今回はメスグロヒョウモン。前翅長30~40mm。北海道、本州、四国、九州(壱岐、対馬を含む)に分布し、長野県では、1970年代ごろ、比較的少ない種であったが、近年はかなり多くなっているという。個体数を増やしているのは、本種の産卵する環境が森林であり、各地の里山環境が森林化しているためであるとされる。
幼虫の食草はタチツボスミレなどの各種スミレ類で、年1回発生し、成虫は7月中旬頃から出現し、卵または、孵化間もない1齢幼虫で越冬する。
さらりと書いたが、卵から孵化したばかりの1齢幼虫というのは数ミリ程度の大きさしかなく、この幼虫が零下20度付近にまで下がる信州の冬を越すというのはなかなか想像しがたいものがある。蝶の越冬態は種によって異なり、成虫越冬するものから、蛹、幼虫、卵とさまざまであるが、成虫や蛹、卵の場合に比べると、孵化して間もない小さな幼虫が厳冬の期間を過ごしている姿には痛々しさと共に、生命のたくましさを感じる。
さて、このメスグロヒョウモンであるが、日本に15種ほどいるヒョウモン類の中でも一風変わった姿をしている。名前の通り、♀の翅の色が黒いのである。♂の外観は他のヒョウモン類と同じようであるが、♀の姿はなぜか別種と思えるような色、暗褐色で青藍色の光沢をおびた色になっている。
このように、メスグロヒョウモンの♀の色彩と斑紋は全く独特でありほかに類似のものもなく、同定は問題なく行える。♂は翅表・裏ともミドリヒョウモン、ウラギンスジヒョウモン、オオウラギンスジヒョウモンに似ているが、翅表の性標の本数、表・前翅中室内の斑紋、表・後翅中央の黒斑列、裏・後翅の基部~中央部の白条、裏・後翅の色調などの比較で、同定は比較的容易に行える(次表参照)。
メスグロヒョウモン、ミドリヒョウモン、ウラギンスジヒョウモン、オオウラギンスジヒョウモンの♂の識別方法(前翅中室内の斑紋:写真、1/9-3/9で丸印を付けた)
ところで、メスグロヒョウモンの♀の翅色であるが、以前紹介した(2017.9.22 公開の本ブログ)ことのあるツマグロヒョウモンもまた♀の外観が、他のヒョウモン類とはだいぶ異なっている。しかし、こちらは前翅の先端部分だけが黒くなっているのに比して、メスグロヒョウモンの場合はこれが全体に及んでいて、野外で飛翔中の姿を見ると、一見イチモンジチョウのように見える。何故こうしたことが起きるのか、ほかにも雌雄で色や紋様の異なる種は多くいるとは言うものの、不思議というほかない。
次の写真は、メスグロヒョウモン(♀)とイチモンジチョウ(♀)の翅表を比べたものだが、斑紋の現れ方などはとてもよく似ている。
イチモンジチョウの♀(左)とメスグロヒョウモンの♀(右)
いつもの「原色日本蝶類図鑑」(横山光夫著、1964年 保育社発行)には上記のことが次のように記されていてさすがの名文である。
「あざやかな橙色の雄が真黒く見える雌に交わったまま緑の梢をヒラヒラと飛ぶのを見ると、種を異にした蝶の不思議な雑交かと驚かされる。
古くはこの雌雄が別の種とさえ誤認されていた。この雌雄の極端な異体は興味あるものである。白い傘形科(?)や栗の花上に、入り乱れて飛来するのは美しい。・・・10月にはいると樹下の地上食草外の種々なものに産卵し、約10日前後で孵化した幼虫は食餌に就くことなく、落葉の下などでそのまま越冬する。・・・」
このメスグロヒョウモンの♂に出会ったのは、もうずいぶん前のことであった。車で、安曇野方面から峠越えで長野市街地に帰る途中、渓流沿いの花にヒョウモン類の姿を認め、車を停めて撮影した。帰宅後、翅表の斑紋を見て、メスグロヒョウモンの♂であると確認した。この時の写真は次のようである。少し離れた場所に咲いている、ヤブカラシの花で吸蜜しているところを105mmのマクロレンズで撮影した。トリミングをしてずいぶん拡大しているので、解像度がいまひとつよくないが、種の同定の決め手になった前翅中室内の斑紋(〇をつけている)と性標は確認できた。
メスグロヒョウモン♂1/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂2/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂3/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂4/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂5/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂6/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂7/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂8/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂9/9(2015.9.2 撮影)
その後、長く軽井沢周辺でメスグロヒョウモンに出会うことはなかった。今年、夏のあいだはショップを休みなしで開いていたので、9月に入りその反動もあって、どこかにチョウを見に行こうということになった。妻はメスグロヒョウモンの♀を見たいという。日本産のチョウをかなり網羅している義父のコレクションにも、メスグロヒョウモンは♂・♀共に含まれていない。
特に当てもなく佐久平から上田方面に車を走らせ、途中で「信州昆虫資料館」に久しぶりに行ってみようということになり、着いて見ると生憎の休館日であった。玄関には「開催中・故名誉館長 小川原辰雄先生展」との掲示があり、この信州昆虫資料館の創設者である、小川原辰雄さんが亡くなっておられたことを知った。
「開催中・故名誉館長 小川原辰雄先生展」の掲示がある信州昆虫資料館玄関(2019.9.3 撮影)
小川原辰雄さんと鳩山邦夫さんの共著になる、「信州 浅間山麓と東信の蝶」は私の愛読書であり、このブログでも時々引用させていただいている。この著書の最後のページには、鳩山邦夫さんと共に、小川原辰雄さんの「著者略歴」が次のように記されている。
小川原辰雄(おがわら たつお)
昭和3(1928)年、長野県坂井村生まれ。横浜医科大学卒。昭和36年以降、長野県青木村に居住。青木村名誉村民。内科医、医学博士。小県郡医師会会長、長野県医師会理事、長野県医師会広報委員長等を歴任。日本医師会最高優功賞、第18回医療功労賞、旭日双光章受賞。日本昆虫協会長野支部顧問。
主な著書は『蜂刺症』『博物誌』『糖尿病管見』(桜華書林)、『身近な危険・ハチ刺し症』(クリエイティブセンター)など。
ここに、謹んでご冥福をお祈りする。
さて、仕方なく、資料館の周辺を見回すと、アプローチ道路に面した裏庭や法面にはアザミの花が咲いていて、そこにヒョウモン類の姿が見えた。近くに寄ってみると、ウラギンヒョウモンであった。しばらくこのウラギンヒョウモンの撮影をして、そろそろ帰ろうかと玄関脇に停めてあった車の方に向かって歩き始めた時、妻が何やら蝶の姿を認めた。目の前を通り過ぎて、道路の反対側の高い梢に止まったという。望遠レンズ越しに見ると、ミスジチョウの仲間かタテハチョウの仲間のように見えた。この時はこのチョウが、メスグロヒョウモンの♀であることにはまだ気づかなかった。
ウラギンヒョウモン♀(2019.9.3 撮影)
高い木の先の梢に止まったチョウ(2019.9.3 撮影)
そして、再び諦めて車の報に歩き始めると、そのチョウが、道路沿いに咲いているアザミの花に止まり吸蜜を始めた。間近に見た蝶は、今日妻が出かける時に見たいと言っていた、メスグロヒョウモンの♀であった。
このアザミの花で、長い間吸蜜をしてくれたので、たっぷりとこのチョウの撮影ができた。しばらくするともう1頭、メスグロヒョウモンの♀がやってきたので、この日、都合2頭のメスグロヒョウモンに出会うことができた。
その時撮影した写真は次のようである。何だか、小川原先生がこの機会を作ってくださったように感じ、感謝しつつ「信州昆虫資料館」を後にした。
メスグロヒョウモン♀1/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀2/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀3/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀4/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀5/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀6/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀7/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀8/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀9/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀10/10(2019.9.3 撮影)
幼虫の食草はタチツボスミレなどの各種スミレ類で、年1回発生し、成虫は7月中旬頃から出現し、卵または、孵化間もない1齢幼虫で越冬する。
さらりと書いたが、卵から孵化したばかりの1齢幼虫というのは数ミリ程度の大きさしかなく、この幼虫が零下20度付近にまで下がる信州の冬を越すというのはなかなか想像しがたいものがある。蝶の越冬態は種によって異なり、成虫越冬するものから、蛹、幼虫、卵とさまざまであるが、成虫や蛹、卵の場合に比べると、孵化して間もない小さな幼虫が厳冬の期間を過ごしている姿には痛々しさと共に、生命のたくましさを感じる。
さて、このメスグロヒョウモンであるが、日本に15種ほどいるヒョウモン類の中でも一風変わった姿をしている。名前の通り、♀の翅の色が黒いのである。♂の外観は他のヒョウモン類と同じようであるが、♀の姿はなぜか別種と思えるような色、暗褐色で青藍色の光沢をおびた色になっている。
このように、メスグロヒョウモンの♀の色彩と斑紋は全く独特でありほかに類似のものもなく、同定は問題なく行える。♂は翅表・裏ともミドリヒョウモン、ウラギンスジヒョウモン、オオウラギンスジヒョウモンに似ているが、翅表の性標の本数、表・前翅中室内の斑紋、表・後翅中央の黒斑列、裏・後翅の基部~中央部の白条、裏・後翅の色調などの比較で、同定は比較的容易に行える(次表参照)。
メスグロヒョウモン、ミドリヒョウモン、ウラギンスジヒョウモン、オオウラギンスジヒョウモンの♂の識別方法(前翅中室内の斑紋:写真、1/9-3/9で丸印を付けた)
ところで、メスグロヒョウモンの♀の翅色であるが、以前紹介した(2017.9.22 公開の本ブログ)ことのあるツマグロヒョウモンもまた♀の外観が、他のヒョウモン類とはだいぶ異なっている。しかし、こちらは前翅の先端部分だけが黒くなっているのに比して、メスグロヒョウモンの場合はこれが全体に及んでいて、野外で飛翔中の姿を見ると、一見イチモンジチョウのように見える。何故こうしたことが起きるのか、ほかにも雌雄で色や紋様の異なる種は多くいるとは言うものの、不思議というほかない。
次の写真は、メスグロヒョウモン(♀)とイチモンジチョウ(♀)の翅表を比べたものだが、斑紋の現れ方などはとてもよく似ている。
イチモンジチョウの♀(左)とメスグロヒョウモンの♀(右)
いつもの「原色日本蝶類図鑑」(横山光夫著、1964年 保育社発行)には上記のことが次のように記されていてさすがの名文である。
「あざやかな橙色の雄が真黒く見える雌に交わったまま緑の梢をヒラヒラと飛ぶのを見ると、種を異にした蝶の不思議な雑交かと驚かされる。
古くはこの雌雄が別の種とさえ誤認されていた。この雌雄の極端な異体は興味あるものである。白い傘形科(?)や栗の花上に、入り乱れて飛来するのは美しい。・・・10月にはいると樹下の地上食草外の種々なものに産卵し、約10日前後で孵化した幼虫は食餌に就くことなく、落葉の下などでそのまま越冬する。・・・」
このメスグロヒョウモンの♂に出会ったのは、もうずいぶん前のことであった。車で、安曇野方面から峠越えで長野市街地に帰る途中、渓流沿いの花にヒョウモン類の姿を認め、車を停めて撮影した。帰宅後、翅表の斑紋を見て、メスグロヒョウモンの♂であると確認した。この時の写真は次のようである。少し離れた場所に咲いている、ヤブカラシの花で吸蜜しているところを105mmのマクロレンズで撮影した。トリミングをしてずいぶん拡大しているので、解像度がいまひとつよくないが、種の同定の決め手になった前翅中室内の斑紋(〇をつけている)と性標は確認できた。
メスグロヒョウモン♂1/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂2/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂3/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂4/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂5/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂6/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂7/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂8/9(2015.9.2 撮影)
メスグロヒョウモン♂9/9(2015.9.2 撮影)
その後、長く軽井沢周辺でメスグロヒョウモンに出会うことはなかった。今年、夏のあいだはショップを休みなしで開いていたので、9月に入りその反動もあって、どこかにチョウを見に行こうということになった。妻はメスグロヒョウモンの♀を見たいという。日本産のチョウをかなり網羅している義父のコレクションにも、メスグロヒョウモンは♂・♀共に含まれていない。
特に当てもなく佐久平から上田方面に車を走らせ、途中で「信州昆虫資料館」に久しぶりに行ってみようということになり、着いて見ると生憎の休館日であった。玄関には「開催中・故名誉館長 小川原辰雄先生展」との掲示があり、この信州昆虫資料館の創設者である、小川原辰雄さんが亡くなっておられたことを知った。
「開催中・故名誉館長 小川原辰雄先生展」の掲示がある信州昆虫資料館玄関(2019.9.3 撮影)
小川原辰雄さんと鳩山邦夫さんの共著になる、「信州 浅間山麓と東信の蝶」は私の愛読書であり、このブログでも時々引用させていただいている。この著書の最後のページには、鳩山邦夫さんと共に、小川原辰雄さんの「著者略歴」が次のように記されている。
小川原辰雄(おがわら たつお)
昭和3(1928)年、長野県坂井村生まれ。横浜医科大学卒。昭和36年以降、長野県青木村に居住。青木村名誉村民。内科医、医学博士。小県郡医師会会長、長野県医師会理事、長野県医師会広報委員長等を歴任。日本医師会最高優功賞、第18回医療功労賞、旭日双光章受賞。日本昆虫協会長野支部顧問。
主な著書は『蜂刺症』『博物誌』『糖尿病管見』(桜華書林)、『身近な危険・ハチ刺し症』(クリエイティブセンター)など。
ここに、謹んでご冥福をお祈りする。
さて、仕方なく、資料館の周辺を見回すと、アプローチ道路に面した裏庭や法面にはアザミの花が咲いていて、そこにヒョウモン類の姿が見えた。近くに寄ってみると、ウラギンヒョウモンであった。しばらくこのウラギンヒョウモンの撮影をして、そろそろ帰ろうかと玄関脇に停めてあった車の方に向かって歩き始めた時、妻が何やら蝶の姿を認めた。目の前を通り過ぎて、道路の反対側の高い梢に止まったという。望遠レンズ越しに見ると、ミスジチョウの仲間かタテハチョウの仲間のように見えた。この時はこのチョウが、メスグロヒョウモンの♀であることにはまだ気づかなかった。
ウラギンヒョウモン♀(2019.9.3 撮影)
高い木の先の梢に止まったチョウ(2019.9.3 撮影)
そして、再び諦めて車の報に歩き始めると、そのチョウが、道路沿いに咲いているアザミの花に止まり吸蜜を始めた。間近に見た蝶は、今日妻が出かける時に見たいと言っていた、メスグロヒョウモンの♀であった。
このアザミの花で、長い間吸蜜をしてくれたので、たっぷりとこのチョウの撮影ができた。しばらくするともう1頭、メスグロヒョウモンの♀がやってきたので、この日、都合2頭のメスグロヒョウモンに出会うことができた。
その時撮影した写真は次のようである。何だか、小川原先生がこの機会を作ってくださったように感じ、感謝しつつ「信州昆虫資料館」を後にした。
メスグロヒョウモン♀1/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀2/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀3/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀4/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀5/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀6/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀7/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀8/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀9/10(2019.9.3 撮影)
メスグロヒョウモン♀10/10(2019.9.3 撮影)