1912年にはドイツに Deusch & Co.を設立している。また、これに続いてドイツでは、シルバーオーバーレイを専門とする会社、Friedrich Wilhelm Spahr社やAlfred and Manfred Vehyl社などが創設されている。

 これらの会社では、素材となる磁器製品はRosenthal, Hutschenreuther, Thomas Bavaria, Krautheim & Adelbergなどのよく知られた会社から購入しているが、シルバーオーバーレイを施した製品には自らの名前を付けて販売した。ガラス製品の場合にも近隣のWMFなどから購入し、同様に自社ブランドで販売していたとされる。

 ところで、花瓶などの場合は、銀メッキを施したガラス面を裏側から見ることはないが、グラスや皿、鉢へのシルバーオーバーレイではガラスを透して見える色が問題になった。1889年のErardの技術は銀の表面は美しいものであったが、ガラス側からは変色して黒く見えるという欠点があった。

 これを解決したのが、1893年のJohn Sharlingの特許技術であった。Erardの技術より複雑な工程になったようだが、ガラス側から見た外観は、雪のように白く、永久に変化しないものであった。Sharlingの技術も、Erard同様銀メッキ技術を用いている点には変わりがない。

 彼はこの新技術を、アメリカ国内とヨーロッパに公開したので、1895年までに、アメリカでの大量生産と共に、チェコ、イタリア、フランス、イギリス、オーストリアでもシルバーオーバーレイ製品の生産が行われていた。これは1920年頃まで続き、その後大恐慌により、多くのガラスメーカーは撤退、もしくはより安価な製品へと転換していくことになる。

 ウィキペディアの記述は、ドイツのDeusch社のことに偏重している感があり、アメリカの企業のことにはほとんど触れていない。そこで、前出の3種のシルバーオーバーレイ製品について少し詳しく調べてみた。

 この三番目の写真の赤・黒のカクテルグラスの底面にはメーカーのマークがあり、「Rockwell」と読める。最初の香水瓶と、2番目のグラスにはこうしたサインは見られない。購入先からの情報では、2番目のグラスは、アメリカのレノックス社製と伝えられているが。


ボウルが赤のグラスの黒色フット部分底面に記されたマーク


同、拡大
 
 「Rockwell」マークを手がかりに、このメーカーのことを調べてみると、米国コネチカット州メリデン市に1907年に設立された会社、Rockwell Silver Company のものであることが判った。場所はニューヨークから北東に120kmほどである。

 ネット検索で得られたRockwell社の情報は次のようであり、設立当初は従業員6名でスタートしていたことが判る。

 「The Rockwell Silver Company had its inception in 1907, when it was organized by Lucien Rockwell and E. F. Skinner, who became president... In 1913 the business was reorganized... while the original employes numbered six and the floor space of the plant was 1500 sq. ft., today the business has grown until there are now 24 employees and the plant has been increased to include 11,250 sq. ft. of floor space.」(1918年の記事から)

 話は少しそれるが、先日、プジョー(Peugeot)ブランドのワイングラスを手に入れて、まさかと思ったが調べてみると、自動車メーカーのプジョー社のものであることを確認し、意外に思ったことがあった。だが、今回のロックウェル(Rockwell)社は、航空産業のロックウェル・インターナショナルとはまったく無縁であった。

 調べていくと、Rockwell社では、当時特許出願もしていた。ただ、これはシルバーオーバーレイ関連の応用技術で、カラー化に関するものであり、シルバーオーバーレイそのものの技術に関するものではなかった。

 Rockwell製の赤・黒のカクテルグラスは写真では5個あるが、もう1個、銀が部分的に剥離しているものがあった。剥離部のガラス面の状態を見ると、銀が形成されていたガラス部分がすりガラス状になっていて、ガラスが薄く削り取られていると思われた。また剥離した銀の裏面、すなわちガラスに接していた部分には白色のコーティング層は認められなかった。

 こうした点から見ると、Rockwellが用いている技法は、ドイツのDeusch社の特許にあるフッ酸エッチングなどによる下地処理または類似の方法を用いている可能性があり、アメリカのSharling特許技術に見られる、”雪のような”ガラス界面とは異なるように思えるものであった。

 ここで、Deusch社の特許工程を図示しておくと、次の図のようになると思われる。Rockwellの赤・黒のカクテルグラスのシルバーオーバーレイは、このような方法で作られた可能性が高いようなのである。


Deusch社の特許技法による、ガラス器にシルバーオーバーレイを施す工程図(筆者の推測を含む)

 このグラスに関しては、これ以上詳しいことはわからないが、ネット上にはRockwellが製作した各種のシルバーオーバー製品の情報があり、どのような製品を作っていたかを知ることができる。 

 コーニングガラス博物館などに収蔵されている同社製品の情報は次のようである。一部は写真も見ることができるので、確認した結果の一部を次にまとめるが、創業当時から1970年代までの製品を見ることができる。尚、このRockwell Silver社は、1978年にSilver City Company に吸収され名前が変わっている。

 ●1900s   Pair of ruby glass decanters.
        Maker:Rockwell Silver Company. (after 1907).
        From:The Phillips Museum of Art, Franklin & Marshall College

 ●1910s   Loving cup.
        Maker:Rockwell Silver Company.
        From:Mobile Museum of Art, Alabama.

 ●1920s   1920
        Holmes-designed coffee service.
        Maker:Frank Graham Holmes for Rockwell Silver Company
           Lenox China.
        From:Newark Museum, NJ.

        c.1922-37
        Cologne bottle with silver overlay.
        Maker:Tiffin Glass Company and Rockwell Silver Company.
        From:Museum of American Glass in West Virginia, Weston.

        c.1925-30
        Six cocktail glasses.
        Maker:Rockwell Silver Company.
        From:New Orleans Museum of Art.

        c.1925-35
        Vase with flowers.
        Maker:Pairpoint Manufacturing Co.,
           Rockwell Silver Company.
        From:Corning Museum of Glass, Corning, NY.

        c.1925-35
        Plate.
        Maker:Pairpoint Manufacturing Co.,
            Rockwell Silver Company.
        From:Dallas Museum of Art.
 
        c.1925-35
        Plate.
        Maker:Tiffin Glass Company,
            Rockwell Silver Company.
        From:Museum of American Glass in West Virginia, Weston.

 ●1930s    c.1930
        Cup and saucer.
        Maker:Lenox China,
            Rockwell Silver Company.
        From:Dallas Museum of Art.

        c.1935-50
        Candlestick holder.
        Maker:Indiana Glass Company,
            Rockwell Silver Company.
        From:Museum of American Glass in West Virginia, Weston.

 ●1960s    c.1960
        Tray with silver overlay.
        Maker:Rockwell Silver Company.
        From:Museum of American Glass in West Virginia, Weston.

 ●1970s    c.1970
        Candy dish.
        Maker:Rockwell Silver Company.
        From:Museum of American Glass in West Virginia, Weston.

 これら博物館・美術館の収蔵品を見ると、1900年代に始まり、1920年代に作られたものの点数が最も多い。そして次第に点数が減るが、1970年代に製造されたものも見られる。そして、Rockwell社もまた、多くの会社から磁器製品やガラス製品を購入し、シルバーオーバーレイ加工の後、自社の製品として、(マークを付して)販売していたことが判る。

 こうしたことは、それぞれの所蔵博物館・美術館の調査の結果明らかになったものとおもわれ、マークのない場合には、製品を見ただけでは、一般にはとても判りにくい状況にある。

 また、シルバーオーバーレイ製品は1880年ごろからせいぜい30ないし50年間生産されたとする情報もあるが、Rockwell社だけをとりあげても、1970年頃までは製造されていることになる。技術内容も含め、詳しい情報が求められる。

 さて、最後に私どものショップにあるその他のシルバーオーバーレイ製品を紹介しておこうと思う。シルバーオーバーレイの精細な紋様や、ガラスとの界面の色などを確認していただくことで、技術内容を推察していただければと思う。赤色ガラスを用いているものは、ガラス界面の色を確認しづらいのでよく判らないが、それ以外は、ガラス界面側の色はすべて白色である。すなわち、Sharlingの技術を用いている。また、銀の紋様の中に、「STERLING」という文字が刻み込まれているものも多く見られるので、それらは拡大して示しておいた。


コンポート(シルバーオーバーレイは内側)


片手皿(シルバーオーバーレイは内側)


両耳皿(シルバーオーバーレイは内側)


足つき皿(シルバーオーバーレイは内側)


足つき皿に見られる「STERLING」マーク


クリーマーとシュガーポット(シルバーオーバーレイは外側)


シュガーポットに見られる「STERLING」マーク


蝶花紋リキュールグラス(シルバーオーバーレイは外側)


蝶花紋リキュールグラスに見られる「STERLING」マーク


蝶花紋ピッチャーとタンブラー(シルバーオーバーレイは共に外側)


蝶花紋タンブラーに見られる「STERLING」マーク


草花/幾何紋様皿(シルバーオーバーレイは内側)


赤色ガラス皿(シルバーオーバーレイは内側)


赤色ガラス皿に見られる「STERING」?マーク


赤ガラス蓋付容器(シルバーオーバーレイは外側)


同、蓋を外したところ

 シルバーオーバーレイとエングレーヴィングの両方の加飾のあるものも見られる。


ピンクマヨネーズボウル/皿(ボウル:シルバーオーバーレイは内側、皿:シルバーオーバーレイは内側)


ピンクマヨネーズボウルに見られる「STERLING」マーク

 
 



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